このシリーズを始めたのは、まさに標題の「副校長補佐」の様々な仕事を通じて見えてきたものを紹介するつもりだった。
ところが今、「不登校児童(校内での位置付けであり、生活指導部の別室対応児童ということになっている。)」と、それに対応する私の記録の様なものになっている。
それこそ、「特別支援学級」の個別学習の様相を示し始めた感がある。
しかし、彼女との対応が日常化するにつれ、「副校長補佐の様々な仕事」云々などと悠長なことを言っていられない状況になってきた(と、自分では認識している)。
午前の登校が定着して以降、彼女の中にも変化が生じてきたようだ。
私の出勤日でない平日、彼女は登校し、「学習支援員(臨時雇用の有償ボランティア)」さんが臨機応変に対応してくれたようだ。
因みに、現在の学校には教員を始めとする正規職員の他に、民間委託の職員や非常勤や臨時の職員など多種多様な人々が雇用され様々な労働に従事している。
私の現役時代とはすっかり様変わりしてしまった。
児童数が300数十人の学校に50人を超える職員が何らかの形で関わっているのである。
この数字だけ見ると、充実した環境の中で充実した教育が遂行されている様に思えるが、全くそんなことはない。
もちろん、学校業務の一端しか見ていない(知らされない)私の視点なので、実際の所は子どもを含む各当事者の認識を問わなければ分からないが、全体の雰囲気として満足できる状態ではない。
話が横道に逸れたが、この支援員(学習塾の元講師)さんは彼女と初対面だったようで、教科の学習を進めるより会話を楽しんだと私に話してくれた。
してやったり!素晴らしい!
私は支援員さんの対応する様子を容易に想像できた。
それは、普段から仕事の合間に互いに言葉を交わす関係になっていたからである。
思えば、周りを見渡した所、私たち非正規職員の平均年齢は高く、その社会経験がベースとなっているのが如実に感じる。
支援員さんはその日、日常業務が出来なかったようだが、彼女と接して学校内での新たな発見となったようだ。
そして、何よりも良かったのは、お昼が近づきいつもの下校時刻になってきた際に、「お腹空かない? 給食を食べてから帰ったら」と声掛けをしてれたことだ。
この結果、この日から給食が終わるまで学校に留まることになったのである。
(つづく)
<すばる>
ところが今、「不登校児童(校内での位置付けであり、生活指導部の別室対応児童ということになっている。)」と、それに対応する私の記録の様なものになっている。
それこそ、「特別支援学級」の個別学習の様相を示し始めた感がある。
しかし、彼女との対応が日常化するにつれ、「副校長補佐の様々な仕事」云々などと悠長なことを言っていられない状況になってきた(と、自分では認識している)。
午前の登校が定着して以降、彼女の中にも変化が生じてきたようだ。
私の出勤日でない平日、彼女は登校し、「学習支援員(臨時雇用の有償ボランティア)」さんが臨機応変に対応してくれたようだ。
因みに、現在の学校には教員を始めとする正規職員の他に、民間委託の職員や非常勤や臨時の職員など多種多様な人々が雇用され様々な労働に従事している。
私の現役時代とはすっかり様変わりしてしまった。
児童数が300数十人の学校に50人を超える職員が何らかの形で関わっているのである。
この数字だけ見ると、充実した環境の中で充実した教育が遂行されている様に思えるが、全くそんなことはない。
もちろん、学校業務の一端しか見ていない(知らされない)私の視点なので、実際の所は子どもを含む各当事者の認識を問わなければ分からないが、全体の雰囲気として満足できる状態ではない。
話が横道に逸れたが、この支援員(学習塾の元講師)さんは彼女と初対面だったようで、教科の学習を進めるより会話を楽しんだと私に話してくれた。
してやったり!素晴らしい!
私は支援員さんの対応する様子を容易に想像できた。
それは、普段から仕事の合間に互いに言葉を交わす関係になっていたからである。
思えば、周りを見渡した所、私たち非正規職員の平均年齢は高く、その社会経験がベースとなっているのが如実に感じる。
支援員さんはその日、日常業務が出来なかったようだが、彼女と接して学校内での新たな発見となったようだ。
そして、何よりも良かったのは、お昼が近づきいつもの下校時刻になってきた際に、「お腹空かない? 給食を食べてから帰ったら」と声掛けをしてれたことだ。
この結果、この日から給食が終わるまで学校に留まることになったのである。
(つづく)
<すばる>