江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

1979(昭和54)年の職場新聞を転記する

2022-01-10 | 随想
断捨離で段ボール箱を探っていたら昔発行していた職場新聞が出てきた。
 「組合加入の依頼」の内容で特徴のある筆跡とわら半紙にガリ版鉄筆の時代のものだ。

これは私が32歳のとき書いた原稿で、「不沈下」など意味不明の単語もあって、恥ずかしいがそのまま全文を転記する。
いま読み返してみると、当時の事がよみがえり懐かしくもある。
 


 若い人で組合に入らない人が増えている。都教組全体では新卒者の組合加入率は51年度で46.4% 、52年度で42.1%。そして53年度は26.4%と年々低下の一途をたどっている。
K支部でも40.2%⇒35.5%⇒20.5%と新採者の加入が減少している。

 組合に入らないのは、組合に魅力がないからなのか、それとも入ろうとしない側にあるのか、いずれの側にも多かれ少なかれ問題があることは否めない。はっきり言えることは、浮沈下ということもあるが、組合自体も闘う力を失いつつあるし、若い人たちの中に必ずしも組合を必要と思わない意識が蔓延していることも確かである。

 組合に入らなくても権利は同等にとれるし、給料だってみんないっしょに上がる。入っても動員や職場会などあって、仕事にさしつかえいろいろ規制されることが多い。入るメリットはあまり感じられないし、また、主義主張の違いからくる複雑な人間関係に、関わりたくないということも、入らない理由の一つになっている。

 確かにそれはある側面では事実であり、私も否定するつもりはない。組合費を払わない分だけ給料も多いし、闘争資金や賃金カットもない。休暇や権利を行使しても誰か文句を言うわけでもない。

 しかし、組合に入っている者が安くもない組合費を払い、賃金カットという犠牲を払って闘争をやっているとき、その闘争にどれだけの共感や痛みを覚えているのだろうか。厳しい時代のさなか先輩たちが苦労して、血のにじむ思いをしてここまで組合を育て、諸権利をかちとってきたという歴史の重みをどれほど感じているのだろうか。賃金が自然に上がるわけでもないし、はじめからただで権利がとれたわけでは決してないのだ。

 何も先頭を切って組合活動をやって欲しいという気はないが、同じ職場で働き同じ働く辛さや喜びを味わう者として、最低限組合には入るべきと思う。

 たしかに十分な力もなければ、種々の弱さもかかえている組合ではあるが、だからといって入らなくて良いということにはならない。組合に加入していない人にも、平等に闘争の成果をわけ与える寛大さに対してである。

 
 余白には支部総会や青年部・婦人部総会の案内も。
開始時間は13:30~。
支部教研集会は10/15 全体会 10/20 問題別 10/24 教科別 と13:30~三回も実施。

そんな時代でした。


<43年前の「デラシネ」>

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