午前11時まで、何を撮影するか、迷いに迷った。一端出かけてしまって、途中で降られたらカメラの”保護”に困ってしまう。見れば、黒い雲が低く垂れ込めていて、いつ降り出してもおかしくない状態だ。今日の予報は”降ったり止んだり”。昭和の森(公園)なら雨宿りする場所はいくらでもある。小さなデジカメを一つを持ってバス停まで歩いた。時間を間違えて30分も早く付いてしまった。
どうも最近私は”人畜無害”の”動物”になってしまったのか、色々な人が話しかけてくる。「○×病院行きは何時ですか」と女性のご老人。「どちらへ行かれるのですか」と大きな鞄を抱えた男性のご老人。公園内では「このカメラ、レンズが引っ込まないのだけれど、どこが悪いのですか」と中年の女性。いやはや、見知らぬ人に話しかけられる。これは私にとっては、大きな変化です(以前にも描きましたが)。
バスは空いていた。冷房が効いて心地よい。私の横にあの男性のご老人が座った。「若いときは国民年金など馬鹿にして、ちょっと商売でもすれば、5万や6万は稼げるから、支払うのが馬鹿らしいと思っていたけれど、今となってみると、きちんと貰える年金が有り難い。」私は、変なヤツが隣に座ったものだな、席を移動しようかと思った。が、しかし、それはちょっと無礼だと思い直して話を聞いてあげることにした。
「だいたい、この歳になるまで生きるなんて思いもしなかった。85だからなぁ。もう働けと言われたって、何もできやしない。オカミ(国)は大変だけれど、きちんきちんと払ってくれる。有り難いなぁ。若い者(子供)に頼んだっていい顔をしないし、結局死ぬまで自分のことは自分でやるっきゃないのだ。」ここで話題が変わって「人間、指一本痛くても困る。目でも耳でも悪くなりゃぁ、病院通いでお金がかかる。この身体には無駄なものは何一つ付いちゃ居ない。俺は75才まで働いたんだ。60才で隠居をして楽な生活を送ったお金持ちの友達は皆死んでしまった。自慢じゃないけど、掃除洗濯炊事など全部自分でやっている。介護なんてお断りだ。」
話はこの先30分間、私が下車するまで延々と続いたのだった。大切な部分だけを端折って書いてあります。つまりこうなのだ。大事なことは老後の生活(年金制度の維持)と健康と独立独歩の3点に絞れると思います。写真の収穫はなかったけれど、大きな人生訓を拾うことができたのだった。

どうも最近私は”人畜無害”の”動物”になってしまったのか、色々な人が話しかけてくる。「○×病院行きは何時ですか」と女性のご老人。「どちらへ行かれるのですか」と大きな鞄を抱えた男性のご老人。公園内では「このカメラ、レンズが引っ込まないのだけれど、どこが悪いのですか」と中年の女性。いやはや、見知らぬ人に話しかけられる。これは私にとっては、大きな変化です(以前にも描きましたが)。
バスは空いていた。冷房が効いて心地よい。私の横にあの男性のご老人が座った。「若いときは国民年金など馬鹿にして、ちょっと商売でもすれば、5万や6万は稼げるから、支払うのが馬鹿らしいと思っていたけれど、今となってみると、きちんと貰える年金が有り難い。」私は、変なヤツが隣に座ったものだな、席を移動しようかと思った。が、しかし、それはちょっと無礼だと思い直して話を聞いてあげることにした。
「だいたい、この歳になるまで生きるなんて思いもしなかった。85だからなぁ。もう働けと言われたって、何もできやしない。オカミ(国)は大変だけれど、きちんきちんと払ってくれる。有り難いなぁ。若い者(子供)に頼んだっていい顔をしないし、結局死ぬまで自分のことは自分でやるっきゃないのだ。」ここで話題が変わって「人間、指一本痛くても困る。目でも耳でも悪くなりゃぁ、病院通いでお金がかかる。この身体には無駄なものは何一つ付いちゃ居ない。俺は75才まで働いたんだ。60才で隠居をして楽な生活を送ったお金持ちの友達は皆死んでしまった。自慢じゃないけど、掃除洗濯炊事など全部自分でやっている。介護なんてお断りだ。」
話はこの先30分間、私が下車するまで延々と続いたのだった。大切な部分だけを端折って書いてあります。つまりこうなのだ。大事なことは老後の生活(年金制度の維持)と健康と独立独歩の3点に絞れると思います。写真の収穫はなかったけれど、大きな人生訓を拾うことができたのだった。

前にもこういう体験されましたね。
あの時のお話といい今回のお話といい、人は話す相手を求めているんですね。
私は最近あまり人から声をかけられなくなっています。
以前の方がおおらかで人のいい雰囲気を持っていたのでしょうね。
今、気持ちにあまり余裕がない。それが表情や態度に表れてしまっているのでしょう。反省しなければ。
85歳で元気なお爺さん、おっしゃりたい事わかります。
人生の先輩の声としてそれをpoloさんを通じて私たちも聞かせて頂けた、感謝です。
それは、自然とにじみ出るものであって、温かさのある一つの人格だと思います。
その方のお話の内容も、現在社会の事実を鋭く突いていますね。
人は誰彼無しには、語りかけてくるものではなく、目に見えないご縁で、語りかけるもので、それが一期一会といえるのでしょうね。
コミュニケーションから得られること沢山ありますよね。
そうです、このご老人の話は身につまされました。子供が結婚してしまうと、全くの他人である相手方の両親がいるじゃないか、どうして、私なんかを援助する余裕があろうかと言う趣旨のことを話しました。そして、それを悲しむのではなくて、自分の力で将来を切り開くとも言いましたからね。85才でも、これほどのパワーが出るのだと驚きました。
poloさんの広い心がその言葉を包み込んだのだと思います。
自分のことだけで精一杯で余裕のない心であれば、同じ言葉を聞いても単なる自慢話にしか受け取れないかもしれません。いえそれ以前にその方の話を聞こうとはしないでしょう。
いついかなる時も余裕のある心を持つことは至難の業です。でも自分を見失うと人の心も見失う。そう考えさせられたお話でした。
poloさんは今、優しい穏和なオーラを出しているに違いありません。
穏やかな雰囲気は人を幸せにし、本音を吐露させるようです。
優しい温和なオーラが出ているとすれば、せいぜい精進してそれを無くさないように努めます。自分も老人なのだけれど、老人の話は貴重だなあとつくづく思ったのでした。
それを聞いてあげる事は大事ですね。
大体 私は聞き役です。
家では主人が聞き役ですが・・・?