上高地に入っての見所は何と言ったって下から順に、大正池、梓川、河童橋の三点。それに加えてて川沿いに歩いて上流へ上るにしたがって迫ってくる穂高連峰だろう。下にその順番で写真を掲載します。/font>
大正池は、大正4年の焼岳の大噴火によって梓川がせきとめられてできた池
梓川は槍岳を源流とする清冽な川。本来北からの渡り鳥であるマガモが通年留まり繁殖もする。つまり住み着いてしまったのだ。
河童橋の名前の由来ははっきりしない。昭和2年、芥川龍之介がこの橋の周辺を舞台にして、小説"河童”を書いたのが有名。
田代橋から臨む穂高連峰。三千メートル級の山々がずらりと並ぶ。多くの登山家を魅了して止まない。
大正池は、大正4年の焼岳の大噴火によって梓川がせきとめられてできた池
梓川は槍岳を源流とする清冽な川。本来北からの渡り鳥であるマガモが通年留まり繁殖もする。つまり住み着いてしまったのだ。
河童橋の名前の由来ははっきりしない。昭和2年、芥川龍之介がこの橋の周辺を舞台にして、小説"河童”を書いたのが有名。
田代橋から臨む穂高連峰。三千メートル級の山々がずらりと並ぶ。多くの登山家を魅了して止まない。
大正池・梓川・河童橋それに穂高連峰は、書物やテレビなどで良く知っておりますが、これほどはっきりとした写真で見るのは初めてです。まさに臨場感は満点だと思います。
こんな素晴らしい大自然の中に居ては、poloさんの日頃の憂さやストレスは、まさに「雲散霧消」で爽快感一杯でしょうね。
明日の写真がとても楽しみです。
やはり一番印象に残っているのがこの穂高連峰の清々しい美しさでした。雄大な穂高を見せて頂いて懐かしく当時を思い出しています。
マガモが住み着く梓川は、真夏も水温の低い川なのでしょうね。
世界に発信されるブログで、年齢、顔写真等の個人情報を公開するつもりは今後もございません。
私の年齢はpoloさんのご想像におまかせします。
ブログの一番の良さは、年齢、職業を越えたお付き合いができることと思っておりますので。
私も、上るにつれて眼前に迫ってくる穂高連峰が一番印象に残りました。圧倒されるほど神々しい姿です。登ったことは一度もないのですよ。いつもお話する通り、仕事人間でしたから、登山を楽しむことも知りませんでした。明日は、”ビーフシチュー”という未知なる世界に挑戦するかもしれません。
大正池の枯れ木も昔に比べるとずっと少なくなりましたね。
穂高はやっぱり素晴らしい山、私は西穂高にしか登っておりませんが・。
暑い自宅に帰りました。 明後日には また八ケ岳へ出掛けます。
案内本にも、大正池の枯れ木がすっかり少なくなったと書いてありました。昔を知らない私には、分かりませんが。
私は穂高のどれにも登っていませんが、その姿は素晴らしかった。これぞ山だと感じましたよ。
暑い中をお疲れ様でした。私もちらりと自宅に帰りたいとは思いますが、暑さのことを考えると、怯みます。明日は私にとっては全く新しい料理に挑戦するつもりです。では、またね。
以前雪の涸沢へ行った5月下旬のことでした。
河童橋を通った折、今しも雪の山岳登山合宿を終えたばかりの大学生が何人も、河童橋から喜びのあまり川へ飛び込んでいました。
ホントは飛び込み禁止だとは思いますが、
気持ちよさそうに、素早く流れて行きました。
真っ黒に日焼した顔には満足感の笑みが剥き出しでした。
多分この様な現象は芥川さんの頃からもあったのでしょうか、河童橋の由来がそんなところにもあるのかも知れませんね。
気持ち良さそうな空気がこちらにも伝わってきますよ。
私のような若輩者にも頭を下げられるその潔さにますます惚れました。
返って恐縮しています。こちらこそ今後とも変わりないお付き合いのほどお願いします。
明日から暑い大阪を脱出して山陰方面に遊びに行ってきます。このために盆休みを返上して仕事を消化しました。しばらくブログも休みますので、よろしくお願いします。