私は「郷土教育全国協議会(全協)」の会員ですが、今年度末をもって機関誌『郷土教育』の発行を停止・休刊することになりました。
1951年に「武蔵野児童文化研究会」として発足、翌52年に『歴史評論』に「私たちの郷土研究」を発表して郷土教育運動が公になりました。
さらに、53年には私の実家近くの成田市で第一回郷土教育研究大会が開催され、冨里村フィールドを実施しました。あわせて会名を「郷土教育全国連絡協議会」と改称しました。
54年には歴教協と共同で機関誌『歴史地理教育』を発行、その後も郷土教育とは何かを研究・論議してきましたが、57年の世田谷の九品仏集会で郷土教育はどうあるべきかを論議し歴教協とたもとを分かちました。
58年には『郷土教育的教育方法』(明治図書)を発行し、教育における地域性の尊重を訴え機関誌を『郷土と教育』と改称しました。
さらに、翌59年には『生活と教育』と改題して『生活をまなぶ社会科教室』(大村書店)を出版しました。なお、この年から会名を「郷土教育全国協議会」となりました。
今思うと、戦後のレッド・パージ(この際に郷土教育創設者の桑原正雄もレッド・パージされる)の時期から勤評闘争、60年安保闘争をはさみ学テ闘争、原水爆禁止運動の内部対立等々があった激動の時代でした。
機関誌名が「郷土教育」となったのは1975年でした。
以上、長々と歴史的経過を述べましたが、以下に紹介する「社会科 授業研究」は数ある出版物の一つで1971年に自主出版されたものです。ちょうど私が教員になる一年前でした。
50年以上も前の出版物ですが、中身は実に新鮮な感じを受けます。それは、私の求める教育の本質が凝縮されているからだと思います。
機関誌休刊を控えて事務局の倉庫を整理する中で改めて発見した書籍です。
私からもお薦めしたいと思います。(書籍代は無料で郵送費のみ着払いでお願いしています。)
以下に書かれた文章は同じく会員のK.Iさんが最新の機関誌に執筆したものです。
執筆者と事務局に許可をいただいて掲載することになりました。
「郷土教育」前号780号の平林さん追悼文の中でも紹介した「社会科 授業研究」の本は私のイチ押しの本である。
郷土全協発行で実際の授業に触れた本は意外に少ない。
この本は郷土全協の7人の会員が授業をし、それを参観した郷土全協会長の桑原正雄の感想、指摘が書かれている。
授業と授業者は以下のとおりである。
① 等高線 (小学4年) 園部俊也
② 基本的人権をどう考えるか(中学3年) 東末孝
③ 麦作り (小学5年) 平林正好
④ 町のうつりかわり(小学3年) 中村寿子
⑤ 江戸時代の農民のくらし(小学6年) 園部芳江
⑥ 日本の工業(中学1年) 木下務
⑦ 明治維新 (中学2年) 平林茂
この本のおもしろい所は、事前にみんなであれこれ研究しての「研究授業」ではなく、私たちが毎日当たり前にやっている「普通の授業」を吟味している点である。
この本の「はじめに」の中で桑原正雄は次のように言っている。
〝すばらしくない〟ふだんの平凡な授業の中にこそ、わたしたちが真剣に考えなくてはならない、教育の重要な問題点があるのではなかろうか。人に見せる〝よそいき〟の研究授業ともなれば、〝すばらしい〟実践はできないにしても、だれもが〝カッコイイ〟授業をしたいと思う。その反面、ふだんの授業は深く考えないままに、いいかげんにすましているのではなかろうか。日本の大多数の子どもたちが、そのようなふだんの授業によってそだてられているのである。ふだんの平凡な授業こそ、わたしたちはたいせつにしなくてはならないのではないか。
ふだんの平凡な授業の中には、だれもがおかしやすいあやまちや不十分さがひそんでいる。そのあやまちや不充分さがみんなの問題として、みんなの力で克服されたとき、日本の教育はすばらしくなる。
……ぶっつけ本番のふだんの授業をとりあげることによって、教育の本質にせまる研究が可能ではないかと考えたのである。〝授業研究〟であって、〝研究授業〟ではない。ことさらに〝ふだんの授業〟をとりあげたのである。
