Ⅴ 《地底湖 龍泉洞》
日本三大鍾乳洞「龍泉洞」に到着する。
橋の下は龍泉洞から流れた水が勢いよく流れる。
入り口から入ると地下水の流れがあり、岩に挟まれた狭い道の真上は、白っぽい石灰岩の奇岩がみえる。
広い空間もあり、滝のような流れの地下水もあった。
洞内には造形美の美しい奇岩や鍾乳石があちこちにあり見る人の目を引く。
地下水は青く深い透明度がある。
水深98mの第三地底湖は、吸い込まれるような深さと色合いが素晴らしく見応えがある。
洞窟の総延長は4088mで整備され公開されているのは700mである。
紅葉真っ盛りで周辺の山々や直ぐ側の風景も素晴らしかった。
Ⅵ 《戴いた写真集 DVD 映像など》
① 〈3.11山田の記録 写真集〉
「あの日から明日に向かって」と題した震災から2年後の2013年3月11日に発刊された山田町の記録写真集を戴いた。
160P300枚以上の当時と復興に向かう人々の記録が記され、菅野氏も多くの写真を提供している。
震災前の町の風景、3.11当日の襲来する津波、流された家や船、破壊された堤防など多くの写真がある。
一年後の復興へ向けた祭りに集う人々の姿は、確実に明日に向かって歩み出している。
② 〈3.11山田町の記録 大震災私記〉
田村剛一氏が3.11から半年間の山田町の出来事を岩手タイムスに掲載した記事が314Pの本として出版されてそれも戴いた。
高校教諭だった田村氏の震災記録には、どのような形で助かったのか、家族を失ったのか、逃げた人、津波に気付かなかった人、
助けに戻ってなくなった人など、知人・友人・教え子・地域の人たちなどの証言が多く書かれている。
そこには震災後の困難を乗り越えて生きていかなければならない人々の声が伝わってくる。
③ 〈黒沢克行氏 三日坊主の日記〉
避難生活を余儀なくされている被災者に対して「ここはホテルではありません。お客様ではないので協力して乗り切りましょう。」
の言葉かけをして、避難所運営に関わったことなど様々な立場の人たちの人間模様が本音でつぶさに書かれている。
「絆」の一言でくくられるが、決してきれいごとでは済まされない。
学校が避難所になるとその運営は必然的に教職員が担うことになり、その指針となる要素がびっしりと詰まれ価値ある行動記録と思った。
④ 〈大津波映像のDVD〉
菅野和夫氏が編集した「山田伝津館」からのDVD映像です。
津波に襲われた各地の生々しい映像が数多く記録されている。
試写会など行い防災教育として児童・生徒や教職員に必見すべきと思った。
⑤ 〈大蹇朋来のTシャツ〉
岩手高退教から「大蹇朋来」(困難なことが起こっても正しいことを進めていれば、必ず友がやってきて助けてくれる)の文字が入ったTシャツを戴いた。
⑥ 〈東北岩手学習交流の旅 DVD〉
後日 岩手高吉田矩彦氏より「東北・岩手学習交流の旅」の全日程をDVDにして戴いた。
また、3・11 釜石市両石湾の津波映像も収録されていた。
津波の遡上は街を呑み込み、家を濁流に流していく悲惨な様子など貴重な映像だった。
これも多くの人に見せたいと思った。
〈終わりに〉
昨年と二度続けての参加だった。
津波映像を見て津波から逃れるには、誰よりもいち早く逃げる。
自分が助かることが一番大切。
戻って助かる命を失わないことで「つなみてんでんこの」言葉の持つ意味の深さを再認識した。
「釜石の奇跡」と称されて鵜住居地区は昨年も訪れた場所だ。
鵜住居小学校と中学校のあった場所は復興スタジアムになって学校は高台に移転された。
てんでバラバラに逃げた道の最初は細く狭かった。
この道を歩き高台まで避難する、現地体験プログラムも用意されている。
「田老の防潮堤」と「たろう観光ホテル」は、機会があれば是非行って欲しいと思った。
(完)
