【権力への意志】
ニーチェは、世界の生成を「権力への意志」という哲学用語で、説明しました。権力への意志とは、全ての生起に内在している、ただ一つだけの創造的な力のことです。その力が世界の「運命」を決めています。権力への意志には、始めと終わりがありません。それは、常に在ったし、これからもあり続けるものです。権力への意志には、目的や起源がありません。 もし、それらがあるなら、すでに達成されていたからです。権力への意志は、個別具体的な存在ではありません。存在全体の根本的な「性格」のことです。
【エネルギー】
権力への意志は、一定量の力として「限界」と「形態」を持ちます。ニーチェは、それを物理学の「エネルギー」のようなものだと考えました。エネルギー保存の法則では、エネルギーは、相互に変換されます。ただし、その全体量は常に一定です。そのため、新たに生じたり、無くなることがありませんでした。権力への意志も、エネルギーと同様、ただ形を変えるだけです。ニーチェは、それが、この世界を作っているとしました。権力への意志とは、現実そのもののことです。この世界は、それ以外の何者でもないとしています。
【ディオニュソス】
権力への意志は、疲れを知らない活動的な「形成力」です。そのため、凝固停滞することがありませんでした。権力への意志は、永遠の生成の中に、常に自分自身を表現します。ニーチェは、権力への意志を、ギリシャ神話の酒神「ディオニソス」に例えました。ディオニソスは、永遠の破壊と再生を象徴する非道徳的な神です。そのため、世界を完成させようとしませんでした。ディオニソスとは、永遠の「生成の快楽」そのものだからです。その無尽蔵の創造力で、生成のうちで永遠に戯れていました。生成のうちにあっても、ディオニソスだけは、唯一変わらない同一のものです。ディオニソスは、人間を個別化の束縛から解放し、全てを一つにするとされています。
【生】
ニーチェは、普遍的な生を生きることによって、個人的な生を救う人間を「ディオニュソス的な人間」といいました。また、そうした生き方を「不死のために死せる」と表現しています。権力への意志とは「生」自身であり、生の根元的な創造力のことです。生は、生長欲を本質としており、より強いものになろうとします。それは、権力への意志を強めるものです。生は、権力への意志の「表現様式」として、無限の変容を体現しています。
【価値基準】
権力への意志は、ニーチェの新しい価値基準です。それまでの西洋哲学では、絶対的な評価基準があると想定されて来ました。しかし、価値とは、相対的なものであり、程度の差にすぎません。権力への意志は、何かを固定的に評価するのではなく、どれぐらいの「距離」が離れているかで判断します。全てのものに、それ自体の固有の価値はないからです。ニーチェは、絶対的な真理というものはなく、それぞれの解釈だけがあるとしました。この新しい価値の評価方法を「遠近法的解釈」と言います。その価値を決めるものは、権力量です。権力量によって順位が決まります。順位とは、権力の度合による位置関係のことです。そもそも世界には、相関関係による配置しかありません。 そこから、無数の解釈が生み出されています。ニーチェは、解釈もまた、力への意志の一つの形式だとしました。