私は現役教員時代、既成の予定調和の結論へと誘導する授業ではなく、授業で子どもたちと話し合う中で各自がいろいろな角度から物事を見つめ、自身の生活や世の中の矛盾に気付き、それぞれの子どもが自分のことばで自分なりの考えを深めていく授業をしたいと常々思っていた。
社会科で授業をどう組み立てようか、授業そのものへの姿勢はこれで良いのだろうかと悩んだ時、何度も何度もこの本をめくり、すり減るほど読みこんだ。
この本に難しい言葉は出てこない。読みやすい。「自分もこんなことをやってしまう」、「よくある、よくある」とニヤリとしながら読んだ。授業参観後の桑原さんの指摘は、なるほど、そういう視点もあるのかと視野を広げさせてくれた。
しかし、いざ、自分の授業にどう応用するか、この本から何を吸い取ろうかと考えると答えは簡単には出て来ない。そうたやすい問題ではなかった。それでもいつでも自分の脇に置いておきたい本であった。
発行は1971(S46)年とかなり前だが、18㎝×13㎝のこの小さな本に全協の精神が凝縮されている。今の時代にこそ、この桑原さんの問題提起をどう受け止めるか考えさせられる本だ。
幸いなことに、全協事務局にこの本がたくさん保管されていることが分かった。今回、希望者には何冊でも寄贈してくれるとのこと(着払いで郵送)。
まだ手に取っていない人はぜひ1冊持っていると良い本である。特に現職教員の方、教職を目指そうとする方々にはぜひそばに置いておいてほしい。大学の教育系ゼミなどでこの本を教材として学習会をしたらきっと収穫大だろう。
寄贈希望者は機関誌「郷土教育」の裏表紙に出ている郷土全協メールまたはQRコードにて下記の点をご連絡ください。
・送り先 郵便番号 住所
・氏名
・電話番号
・メールアドレス
・希望冊数
・配達希望時間
※以下のQRコードをスマホで読み取っていただければ、自動的にメール画面が表示されます。
↓郷土全協メールアドレスはこちら↓
kyodoedu@gmail.com
-K.I-
<管理人>
1951年に「武蔵野児童文化研究会」として発足、翌52年に『歴史評論』に「私たちの郷土研究」を発表して郷土教育運動が公になりました。
さらに、53年には私の実家近くの成田市で第一回郷土教育研究大会が開催され、冨里村フィールドを実施しました。あわせて会名を「郷土教育全国連絡協議会」と改称しました。
54年には歴教協と共同で機関誌『歴史地理教育』を発行、その後も郷土教育とは何かを研究・論議してきましたが、57年の世田谷の九品仏集会で郷土教育はどうあるべきかを論議し歴教協とたもとを分かちました。
58年には『郷土教育的教育方法』(明治図書)を発行し、教育における地域性の尊重を訴え機関誌を『郷土と教育』と改称しました。
さらに、翌59年には『生活と教育』と改題して『生活をまなぶ社会科教室』(大村書店)を出版しました。なお、この年から会名を「郷土教育全国協議会」となりました。
今思うと、戦後のレッド・パージ(この際に郷土教育創設者の桑原正雄もレッド・パージされる)の時期から勤評闘争、60年安保闘争をはさみ学テ闘争、原水爆禁止運動の内部対立等々があった激動の時代でした。
機関誌名が「郷土教育」となったのは1975年でした。
以上、長々と歴史的経過を述べましたが、以下に紹介する「社会科 授業研究」は数ある出版物の一つで1971年に自主出版されたものです。ちょうど私が教員になる一年前でした。
50年以上も前の出版物ですが、中身は実に新鮮な感じを受けます。それは、私の求める教育の本質が凝縮されているからだと思います。
機関誌休刊を控えて事務局の倉庫を整理する中で改めて発見した書籍です。
私からもお薦めしたいと思います。(書籍代は無料で郵送費のみ着払いでお願いしています。)
以下に書かれた文章は同じく会員のK.Iさんが最新の機関誌に執筆したものです。
執筆者と事務局に許可をいただいて掲載することになりました。