<デラシネ>
日本三大鍾乳洞「龍泉洞」に到着する。
橋の下は龍泉洞から流れた水が勢いよく流れる。
入り口から入ると地下水の流れがあり、岩に挟まれた狭い道の真上は、白っぽい石灰岩の奇岩がみえる。
広い空間もあり、滝のような流れの地下水もあった。
洞内には造形美の美しい奇岩や鍾乳石があちこちにあり見る人の目を引く。
地下水は青く深い透明度がある。
水深98mの第三地底湖は、吸い込まれるような深さと色合いが素晴らしく見応えがある。
洞窟の総延長は4088mで整備され公開されているのは700mである。
紅葉真っ盛りで周辺の山々や直ぐ側の風景も素晴らしかった。
Ⅵ 《戴いた写真集 DVD 映像など》
① 〈3.11山田の記録 写真集〉
「あの日から明日に向かって」と題した震災から2年後の2013年3月11日に発刊された山田町の記録写真集を戴いた。
160P300枚以上の当時と復興に向かう人々の記録が記され、菅野氏も多くの写真を提供している。
震災前の町の風景、3.11当日の襲来する津波、流された家や船、破壊された堤防など多くの写真がある。
一年後の復興へ向けた祭りに集う人々の姿は、確実に明日に向かって歩み出している。
② 〈3.11山田町の記録 大震災私記〉
田村剛一氏が3.11から半年間の山田町の出来事を岩手タイムスに掲載した記事が314Pの本として出版されてそれも戴いた。
高校教諭だった田村氏の震災記録には、どのような形で助かったのか、家族を失ったのか、逃げた人、津波に気付かなかった人、
助けに戻ってなくなった人など、知人・友人・教え子・地域の人たちなどの証言が多く書かれている。
そこには震災後の困難を乗り越えて生きていかなければならない人々の声が伝わってくる。
③ 〈黒沢克行氏 三日坊主の日記〉
避難生活を余儀なくされている被災者に対して「ここはホテルではありません。お客様ではないので協力して乗り切りましょう。」
の言葉かけをして、避難所運営に関わったことなど様々な立場の人たちの人間模様が本音でつぶさに書かれている。
「絆」の一言でくくられるが、決してきれいごとでは済まされない。
学校が避難所になるとその運営は必然的に教職員が担うことになり、その指針となる要素がびっしりと詰まれ価値ある行動記録と思った。
④ 〈大津波映像のDVD〉
菅野和夫氏が編集した「山田伝津館」からのDVD映像です。
津波に襲われた各地の生々しい映像が数多く記録されている。
試写会など行い防災教育として児童・生徒や教職員に必見すべきと思った。
⑤ 〈大蹇朋来のTシャツ〉
岩手高退教から「大蹇朋来」(困難なことが起こっても正しいことを進めていれば、必ず友がやってきて助けてくれる)の文字が入ったTシャツを戴いた。
⑥ 〈東北岩手学習交流の旅 DVD〉
後日 岩手高吉田矩彦氏より「東北・岩手学習交流の旅」の全日程をDVDにして戴いた。
また、3・11 釜石市両石湾の津波映像も収録されていた。
津波の遡上は街を呑み込み、家を濁流に流していく悲惨な様子など貴重な映像だった。
これも多くの人に見せたいと思った。
〈終わりに〉
昨年と二度続けての参加だった。
津波映像を見て津波から逃れるには、誰よりもいち早く逃げる。
自分が助かることが一番大切。
戻って助かる命を失わないことで「つなみてんでんこの」言葉の持つ意味の深さを再認識した。
「釜石の奇跡」と称されて鵜住居地区は昨年も訪れた場所だ。
鵜住居小学校と中学校のあった場所は復興スタジアムになって学校は高台に移転された。
てんでバラバラに逃げた道の最初は細く狭かった。
この道を歩き高台まで避難する、現地体験プログラムも用意されている。
「田老の防潮堤」と「たろう観光ホテル」は、機会があれば是非行って欲しいと思った。
(完)
<デラシネ>