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2019-10-28 | 祭
屋根裏部屋に上がる、はしご階段です、山口県の萩に在る松下村塾にも行った事がありますが、中には入られませんので確認は出来ませんが、松陰先生が門下生のために木版印刷機で自ら刷った教科書用の印刷機が置いてあるそうです、
世田谷の松下村塾は複製ですので木版印刷機があるのか判りません
なお以前所有していました、長門木版印刷の松下村塾蔵版兵法武講緑の虫食いだらけの上下巻を、山鹿流兵法については出てきますが、佐久間象山に師事したのに陽明学については出てきませんし我流の研究がすみましたので手離しいまはありません、
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2019-10-28 | 祭
ド素人ですので違っているかもしれませんが、吉田松陰先生の考えは陽明学に近かったそうです、
それに対して、後醍醐天皇、楠木正成、徳川家康(江戸幕府は正学)、元禄14年(1704)赤穂事件の四十七士【吉良上野のホッペタを小判でなすておけば何百人も犠牲者がでなかったのにな~江戸家老の無能にはまいりますね】明治23年(1890)の教育勅語が下賜された影響か、ニ、ニ、六事件、満州事件の首謀者などは、 朱子学の熱心な信奉者だそうです、
今年も年末になると恒例の、討ち入りが始まるのかな~我が家と同じ丸に二引く家紋が虐められるのかな~、長野県の諏訪大社上社本宮の南隣に法華寺が在ります、被害者の吉良左兵衛義周の墓があります、寺の裏側のしっそりしたところにあります、加害者集団の墓は泉岳寺で毎日お線香がたえないのに(以前、四十六士が切腹した屋敷庭の跡地を廻った事があります)人知れず惨めな状態です、加害者を即、打ち首に出来なかった江戸幕府の腰抜けの終焉の始まりだったかな~です、
国立国会図書館蔵 聖教要録抜粋
山鹿素行は朱子学を批判していますが、根っこの部分は朱子学を基本精神に添えています、士の忠孝の相手は君子にあらず朝廷にあり、です、したがって四十七士は朱子学を元に他人様の家に押し入った狼藉者かもです、
松陰神社えは松下村塾の建物が参道脇にあり、しいの実を拾ってフライパンでしたが、今は、しいの実の木も無くなり、建物は境内の右奥に移転しています、何回も行った事がありますが、本日は松陰先生の墓どころには仏花が賑やかでした、維新祭りには今回、初めて行ってきました、会津白虎隊踊りも観たかったですが前日の土曜日のみでした、またの機会に何処かでです、