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3月14日、早朝。
東京教組約40名の集会参加者は、都営観光の大型バスで新宿を出発。
2012年から4回めの参加です。
毎年、バスを準備し、連帯行動を企画してくれる本部に心より感謝です。
午後1時15分。
県内外から、福島市あづま総合体育館に6500人が結集。
東日本大震災で犠牲になられた方たちに黙祷をささげたのち、実行委員長の角田政志さん(福島県平和フォーラム代表)が開会の挨拶に立ち、力強く訴えました。
「原発事故・放射性物質汚染で、平穏で当たり前の生活を奪われた。
4年たっても収束にほど遠く、今なお12万人もの県民が避難生活を余儀なくされている。
記憶から忘れさられようとしている今、福島の現実、福島の声を全国へ発信していこう。
“オール福島”を原点に、失われた生活を取り戻そう。
国・東京電力に原発の廃炉を求め、子どもたちを放射能被害から守り、被害を賠償させ、生活を復興させよう」
前日の高熱をおして登壇された落合恵子さんの連帯の挨拶も心に沁み入るようでした。
「原発事故のあの日から、問つづけてきた。
誰かの犠牲の上に立つ偽物の繁栄は要らないと……。
原発も沖縄の基地も差別の構造の上にある。
自分の内と外に大事なことを忘れさせようとする装置がある。
しかしわたしは、誰をも犠牲にしない生き方とは?
と問い続けていく。ずっと一緒に歩かせてください」
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後援自治体のメッセージ紹介もありました。
昨年の福島県双葉郡8町村(広野町、楢葉町、富岡町、川内村、大熊町、双葉町、浪江町、葛生村)に田村市、南相馬市、川俣町、飯館村が加わり、後援自治体は12市町村と広がりをみせました。
“オール福島”をめざして、さらに「原発のない福島を!」の輪が拡大していくことを願ってやみません。
トークリレーでは、さまざまな方たちが自らの思いを語ってくださいました。
印象的だった発言をいくつか紹介します。
(ハイロアクション福島)~海洋汚染が1年以上隠蔽されていた。昨夏、海水浴場が解禁され、子どもたちは海で泳いだ。
健康被害を声にだせない雰囲気もある。
二度と原発事故を繰り返さないために立場を超えて、再稼働に反対し世界中から原発をなくそう。
(JF相馬双葉漁協)~事故後、モニタリング、スクーリング等を行い、検査をクリアしたもののみを出荷し、失った信頼を回復しようと消費者に安心・安全を訴えてきた。
しかし汚染水の外洋流出と海洋汚染問題で東電に振り回され、戸惑っている。
東電は汚染水対策をしっかりやって信頼を再構築してもらいたい。
(旅館業の方)~東電は事実を隠蔽し続けている。県民の心を逆なですることが4年たった現在でも続いている。
消費者の安心を得ることは厳しいが、“オール福島”で希望を失わず行動したい。
危険を顧みず、頑張ってくれている原発作業員の方たちの苦しみを忘れずに、真の復興に向けて力を合わせたい。
(高校生平和大使)~原発は、一度事故が起これば取り返しがつかない。
経済活動よりも、何よりも命が大切。命、生存権、人格権を守るために、原発に反対し、連帯していこう。
最後に「『原発のない福島を!』をめざし、力を合わせていこう」とアピールを採択して集会を終了。
ところで、集会アピールではじめて知った事実に呆れ果ててしまいました。
昨年末のことです。
東電の指示により、がれき撤去作業で使用される粉塵飛散防止剤がメーカーの推奨する濃度よりも10倍薄められていたことが明らかになったそうです。
原発で作業する方は勿論のこと、粉じんとともに放射性物質が拡散し、国民に新たな内外の被曝を強いることであり、到底、許されることではありません。
なぜこんなことが、まかり通るのでしょう?
政府は原発推進を変えていません。
川内原発は再稼働に向けて、動き始めています。
東電福島第一原発事故がなかったかのようにまたもや「安全神話」をまき散らしながら…。
福島はいまだにメルトダウンした核燃料の場所もわからず、高濃度の汚染水問題が続いているというのに…。
美浜原発1、2号機、島根原発1号機と老朽化した原発の廃炉が決定されましたが、使用済み核燃料の保管場所すら確保できないのが現実です。
(世界的に見ても厳しいのだとか)
人間には原発を制御することはできないのです。
県民集会に参加して、「原発のない福島を!」「原発のない日本を!」の実現に向けて、福島の方たちとともに歩み続けたいと思いを深くしました。
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