江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

「月夜の森の梟(ふくろう)」に心を惹かれる

2022-05-16 | 随想
新聞の文化・文芸欄や映画の批評を読むのがわりと好きだ。
瀬戸内寂聴の「残された日々」は最後の連載76まで切り抜いていた。
「月夜の森の梟」もその一つだった。

連載一回目を読んだとき、文章のひとつ一つが心に「すーっと」入り込んできたので「切り抜いておくか」が最初だった。
亡くなった夫の思い出の連載は私の共感を沸き立て、この作家はどんな人なのかと興味をもった。

林真理子じゃないし小池百合子でもない、「小池真理子」は初めて聞く名前だった。
連載が続くにつれ二人の関係も分かってきた。
二人とも作家で夫は藤田宜永(よしなが)。

2020年1月に亡くなるまで37年間共に過ごした二人と云う。
共に直木賞を受賞しているが、二人とも知らない作家だった。
まして作品など知らないし読んだこともない。


50回まで連載されたと云うが、手元にある切り抜きの最後は40でたったの9枚しかない。
最後の10回分は一つも見当たらない。
切り抜かなかったり捨てたのかも知れない。
その連載をまとめた本が出版されたので直ぐに買い求めた。



忘れていたり、読んでいないのもあり初めから全部読んだ。


大切な人を失うことの「哀しみ」をどう言葉で表すのかどう伝えるのか。
言葉にならない想いを「窓の外の風景」や「季節」「梟」「猫」「雪」「桜」など、さりげない日常の小さな出来事から、「哀しみ」の想いを綴っている。
その心の描写が素晴らしい。

誰かを愛することは「かなしみ」を育むことに他ならないとも記している。
また元気だったころの記憶の数々から、二人で暮らした何気ない日常が描かれその時々にも思いを馳せる。
病状に苦しんでいた1年と10か月。
夫は「闘病」ではなく「逃病」と称して、一切の仕事に背を向けた。
堂々と何もしないでいられるのは病気のおかげだ、と言った。
文学も哲学も思想も自分にとって無意味なものになったと言い切った時は聞いていてつらかったと。

『時は流れていく。生まれたものは消える。始まったものは終わる。一つの例外もない。
時間は一秒の狂いもなく飛び去っていく。輪廻転生。いずれ私が「光」と化した時、夫を照らしてやればいい。』
と・・・。  


来ない明日は誰にもいつか平等にやってくる。
この本は買って是非読むべき本です。
                                   


<デラシネもいつか光になる>

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