選挙の投票率を問題にして民主主義を考えてきましたが、選挙とは違う大切な視点もあります。
それは、人々が互いに話し合う「論議」という視点です。
この社会には様々な人々が様々な価値観を持って生活を営んでいますが、これが時にはぶつかって争ったり混乱を引き起こしたりすることもあります。
それは、個人のレベルから国家のレベルに至るまで考えられますが、最悪の事態は戦争です。
もっとも、戦争を価値観の相違だけで論じるには限界がありますが、ここはある程度図式的にとらえてみます。
ただ、面白いのは(というか大きな勘違いなのは)「民主主義国家」を自任する国やマスメディアが、
敵対するあるいは考え方が相いれない他者(他国)を「独裁主義」とか「権威主義」国家と決め込み、
自らの国あるいはそれを構成する人々が民主主義に基づいた生き方をしているかのようなとらえ方をしていることです。
この論理で言うなら、「社会主義」国家や社会主義は民主主義とは異なるため、それに則る国家や人間は民主主義に基づく生き方をしていないことになるわけです。
考えてみましょう! 例えばあの安倍晋三氏は民主主義者だったでしょうか⁈
今、アメリカで大統領選挙を争うトランプ氏が民主主義者でしょうか⁈
話が国家レベルになると民主主義の因子が増えるので、この辺で話を戻します。
多様な価値観を持つ人々が社会の中で一定の合意を形成して集団生活するには話し合いが不可欠です。
この話し合う力(論議力)が民主主義を創っていく上で重要です。
それこそ独裁主義や権威主義に陥るのは、論議が軽んじられたり論議を尽くさなかったりするからです。
今の日本における自公政権が良い(悪い!)例です。
集団には家族や友人といった日常の人間関係から地域の自治会、学校や会社、自治体から国に至るまで色々ありますが、
この中で必要に応じてしっかりと論議が行われていれば民主主義が機能していると言えます。
因みに私は今、「地域のコミュニティーづくりに寄与する自治会の在り方」を念頭に置いて自治会運営を行っていますが、容易ではありません。
そうです。まだまだ民主主義が活性化していないのです。
ここは大人が民主主義を実践できるかが問われているのです。
(つづく)
<すばる>
それは、人々が互いに話し合う「論議」という視点です。
この社会には様々な人々が様々な価値観を持って生活を営んでいますが、これが時にはぶつかって争ったり混乱を引き起こしたりすることもあります。
それは、個人のレベルから国家のレベルに至るまで考えられますが、最悪の事態は戦争です。
もっとも、戦争を価値観の相違だけで論じるには限界がありますが、ここはある程度図式的にとらえてみます。
ただ、面白いのは(というか大きな勘違いなのは)「民主主義国家」を自任する国やマスメディアが、
敵対するあるいは考え方が相いれない他者(他国)を「独裁主義」とか「権威主義」国家と決め込み、
自らの国あるいはそれを構成する人々が民主主義に基づいた生き方をしているかのようなとらえ方をしていることです。
この論理で言うなら、「社会主義」国家や社会主義は民主主義とは異なるため、それに則る国家や人間は民主主義に基づく生き方をしていないことになるわけです。
考えてみましょう! 例えばあの安倍晋三氏は民主主義者だったでしょうか⁈
今、アメリカで大統領選挙を争うトランプ氏が民主主義者でしょうか⁈
話が国家レベルになると民主主義の因子が増えるので、この辺で話を戻します。
多様な価値観を持つ人々が社会の中で一定の合意を形成して集団生活するには話し合いが不可欠です。
この話し合う力(論議力)が民主主義を創っていく上で重要です。
それこそ独裁主義や権威主義に陥るのは、論議が軽んじられたり論議を尽くさなかったりするからです。
今の日本における自公政権が良い(悪い!)例です。
集団には家族や友人といった日常の人間関係から地域の自治会、学校や会社、自治体から国に至るまで色々ありますが、
この中で必要に応じてしっかりと論議が行われていれば民主主義が機能していると言えます。
因みに私は今、「地域のコミュニティーづくりに寄与する自治会の在り方」を念頭に置いて自治会運営を行っていますが、容易ではありません。
そうです。まだまだ民主主義が活性化していないのです。
ここは大人が民主主義を実践できるかが問われているのです。
(つづく)
<すばる>