江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

学びは関係性で決まる ⑥

2017-11-11 | 随想
学びを論じるのに私は授業を例に取り上げたが、ここには教員と子どもたちの関係のみならず子どもどうしの関係性も存在している。


実は、だからこそ授業には大きな可能性があるのだが、私が参観していた授業では担任がそれを意識したかどうかは分からない。
しかし、彼女は子どもの雰囲気を察知したのか、それまで書かせて発表させようとしていた戦術を転換した。
見て、感じて、思ったことをその場ですぐ発表させたのだ。

これが、この時の子どもたちの大半に受け入れられたようだ。
いわば臨機応変的な対応だ。

もし、当初の戦術を固持してあくまでも書くことを優先させていたら、ノートに書こうとしなかった数人は置いておかれ、発表内容は書かれたとおりに読むだけの味気ないものに終わった可能性がある。
何故かというと、黒板に掲示されたグラフを見て考えることのみに専念した子どもたちは、友だちが次々に発表するのを聞きながら自分も同じだと思ったり、まだ出ていない意見を言おうと深く考えたりしたに違いない。
これによって、この子たちは学習できたわけだ。
また、発言が続々と出る理由は、普段から担任が自由にものを言える雰囲気づくりをしているからに他ならない。


さて、全体として見ると担任の戦術転換は功を奏したように見えるが、反面それとは逆にノートに記述することにこだわり続けた子どもたちはどう感じただろうか。
彼らは発表組が発言している際には、時々それに耳を傾けながらもノートに書き続けていた。
言ってみれば彼らは担任の最初の指示には従ったものの、その後の指示には従うことなく自分の路線を貫き通していたわけだ。

担任は、それを敢えてやめさせることはなく満を持して次の発問に移った。

「みんなからたくさん気付いたことが出たけど、今日はこんな問題を考えていきたいと思います。」
と言いながら、黒板に『選挙の投票率が年々下がってきたのはなぜか』と書き込んだ。

子どもたちは一斉にノートに向かい、鉛筆を走らせた。
この学習方法も日頃から続けているため、敢えて次の細かい指示をされなくても子どもたちは自分の考え(予想)を容易に書き始める。
ここでは、全員がノートに向かっていた。

最初からノートに書き続けていた子どもたちに再度目を向けてみると、投票率が下がった訳は既に書いてあるので学習問題があらためて設定された後はやることがなくなった子と、さらに突っ込んだ考えを書く子に分かれていた。
(つづく)


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