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ニーチェの「権力への意志」

2023-09-23 09:53:00 | 西洋哲学

【権力への意志】 

 ニーチェは、世界の生成を「権力への意志」という哲学用語で、説明しました。権力への意志とは、全ての生起に内在している、ただ一つだけの創造的な力のことです。その力が世界の「運命」を決めています。権力への意志には、始めと終わりがありません。それは、常に在ったし、これからもあり続けるものです。権力への意志には、目的や起源がありません。 もし、それらがあるなら、すでに達成されていたからです。権力への意志は、個別具体的な存在ではありません。存在全体の根本的な「性格」のことです。 

 【エネルギー】 

 権力への意志は、一定量の力として「限界」と「形態」を持ちます。ニーチェは、それを物理学の「エネルギー」のようなものだと考えました。エネルギー保存の法則では、エネルギーは、相互に変換されます。ただし、その全体量は常に一定です。そのため、新たに生じたり、無くなることがありませんでした。権力への意志も、エネルギーと同様、ただ形を変えるだけです。ニーチェは、それが、この世界を作っているとしました。権力への意志とは、現実そのもののことです。この世界は、それ以外の何者でもないとしています。

 【ディオニュソス】 

 権力への意志は、疲れを知らない活動的な「形成力」です。そのため、凝固停滞することがありませんでした。権力への意志は、永遠の生成の中に、常に自分自身を表現します。ニーチェは、権力への意志を、ギリシャ神話の酒神「ディオニソス」に例えました。ディオニソスは、永遠の破壊と再生を象徴する非道徳的な神です。そのため、世界を完成させようとしませんでした。ディオニソスとは、永遠の「生成の快楽」そのものだからです。その無尽蔵の創造力で、生成のうちで永遠に戯れていました。生成のうちにあっても、ディオニソスだけは、唯一変わらない同一のものです。ディオニソスは、人間を個別化の束縛から解放し、全てを一つにするとされています。

 【生】 

 ニーチェは、普遍的な生を生きることによって、個人的な生を救う人間を「ディオニュソス的な人間」といいました。また、そうした生き方を「不死のために死せる」と表現しています。権力への意志とは「生」自身であり、生の根元的な創造力のことです。生は、生長欲を本質としており、より強いものになろうとします。それは、権力への意志を強めるものです。生は、権力への意志の「表現様式」として、無限の変容を体現しています。 

 【価値基準】 

 権力への意志は、ニーチェの新しい価値基準です。それまでの西洋哲学では、絶対的な評価基準があると想定されて来ました。しかし、価値とは、相対的なものであり、程度の差にすぎません。権力への意志は、何かを固定的に評価するのではなく、どれぐらいの「距離」が離れているかで判断します。全てのものに、それ自体の固有の価値はないからです。ニーチェは、絶対的な真理というものはなく、それぞれの解釈だけがあるとしました。この新しい価値の評価方法を「遠近法的解釈」と言います。その価値を決めるものは、権力量です。権力量によって順位が決まります。順位とは、権力の度合による位置関係のことです。そもそも世界には、相関関係による配置しかありません。 そこから、無数の解釈が生み出されています。ニーチェは、解釈もまた、力への意志の一つの形式だとしました。



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1 コメント

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マルテンサイト変態千年リスペクト (サムライ鉄の道グローバル)
2024-12-04 20:48:59
それにしても古事記はすごいよな。ドイツの哲学者ニーチェが「神は死んだ」といったそれよりも千年も前に女神イザナミ神についてそうかいてある。この神おかげでたくさんの神々を生まれたので日本神話は多神教になったともいえる。八百万の神々が出雲に集まるのは、国生み・神生みの女神イザナミの死を弔うためという話も聞いたことがある。そしてそこから古事記の本格的な多神教の神話の世界が広がってゆくのである。私の場合ジブリアニメ「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」「天空の城ラピュタ」などのの感想を海外で日本の先進的な科学技術との関連をよく尋ねられることがあった。やはり多神教的雰囲気が受けるのだろうか。
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