あまり巷では取り上げられないようですのですので、表裏比輿の者の真田一族に関係する、嘘か真か判りませんが、ズッコケ間抜け作戦をアップしてみました、
武田晴信(信玄)の武田4将の一人 馬場信房が天文19年(1550)に攻略した犬甘城です、なお当時 真田弾正忠幸降、山本勘助(架空の人物と言われているそうですが、義理の叔母は山本といいます)などは武田24将とゆわれていたそうです、
なお山本勘助の居城であったとゆわれています、小諸市営公園 懐古園に勤務していました、今わ亡き親父から聞きましたが、証拠になる物証は何も無かったそうです、高遠城 海津城にも築城した証拠の文献等は在りませんでした、なお最後の城主の、お土産屋さんは徳川幕府 将軍の若年寄りで補佐をしただけあって、歴史的貴重品があります、
新幹線から外れた小諸を宜しくです、なお華のお江戸の端っこの、新宿駅からは直通バスが出ています、ネットで予約ができます、
http://www.makino-mingei.jp/index.html
追記 直通バスは、あぶない碓氷バイパスは通りません、
なお小生は現在、車は所有していませんが、以前は何十年も運転していて事故を起した事が一度も在りません、小諸を出て御代田を通り軽井沢に向うと坂道が緩やかに感じる錯覚にいたります、
マニアルの乗用車で大型トレ-ラ-車を追い抜こうとして、トツプからアクセルをキック エンジンの回転数に合わせてサードにシフトダウン 一気に追い越しを駆けましたがダメでした、
国道18号線は上田付近も全線、坂が緩やかに感じる錯覚道路ですので山岳ラリ-に出場しているつもりでないと事故の危険性があると思います、
もっとも下り坂は、五感の乏しい運転手は急坂なカーブなのに緩やかなと錯覚して大型車は簡単に、横転状態になり崖に転落するようです、また箱根国道を何回も運転した事がありますが錯覚に至る事は有りませんでした、(出発まえの修業点検、運転中はドアの窓を少し空け5感を働かす、ラジオは道路情報以外は掛けない等で事故は一度たりとも起しませんでした、なお登山も登りより下りの方がつんのめって、注意を要します)
追記 軽井沢の中山道 追分宿から分かれて北国街道の長い~坂道を下ると、そこは小諸宿であった 坂の上から小諸藩 初代藩主 仙石秀久が築き城下町が続きます、徳川家 縁かりの お寺 本陣 大手門 などが在ります、参勤交代が通ったであろう街道は現在なんと、日本ロマンチック街道と言うそうです、まぁ~欧州ドイツのロマンチック街道の名付け親は日本人だそうですので、まぁ~いいかです
なお街道は上田を通り上山田温泉へと坂道が続き日本海に、北前船で小諸追分節が蝦夷地に渡り江差追分にでした、街道を征するものは天下を征するでした、
余談ですが横川の関所から軽井沢への碓氷峠は現在のバィパス道以外に旧街道&古の旧街道 旧旧街道と5本在ります、バイパス有料の時代、崖下に大型トラックが何台も転落している(大型トラックは道路渋滞を避けて夜明に江戸に着くように、1メ-トル先も濃霧で確認が出来ないのに速度を抑えない馬鹿どもがいました、また出発まえに寒さしのぎに一パイしっかけていた輩もいたそうです)無料の旧道&徒歩で旧旧道をと途中で道が無くなり軽井沢ゴルフ場にでました、また鉄道の特急あさま号でもと数知れず行き交かった事があります。