撮影をしたのは少し旧いですが思う事が有りましたので再編集してみました、上記の通り御上の公札によりますと加藤清正公の事しか記していません、またTVなどを観ていても細川忠利公が城内の石垣などを改造 修理 改良などを行なった事を観たことが有りません、出遅れた敗軍の将は兵を語らずですかね石垣の何処を改造したのか解りませんが、西南戦争の時に西郷隆盛軍が一兵も城内に入れず官軍に負けたのではない清正公に負けたのだとまことしやかに伝えられているそうですが馬鹿を言ううのもいい加減にせいですね小栗上野介など幕末頃まではいた一方の侍であれば言い訳などするわけがあるはずが無いと思います、なを清和源氏 足利氏の流れをくむ細川氏の家紋は 二つ引両 の二匹の龍が天に昇るです
撮影をしたのは少し旧いですが思う事が有りましたので再編集してみました、上記の通り御上の公札によりますと加藤清正公の事しか記していません、またTVなどを観ていても細川忠利公が城内の石垣などを改造 修理 改良などを行なった事を観たことが有りません、出遅れた敗軍の将は兵を語らずですかね石垣の何処を改造したのか解りませんが、西南戦争の時に西郷隆盛軍が一兵も城内に入れず官軍に負けたのではない清正公に負けたのだとまことしやかに伝えられているそうですが馬鹿を言ううのもいい加減にせいですね小栗上野介など幕末頃まではいた一方の侍であれば言い訳などするわけがあるはずが無いと思います、なを清和源氏 足利氏の流れをくむ細川氏の家紋は 二つ引両 の二匹の龍が天に昇るです