アメリカ生活の想い出

1987年から5年間アメリカで過ごし全く英語が出来ないのに、地元のお年寄りと知り合い学び楽しく過ごした記録です。

1994年の手紙

2012-09-20 22:55:29 | 旅行

1994年1月24日

Dear Friends,
 送って頂いた小包ありがとございました。
相撲カレンダーはとても珍しく、私は友人みんなに見せています。
新聞はとても変わっていて、日本語と英語の両方が同時に載っている新聞は見たことありません。
それに荷造りの包装もとても美しくとても興味があるので捨ててしまう気にはなりません。
MasakoさんがこられるとのことですがHisashiさんにもお逢いできたらと思います。
Sincely,
Charles

Masakoさんに会えることを楽しみにしています。
Lovingly,
Harriett


1994年3月4日

Dear Masako,
 貴方の来訪を心待ちしています。あなたが来ることをエレンさんに知らせようとしましたが電話番号やアドレスがわかりません。
もしよろしかったら21日にオアシスに昼食の予約をしましょうか。
長野はオリンピックですっかり有名になりました。
Lovingly,
Harriett

1994年4月6日

Dear Masako,
 ご来訪を心待ちにしております。
Hisashiさんから歯の治療についてお尋ねがありました。
私は下の歯にあちこち治療しなければならない箇所あります。たぶん4本インプラントすることになるでしょう。
インプラントのあと1~2か月、口がかなり傷みます。そこでMasakoさんのおいでのあとに延期しました。
今は費用が20,000ドル近くかかるので、他の方法をとらなければならないと考えています。
私は毎週月曜日はマージャンをしにオアシスに行きます。あなたはおそらくファッションアイランドで買い物したいと思っていると考えています。
こちらに来たときは何をしたいか教えてください。
Lovingly,
Harriett


3通の手紙は私がカリフォルニアに行くことを前もって知らせていたので会うのを楽しみにしています。
1994年4月14日~28日まで私一人でアメリカへ行きました。
最初はシアトルに行き、娘のところで3泊してから、国内便でサンジエゴへ行き、友人宅3泊して、サンジエゴの友人に自動車でハリエットさんの家まで送ってもらいました。
そのあと私の2人の知り合いの家にそれぞれ泊まり、ロスアンゼルスから日本に帰国しました。
ハリエットさんの家にいる間には、ハリエットさんの友人の家に行ったり教会に行ったりして3泊は瞬く間に過ぎました。
一回の夕食は私がテンプラを作ると、とても美味しいと喜んでいました。
チャールスさんがその後、真似をしてテンプラを時々作っていたようです。その時に撮ったお元気なお二人と泊まった部屋です。