屋根の棟包み板に、橘と井桁家紋が、
宝珠満願叶獅子です
宝珠に乗っています、同じ宝珠でも伏見稲荷大社の狐様は宝珠と鍵などを口にくわえています、日本初の隅田川花火大会で本郷三丁目生まれであった今は亡きお袋は、たまや~ かぎや~です、世界でくだらない戦争をしていないで悪霊のウイルスを撃退して、さ~花火大会などのお祭りだ~です、
なお沖縄土産の我が家の一対(二頭)の玉乗りシーサ-も宝珠に乗っています、
彦根城にも行った事がありますが、池のある庭に入ろうとしましたが閉門の時間が迫り困っていましたら、
老齢の係の方が江戸より殿がお出で時間延長で入らせていただいた事があります、
夕闇が迫る庭から眺める天守閣は最高でした、
徳川家康は他の大名たちに、大名である井伊家にたいして、お手伝普請をさせ築城させました、
家康の正室は筑山殿です、井伊直平は自分の娘を今川義元に妾として差し出し、その後直平の娘が生んだ女性が築山殿だそうですが、確かな文献類が発見されていませんので判りませんが、家康が最高に信頼していたのは井伊家だった事は確かです、
大老とは大名家、執政機関の最高責任者群を差します、お恐れおおくも水戸斉彬は大老に刃向かいました、
井伊家からは大老職を7回輩出しています、
初代大老 井伊直孝 寛永9年(1632年)頃
井伊直澄 寛文8年~延宝4年(1668~1676年)
井伊直輿 元禄10年~13年 (1697~1700年)
井伊直護 宝永8年~正徳4年(1711~1714年)(直輿改め再任)
井伊直幸 天明4年~7年 (1785~1787年)
井伊直亮 天保6年~12年 ( 1836~1841年)
井伊直弼 安政5年~7年 (1858~1860年)
1603年 徳川家康が征夷大将軍になり武家政権の江戸幕府を創立し、1867年の大政奉還までの264年間、戦争はなく平和国家でした、井伊家は七代も執政最高機関の国務 総理大臣を務めた名門中の名門です、
なお彦根城博物館には、井伊直弼の指料の、太刀 粟田口一竿子忠綱、
脇差 中曾称興里入道乕徹が展示されています、勝手に迷探偵が判断しますと実戦むきの刀で、現実主義者の忠君愛国者かなです。