江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

ダシにされているのは子どもだけではない

2021-08-20 | 随想
予想通りの感染爆発、そして医療崩壊である。

直近のニュースでは、40歳の母親が糖尿病の基礎疾患があったにもかかわらず入院できずに自宅で死亡し、千葉では8か月の妊婦が早産となるもコロナ感染のため入院先が見つからず自宅出産の挙句赤ちゃんが死亡することとなった。

明らかな「人災」ではないか。
国民の命よりも「自分の都合」「オリパラ開催」にこだわる都知事や首相に殺されたようなものだ。

にもかかわらず、彼らからは「申し訳ない」というお詫びの心が全く見えない。
多分だが彼らは「死者が出るのは『コロナのせい』であって自分たちに責任はない」と思っているのであろう、本当に許しがたい。
(こういうのを昔の人は「○○の風上にも置けぬ」と言った)

こんな状況で、来週は「パラリンピック開催」だそうだ。
さらに、原則無観客にもかかわらず、「学校連携観戦」は実施するのだと言う。
ただのトンネル機関に成り下がっていた、都の教育委員もさすがに「反対」声を上げたそうだが。
しかし、都知事も教育長も「安全に実施をする」と強行突破の姿勢を崩していない。
(その後、一部の自治体で中止決定した。注釈:編集者)

気になるのは、「オリンピックを開催して、パラリンピックを中止するのは、障がい者差別につながる」という意見だ。
果たしてそうだろうか。

学校連携観戦が、子どもをダシに使っていることは、明らかだろう。
「都県境をまたぐ修学旅行は中止を」と言っているその口で「子どもたちに夢を、感動を」とかいうのはどう考えてもおかしいではないか。
明らかに自分たちの無策で子どもたちから「夢」や「潤いのある日常」を奪っておきながら、「パラ観戦」を押し付けるのは、子どもを自分の立場を保つための道具にしか見ていないのだ。

同じことは、障がい者にも言えると思う。
障がい者を持ち出すことで、「開催反対論」を封じようとするのは、障がい者を「尊重」しているのではなく「ダシに使っている」のだ。

「パラ開催」は、障がい者の選手たちにとっても「ハイリスク」であることは明白だ。
もちろんこれまでの努力が無駄になってはという気持ちがあることは確かだ。しかし、それこそ「これまでの努力が無駄になった」人たちは、この国に数多いるではないか。

そういうことを差し置いて「パラは特別」とすることは、人々に分断と対立を生じさせることにつながる。
それは、「共生社会」に反するものだと思うのである。

開会式まであと数日しかないが、あきらめることなく「開催反対」の声を上げていくつもりだ。


-K.H-

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