2020年12月5日、標記イベントを開催したが、今回は事務局員として活動した。
一周忌を単なるセレモニーにせず、中村医師の活動を持続発展させるために開催しよう。
それが中村先生の遺志に他ならない。
私たちはそう考えて短期間で取り組んだ。
コロナ禍でのイベント開催には神経を使った。
規模の大幅縮小と共に会場に足を運ばずに参加できるオンライン方式も採用したが、開催までには紆余曲折があった。
このイベントの目的は中村医師の思想を共有する人を増やすと同時に、現地活動を継続させるための資金集めも重要なねらいの一つだ。
当初、オンライン参加を有料にする案が出ていたが、私は反対した。
中継技術を始め有料に応えるきめ細かい対応が困難な点と、視聴者が限定されて広まらないことが予想されたからだ。
無料にして一人でも多くの人に観てもらい、賛同金・寄付金をいただいた方がイベントとして成功するのではないかと考えたのである。
宣伝チラシを一万枚作ったのをはじめ、前回の参加者への賛同要請文を郵送したり、メディアに協力要請したり、SNSで広範に呼びかけたりした。
その甲斐あってか、限定販売したチケットを持たない人も多く会場に詰め掛け、コロナ感染予防対策で天手古舞だった。
会場は入場制限しているためオンラインン中継の別室へ案内した。
中村医師の遺影がスクリーンに映し出され、参加者全員で黙祷することから始まった。
加藤登紀子さんのビデオメッセージが流れ、続いて中村医師が現地で活動する様子や前回までの講演会の様子の一部を映像で紹介した。
そして、今回のメインゲストは、中村先生と共に行動した看護師であり、ペシャワール会PMS(Peace japan Medical Services)支援室室長である藤田千代子さんだった。
藤田さんは、中村先生がハンセン病治療のためパキスタンに派遣された頃のエピソードから話し始めた。
本人が語るより客観的であるため、より中村先生の活動がダイナミックに伝わってきた。
最も印象に残ったのは次の話だ。
「用水路に通水すると沢山子どもたちが集まってきて喜ぶ。他方、上空には頻繁に軍の飛行機が飛んでくる。同じアフガンの地で水を得て作物が収穫できる事実と、空爆で人を殺す事実が共に『支援』という形で行われている。これを子どもたちはどう感じているのだろうか。私は、彼らを『小さな目撃者たち』と呼んでいる。」
藤田さんの言われる「小さな目撃者たち」は何を見て考え、成長していくのだろか・・・。
旱魃で草木一本生えなかった土地で、今年初めてスイカを収穫して喜ぶ姿は、中村先生は見ることはできなかったが、かつての子どもたちは今、中心の働き手に成長している。
中村医師の仕事は確実に根付いているように感じる。
イベント終了後、オンライン中継を再編集して今もYouTubeで無料配信している。
寄付金もまだ事務局に届いているようだ。
最後に藤田さんが紹介してくれた中村医師の実践の作法ともいうべきものを記したい。
「良いと思うことを相手に決して押し付けたりしない。現地の人たちに提案して納得してもらってから共に行動した。」
中村哲医師の死から3日後に、私の母が亡くなったのも記憶に新しい。
<関川俊一>
(写真はいずれも当日の会場スクリーンに映し出されたものを撮影しました。)
(本稿は「郷土教育全国協議会の機関誌『郷土教育738号』より転載しました。)
一周忌を単なるセレモニーにせず、中村医師の活動を持続発展させるために開催しよう。
それが中村先生の遺志に他ならない。
私たちはそう考えて短期間で取り組んだ。
コロナ禍でのイベント開催には神経を使った。
規模の大幅縮小と共に会場に足を運ばずに参加できるオンライン方式も採用したが、開催までには紆余曲折があった。
このイベントの目的は中村医師の思想を共有する人を増やすと同時に、現地活動を継続させるための資金集めも重要なねらいの一つだ。
当初、オンライン参加を有料にする案が出ていたが、私は反対した。
中継技術を始め有料に応えるきめ細かい対応が困難な点と、視聴者が限定されて広まらないことが予想されたからだ。
無料にして一人でも多くの人に観てもらい、賛同金・寄付金をいただいた方がイベントとして成功するのではないかと考えたのである。
宣伝チラシを一万枚作ったのをはじめ、前回の参加者への賛同要請文を郵送したり、メディアに協力要請したり、SNSで広範に呼びかけたりした。
その甲斐あってか、限定販売したチケットを持たない人も多く会場に詰め掛け、コロナ感染予防対策で天手古舞だった。
会場は入場制限しているためオンラインン中継の別室へ案内した。
中村医師の遺影がスクリーンに映し出され、参加者全員で黙祷することから始まった。
加藤登紀子さんのビデオメッセージが流れ、続いて中村医師が現地で活動する様子や前回までの講演会の様子の一部を映像で紹介した。
そして、今回のメインゲストは、中村先生と共に行動した看護師であり、ペシャワール会PMS(Peace japan Medical Services)支援室室長である藤田千代子さんだった。
藤田さんは、中村先生がハンセン病治療のためパキスタンに派遣された頃のエピソードから話し始めた。
本人が語るより客観的であるため、より中村先生の活動がダイナミックに伝わってきた。
最も印象に残ったのは次の話だ。
「用水路に通水すると沢山子どもたちが集まってきて喜ぶ。他方、上空には頻繁に軍の飛行機が飛んでくる。同じアフガンの地で水を得て作物が収穫できる事実と、空爆で人を殺す事実が共に『支援』という形で行われている。これを子どもたちはどう感じているのだろうか。私は、彼らを『小さな目撃者たち』と呼んでいる。」
藤田さんの言われる「小さな目撃者たち」は何を見て考え、成長していくのだろか・・・。
旱魃で草木一本生えなかった土地で、今年初めてスイカを収穫して喜ぶ姿は、中村先生は見ることはできなかったが、かつての子どもたちは今、中心の働き手に成長している。
中村医師の仕事は確実に根付いているように感じる。
イベント終了後、オンライン中継を再編集して今もYouTubeで無料配信している。
寄付金もまだ事務局に届いているようだ。
最後に藤田さんが紹介してくれた中村医師の実践の作法ともいうべきものを記したい。
「良いと思うことを相手に決して押し付けたりしない。現地の人たちに提案して納得してもらってから共に行動した。」
中村哲医師の死から3日後に、私の母が亡くなったのも記憶に新しい。
<関川俊一>
(写真はいずれも当日の会場スクリーンに映し出されたものを撮影しました。)
(本稿は「郷土教育全国協議会の機関誌『郷土教育738号』より転載しました。)