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あの本能寺は今どうなっているか?_光秀と信長の夢の跡

2020年01月16日 | お寺・神社・特別公開
日本史上で最大のミステリーと言えば、ほとんどの人が「本能寺の変」をイメージするでしょう。
その舞台となった本能寺が、京都随一の繁華街の中で静かに現在もたたずんでいることは、あまり知られていません。
今年2020年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」でも、光秀と信長の人生最後の大一番の舞台として、今から注目を集めています。
そんな歴史的大事件の舞台の今を、お伝えしたくなりました。



寺町通側の総門


目次
  • 本能寺とは?
  • 本能寺の変は、現在地で起きたのではない
  • 信長と光秀の痕跡は今も残っているか?


 


本能寺とは?

みなさんは本能寺がどの仏教宗派に属する寺か、ご存じでしょうか?
本能寺は、京都で観光客が訪れる寺としてはあまり知られていない「日蓮宗」です。
日蓮宗の総本山は山梨県の久遠寺(くおんじ)にあり、京都の日蓮宗寺院で行われる有名な祭りや季節の花が少ないことが知名度が低い一因でしょう。
しかし日蓮宗は、京都の町衆から絶大な人気を誇る宗派なのです。
日蓮宗の個性や人気の秘密は以前にこのブログでも紹介しています、こちらもぜひ。

日蓮宗において京都で初めて天皇の勅願時となった妙本寺(現:妙顕寺)の日隆(にちりゅう)が、師との意見対立で独立し、室町時代半ばの1415年に創建したのが本能寺です。
その後の戦乱や宗教対立で幾度も破却を繰り返しますが、町衆の強い信仰に支えられ、常に迅速に再建されてきました。
信長の時代には皇族出身の住職・日承(にちじょう)の下で、京都の寺でも有数の繁栄を誇るようになります。



本能寺の信長の墓


本能寺の変は、現在地で起きたのではない

これも京都人以外にはあまり知られていませんが、本能寺の変の頃は現在の河原町御池から1.5kmほど南西方向の四条堀川付近にありました。
当時は140m四方の巨大な境内の周囲が濠と塀に囲まれており、あたかも城のような風格です。
戦国時代の日蓮宗は度々、延暦寺や本願寺との抗争を繰り返しており、城のように防御を固めるのは珍しくなかったと考えられます。

「信長は本能寺を京都滞在時の定宿にしていた」と一般的に言われていますが、実際にはわずか数回しか宿泊していません。
信長が約20回宿泊し、定宿と呼ばれるのにふさわしいのは妙覚寺です。
本能寺の変の当日は、嫡男・信忠が宿泊していました。
「本能寺の変」ではなく「妙覚寺の変」になっていた確率の方が、実は高かったのです。



油小路蛸薬師南入る、本能寺跡の石碑


本能寺の変の際の旧境内地の住所は「元本能寺町」で、今は廃校になりましたが「本能小学校」もありました。
京都では創建時から一度も境内地を変えていない寺はほとんどなく、昔あった寺や施設の名前が住所になっているところは多数あります。
1,200年の悠久の歴史の痕跡が、今にきちんと伝えられていることを物語るエピソードです。


信長と光秀の痕跡は今も残っているか?

本能寺が、変で全焼した境内地の再興をはかる際、秀吉の都市計画に従って移転したのが現在地です。
移転当初は北側の御池通りや京都市役所も含む広大な境内でしたが、明治政府が強制的に寺の土地を没収した上知令(あげちれい)により、ほぼ現在のようなコンパクトな境内になりました。



河原町通りに面した裏門


境内には本堂と塔頭の他、信長の墓と共に、江戸時代後期の文人画家・浦上玉堂の墓もあります。
信長の墓は京都各所にありますが、常時参拝可能で知名度も高いため、本能寺を訪れる人が最も多いようです。
境内にある「大賓殿宝物館」では、信長ゆかりの品も展示されており、信長が過ごしていた痕跡を確かめることができます。
本能寺の変の際には、信長がいつも持ち歩いていた四つ目の「曜変天目茶碗」が、信長と運命を共にしたとされています。
これも美術品の宿命ですが、「生きながらえていれば」と思うばかりです。

【寺公式サイト】 大賓殿宝物館の展示品

一方、光秀の痕跡は全くありません。
「大切な客・信長を葬り去り、境内を全焼させたので伝世しないのは当然」と言われれば反論できません。
日本史上最大のミステリーの舞台だけに、期待感は否応なく高まります。



御池通り沿いのホテル本能寺


本能寺の表門は、秀吉が寺を集めた「寺町通」に面しています。
繁華街の河原町通りから入れる裏門は、あたかも勝手口のように小さく目立ちません。
御池通に面した境内地は、寺が経営する「ホテル本能寺」のビルになっており、背後に寺があるとは誰も気付かないでしょう。

京都随一の繁華街の喧騒は、境内に足を踏み入れると不思議なことに全く耳に入りません。
パワースポットに入ってきたような感覚すら頭をよぎります。
信長が400年以上、境内にやって来る人を見つめているのでしょうか。

