江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

[そりゃそうだ!」と納得しました

2023-12-20 | 随想
小学校6年で国の政治の仕組みを教えるとき「憲法」はもちろんだが、「三権分立」も出てくる。
そこで、司法権については「裁判所」などとともに「三審制」についても学習することになっている。
そこで当然だが、「最高裁判所は憲法の番人と呼ばれる」ということも教科書に書いてあったりするのだが、
現実は「政権の番犬」のようになっている。


10月に東京新聞に編集部員の署名入りで「憲法の番人たり得るか」というコラムが載った。
辺野古移設訴訟と国会召集訴訟のいずれも、最高裁が上告を棄却したことを受けてのものだ。
それ以外でも「安保関連法訴訟」でも「政治への忖度そのもの」という批判があるとして、
総選挙と同時に行われている「国民審査」の機能強化なども取り上げられている。
(記事参照)






でも、そもそもこんなに「政権の番犬」状態になってしまうのか?といささか不思議に思っていたのだが、
その疑問を氷解させる話を聞くことができた。

先日コスタリカについての話を聞くことができたのだが、コスタリカでは、憲法判断を専門的に扱う「憲法裁判所」があるだけではなく、
驚くべきことに「小学生でも憲法裁判所に訴えを起こすことができる」というのだ。
これだけでも、びっくり仰天だが、「最高裁判所」の判事が全員「憲法学者」だというのである。




では日本の最高裁の判事は?と気になってくるが、それは次のようになっているのだ。
裁判官(出世のゴール)6人、弁護士3人(海度雄一さんはなれないだろうなぁ)、検事2人、官僚(法務省出身者かな)教授2人。
しかもこの割り当ては「慣例」なのだそうだ。
法律で決まっているわけでもないルールで「政権の番犬」になるように決められているということだ。

さらに教授と言っても、憲法学の教授とは限らず、現行憲法の下で判事になった人は合計180人だが、その中で憲法学者はたったの一人。
この人が1989年に退官した後、憲法学者は一人もいないのだ。

なるほど「憲法の番人」というのはフィクションだったか、と納得してしまったのだ。
教え子の皆さん、インチキを教えてしまってごめんなさい!ちゃんと調べておけばよかったと、今更ですが後悔してます。

2023/12/20


-K.H-

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