江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

昭和30年代 雪国の暮らし

2021-01-11 | 随想


大雪と最強寒波で12月19日関越自動車道では2000台近くの車が立ち往生した。
年明けからは日本海側に記録的な大雪や猛吹雪や台風並みの強風が吹き荒れた。
秋田県などでは2m近くの積雪で家屋の倒壊や、雪下ろしの作業中に亡くなった人もいた。
まことにやるせない気持ちである。
 

 私も雪国の育ちだった。
戦後間もない頃、電気もない豪雪地帯の山奥で生まれた。
家の造りも粗末で外からすきま風が吹いて、冬はそこに雪の小さな吹き溜まりもできた。
暖房は薪ストーブだけ。
寝るときは炭火を入れた四角形のこたつが布団の足元にあった。
ちっとも温まらず、蹴とばして布団が焦げた記憶もある。

その後湯たんぽになり、中学校に入る頃は生活も多少ゆとりが出てきた。
薪ストーブから石炭ストーブになったことや、兄弟五人に一個ずつ「豆炭アンカ」が与えられ、それを毎晩抱いて暖かく寝た。
 
 生活水は山から引いた湧き水で、母屋の外に「水小屋」があった。
冬は流れ落ちるところが水しぶきで凍り付き、鉈で氷を割ることもあった。
そこからバケツに水を汲んで台所に置いて使っていた。

汲んだ直後は水がバケツの中で動いている。
水が静止した時バケツの淵を手で弾き振動を与えると、バケツの周りから「ササーッ」と細いノコギリ状の結晶が中心に伸びて薄氷が全体に広がる。
とても美しい光景だった。
水の温度が0℃以下だった時に起きる現象と思われる。

生卵は台所に置いておくと、白身や黄身も氷つき塊になる。それをかじって食べたこともある。

ストーブの無い部屋は冷蔵庫以下の温度で凍ってしまうので、野菜やリンゴなどは外の雪の中に貯蔵してあった。
「むろ」といって畑に貯蔵する野菜などを、藁で作った円錐形のもので被せてその上に土をかけておく。
やがて雪が覆うが中は土の温度で凍らない。

その野菜など取りに行くのが仕事だった。
立ててある棒の脇をスコップで掘って雪をどかし、土が見えたら手を突っ込んで野菜を取り出す。
今でも「むろ」など作り野菜を貯蔵する農家はあるのだろうかと思う。

(つづく)
                       
                                               
<雪国育ちの「デラシネ」>

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