こんばんは・・(^-^)
私たちは何も意識せずに「いただきます」という言葉を発します。
しかしこの頃は、「いただきます」「ごちそうさま」の人声さえ出なくなっていると嘆く声が聞かれます。
とりわけ学校では、宗教のおしつけであるとさせないところも?
浄土真宗では、2009年に「新しい食事のことば」を定めました。
食前の言葉は・・
多くのいのちと皆さんのお陰によりこのごちそうを恵まれました。
深くご恩を喜び、ありがたくいただきます。
食後の言葉は・・
尊いお恵みをおいしくいただき、ますます御恩報謝につとめます。
おかげさまでごちそうさまでした。
この「食前のことば」の多くのいのちという表現には、多くの動植物のいのちをいただかなければ生きていけない私たちのあり方への「慚愧」の思いが込められています。
皆さんのおかげという表現には、食事にかかわる人々のご苦労に対する「感謝」の思いが込められています。
「食前のことば」は食事が空腹を満たすだけではなく、食事という恵みを通して私たちのいのちを支えているものへの「ご縁」を知らせていただく機縁となるでしょう。
このように多くのいのちによって恵まれた私の人生ですからご報謝させていただく決意が生まれます。
それが「食後の言葉」です。
もちろん食事だけではありません。
普段、私たちは何気なく生活していますが、その一つ一つを「ご縁」というまなざしから見れば、そこに多くの「おかげ」「ご恩」があり、私のいのちが支えられていることが見えます。
「ご縁」を見る習慣が身につくと何も考えずにご飯を食べることができなくなるかもしれませんね。
私は配食弁当で、ご飯を頂いており、余計に作ってくださる人へのご縁も思いますね。
今までは、何が好きで、何が好きでないと文句ばかり言っていましたが、この文章を読んで考えが大きく変わりましたね。
マリア猫が、昼前に外に出てから帰って来ません?
猫も感謝しているのかなあ?
そういう風には見えませbbが?
マリアの夕食も用意しておきますね。
今日も良い日でありますように・・(^-^)