「郷土教育」前号780号の平林さん追悼文の中でも紹介した「社会科 授業研究」の本は私のイチ押しの本である。
郷土全協発行で実際の授業に触れた本は意外に少ない。
この本は郷土全協の7人の会員が授業をし、それを参観した郷土全協会長の桑原正雄の感想、指摘が書かれている。
授業と授業者は以下のとおりである。
① 等高線 (小学4年) 園部俊也
② 基本的人権をどう考えるか(中学3年) 東末孝
③ 麦作り (小学5年) 平林正好
④ 町のうつりかわり(小学3年) 中村寿子
⑤ 江戸時代の農民のくらし(小学6年) 園部芳江
⑥ 日本の工業(中学1年) 木下務
⑦ 明治維新 (中学2年) 平林茂
この本のおもしろい所は、事前にみんなであれこれ研究しての「研究授業」ではなく、私たちが毎日当たり前にやっている「普通の授業」を吟味している点である。
この本の「はじめに」の中で桑原正雄は次のように言っている。
〝すばらしくない〟ふだんの平凡な授業の中にこそ、わたしたちが真剣に考えなくてはならない、教育の重要な問題点があるのではなかろうか。人に見せる〝よそいき〟の研究授業ともなれば、〝すばらしい〟実践はできないにしても、だれもが〝カッコイイ〟授業をしたいと思う。その反面、ふだんの授業は深く考えないままに、いいかげんにすましているのではなかろうか。日本の大多数の子どもたちが、そのようなふだんの授業によってそだてられているのである。ふだんの平凡な授業こそ、わたしたちはたいせつにしなくてはならないのではないか。
ふだんの平凡な授業の中には、だれもがおかしやすいあやまちや不十分さがひそんでいる。そのあやまちや不充分さがみんなの問題として、みんなの力で克服されたとき、日本の教育はすばらしくなる。
……ぶっつけ本番のふだんの授業をとりあげることによって、教育の本質にせまる研究が可能ではないかと考えたのである。〝授業研究〟であって、〝研究授業〟ではない。ことさらに〝ふだんの授業〟をとりあげたのである。
私は現役教員時代、既成の予定調和の結論へと誘導する授業ではなく、授業で子どもたちと話し合う中で各自がいろいろな角度から物事を見つめ、自身の生活や世の中の矛盾に気付き、それぞれの子どもが自分のことばで自分なりの考えを深めていく授業をしたいと常々思っていた。
社会科で授業をどう組み立てようか、授業そのものへの姿勢はこれで良いのだろうかと悩んだ時、何度も何度もこの本をめくり、すり減るほど読みこんだ。
この本に難しい言葉は出てこない。読みやすい。「自分もこんなことをやってしまう」、「よくある、よくある」とニヤリとしながら読んだ。授業参観後の桑原さんの指摘は、なるほど、そういう視点もあるのかと視野を広げさせてくれた。
しかし、いざ、自分の授業にどう応用するか、この本から何を吸い取ろうかと考えると答えは簡単には出て来ない。そうたやすい問題ではなかった。それでもいつでも自分の脇に置いておきたい本であった。
発行は1971(S46)年とかなり前だが、18㎝×13㎝のこの小さな本に全協の精神が凝縮されている。今の時代にこそ、この桑原さんの問題提起をどう受け止めるか考えさせられる本だ。
幸いなことに、全協事務局にこの本がたくさん保管されていることが分かった。今回、希望者には何冊でも寄贈してくれるとのこと(着払いで郵送)。
まだ手に取っていない人はぜひ1冊持っていると良い本である。特に現職教員の方、教職を目指そうとする方々にはぜひそばに置いておいてほしい。大学の教育系ゼミなどでこの本を教材として学習会をしたらきっと収穫大だろう。
寄贈希望者は機関誌「郷土教育」の裏表紙に出ている郷土全協メールまたはQRコードにて下記の点をご連絡ください。
・送り先 郵便番号 住所
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・メールアドレス
・希望冊数
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kyodoedu@gmail.com
-K.I-
<管理人>