西南戦争のときに明治政府軍の主力小火器はスナイドル銃だったそうです、現在の銃と同じ元込め式ですが、発射するまでに、①ハンマ-をハ-フコックにする、②遊底を開ける、③薬室に薬莢を装填する、④遊室を閉める、⑤ハンマ-を打撃体制に起こす、で発射体制になります、なおMK3は遊底にロックが在りますので、撃ち終わった薬莢の排除にはプツシュオンの動作が加わります、
どうみても跳弾の跡とは思えない、直撃弾の様うですので、映画ラスト サムライの様に、殆どスナイパ-としての役にたっていなかったのでしょうかね?。
現在はいわしれず、ある程度は火力の差で勝敗が決まると思いますが、やはり時代のうねりですかね。
余談ですが文献によりますと、黒色火薬の低い腔圧にも関わらず発射後に遊底が開くなる事が在ったために、木製の小槌を持たせて叩いて開けたそうです、
まあ当時最新式の銃とゆえ半人前の道具でしたのでしょうかね?
また田原坂の戦いでは、西郷軍の切り込み隊に対して、スナイドル銃を装備しているのに歯がたたず、旧会津藩士の志願兵を主とする警視抜刀隊が活躍したそうです。