江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

「中村哲医師1周忌のつどい」を主催して ①

2020-12-31 | 随想
2019年12月4日、中村哲医師は活動の地であるアフガニスタンで何者かに銃撃され、同行していた現地の運転手や護衛の人々5人と共に死亡した。

私の中にも衝撃が走った。

「武器で平和は守れない」を信条とする中村医師が拳銃という武器で倒されたのだ。
これは「皮肉にも・・・」なのか、「まさに証明された」のか? 
私は後者を選択する。
それは、武器を行使した襲撃犯たちが守ったのは決して平和ではないからだ。


私が中村先生を身近に感じたのは、2年前に船橋で「中村哲医師講演会」を実施した際に実行委員として会の運営に参加した時だ。
本番前のプレイベントではDVD上映やペシャワール会から借りた写真展示をし、更に中村さんと交流があった歌手の加藤登紀子さんのトークショーを聞く中で、一気に中村医師の行動力と思想性、魅力ある人間性に惚れ込んでしまったのだ。

中村先生の口からは実践に裏付けられた確かな言葉がたくさん生まれていた。
息子さんにいつも語っていたという「口先だけでなく行動で示せ」という言葉も中村先生ならではの言葉だと思う。
そしてこれは、私(たち)の「平和運動」も問い直せと言われているような気がしてならなかった。


2015年7月、安倍政権は「戦争法案」を成立させたが、法案の名称には平和とか安全の文言が散りばめられている。
アメリカ軍等が行う軍事行動に共に参加すること、つまり武器を持って他国(他者)を攻撃することが平和を守ることだというのだ。
平和の名の下に人を殺すことを良とする「平和」なんて、いったい誰が望むのだろうか? 

中村医師の活動はこの「平和」の対極にあるものだ。
旱魃に苦しむアフガンの地で現地の人々の力をも生かしつつ、用水路を引くことで多くの命を救った(現地での生活を可能にした)活動があらためて武力なき平和を証明し続けている。



(つづく)

<関川俊一>

(本稿は「郷土教育全国協議会の機関誌『郷土教育738号』より転載しました。)


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