2021年NHK大河ドラマ「晴天を衝け」ゆかりの地
尾高惇忠・尾高町長七郎の弟で渋沢栄一の見立て養子でもあった幕末のイケメン「渋沢平九郎」の最期の地訪ねてきました。
大河ドラマ「晴天を衝け」。いよいよ時代は明治に移っていくが、8月22日放送の第二十五回では、渋沢栄一の養子となった従弟の渋沢平九郎が幕府崩壊後の動乱の中で壮絶な最期を迎える。😫😫😫
渋沢栄一さんが幕府施設団の一員として、明治維新前に1867年にパリ万国博覧会に渡欧しました。
その頃戊辰戦争があり埼玉県の唯一の地域戊辰戦争として飯能戦争があり、幕府軍振武軍の尾高惇忠、渋沢成一郎渋沢平九郎たちは新政府軍と戦い、新政府軍が勝利しました。敗れた旧幕府軍の尾高惇忠、渋沢成一郎は伊香保に逃げ、平九郎は逃げきれず、顔振峠から越生黒山村に下り、官軍に遭遇し孤軍奮闘し、路傍の石に座して自刀という最後を迎えました。
渋沢栄一さんが国からの命令で帰国したのは、この半年後のことでした。
飯能での戦いに敗れ平九郎が逃げる途中、顔振峠茶屋にて草履をもとめその代価として刀を預け、店主に秩父の安全なるを聞くも、故郷思い、黒山に向かい官軍に遭遇
黒山方面に下りる道を選んだエピソ-ドが峠の石碑に刻まれていました。
惜しまれるとき散りてこそ世の中は 人も人なり花も花なれ
越生黒山から顔振峠(かあぶりとうげ)に向かいます。
平九郎は仲間と離れひとり飯能の山奥へ逃げ込みます顔振峠を越え黒山村(現在の越生)まで来ると官軍の広島藩兵に取り囲まれてしまい、平九郎は抗戦するも幕臣としての忠誠心からかこの苔の生えた石に座り自刀しますまだ20歳(数え22歳)の若さでした平九郎自決の地
自害した石の傍らにグミがあり
平九郎さんの血の色を宿す真っ赤な実を付けるから、平九郎グミと言われています。
平九郎さんのお墓は自害した場所から500メートルくらい離れた金洞院にあります。
明治6年、渋沢栄一は、平九郎の遺骸を東京谷中の渋沢家墓地に改葬した。その後明治9年、渋沢栄一が「渋沢平九郎之墓」が建てられました。
新政府軍によって晒された平九郎の首は、今市村の島野喜兵衛と横田佐平兵衛が密かに法恩寺に埋葬した。
山門をくぐったすぐ左手に「渋沢平九郎埋首之碑」があります。
村人たちは、名も分からぬ若き志士を「脱走のお勇士様(だっそ様)」と呼び、勇ましい姿を語り継ぎました。