大河ドラマ「麒麟がくる」で、本能寺がどのように描かれるのか、今から楽しみです。


こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



戦国時代小説の第一人者・安部龍太郎が見た本能寺の変の背景


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利用について、基本情報

<京都市中京区>
法華宗本門流 大本山
本能寺
【公式サイト】http://kyoto-honnouji.jp/

原則休館日:なし
入館(拝観)受付時間:6:00~17:00

※公開期間が限られている仏像や建物・美術品があります。
※公開されていない仏像や建物・美術品があります。
※この寺の境内は観光目的で常時公開されています。



◆おすすめ交通機関◆

京都市営地下鉄・東西線「京都市役所前」駅下車、改札口直結の地下街「ゼスト御池」1~5番出口から徒歩2分
京阪電車「三条」駅下車、7番出口から徒歩5分
阪急電車・京都線「京都河原町」駅下車、3,6番出口から徒歩10分

JR京都駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:15分
京都駅→地下鉄烏丸線→烏丸御池駅→地下鉄東西線→京都市役所前駅

【公式サイト】 アクセス案内

※この施設には有料の駐車場があります。
※渋滞/駐車場不足により、健常者のクルマによる訪問は非現実的です。


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黄不動の彫像、世界最古のビザ_大津 三井寺の至宝が特別公開

2019年10月19日 | お寺・神社・特別公開

大津市の三井寺(園城寺)で、天皇陛下ご即位記念の特別参拝・公開が行われています。
 国宝の仏画・黄不動を模した、まばゆい輝きを放つ「金色明王立像」や、世界最古のビザで知られる国宝など、三井寺が誇る至宝にたっぷりとお会いできます。
 紅葉もとてもいい感じです。





 目次

  •  日本有数の苦難に見舞われながらも、日本有数の至宝を伝える
  •  幻想的な金堂内陣で、黄不動尊にお会いできる
  •  文化財収蔵庫にも国宝が勢揃い



 日本有数の苦難に見舞われながらも、日本有数の至宝を伝える

 中世の延暦寺との抗争や、秀吉による謎の闕所(けっしょ、寺領没収)など、三井寺は数々の苦難を乗り越え生き抜いてきたことから「不死鳥の寺」と呼ばれています。

 延暦寺との抗争では数十回以上焼討にあっていますが、開祖の智証大師・円珍(ちしょうだいし・えんちん)が中国から持ち帰った経典や大切な仏像を、その都度避難させています。
 三井寺は中世では常に、藤原氏・源氏・足利氏といった時の権力者と良好な関係を築いていました。
 時の権力者にとっては扱いが厄介な延暦寺を、けん制する思惑もあったと思われます。
 焼討後に伽藍の復興が都度進んだのも、こうした権力者による庇護があったためでしょう。

 秀吉による闕所の際も、国宝の智証大師像や黄不動尊などの三井寺の至宝は京都に避難させ、難を逃れています。
 闕所は3年で解かれ、三井寺を不憫に思った高台院の寄進で、現在の国宝の金堂が再建されます。
 現在の寺観は、ほぼこの頃に整えられたものです。

 寺の宝を守り続ける不屈の精神が、日本トップクラスの文化財の質と量を誇る現在の三井寺を形作りました。
 今回特別公開される至宝には、そんな苦難を生き抜いてきた「生命力」が備わっているように感じてなりません。





 幻想的な金堂内陣で、金色明王にお会いできる

 特別公開には複数のプログラムが用意されていますが、期間を通して行われるのは「金堂内陣」「文化財収蔵庫」の2か所だけです。
 金堂の内陣は絶対秘仏の本尊・弥勒菩薩を安置する最も神聖な場所であり、普段は公開していません。
 金銅の室内で通常拝観できるのは、内陣をぐるりと一周する外陣だけです。

 【特別公開公式サイトの画像】 「黄不動尊立像」「護法善神立像」三井寺

 その内陣には、いずれも重要文化財の「金色不動明王(黄不動尊)立像」「護法善神立像」が安置され、両秘仏との結縁(けちえん)の儀式を受けた後に、お会いすることができます。

 護法善神立像(ごほうぜんしんりゅうぞう)は智証大師の守護神で、母のような女神としてあがめられてきました。
 平安時代末期の造立ですが、中国風の衣装には彩色がかなり残っています。
 穏やかな女性のお顔立ちで祈る者を見つめる姿は、キリスト教のマリア像のようです。
 普段は、子供の成長を祈る5月中旬の千団子祭の1日しか公開されません。

 黄不動尊立像(きふどうそんりゅうぞう)は、日本の仏画の最高傑作の一つで、三井寺が最も大切にする至宝でもある国宝・黄不動を模して鎌倉時代に彫像されました。
 私は仏画の黄不動にもお会いする機会を得たことがありますが、この彫像は本当に仏画とそっくりです。
 それどころか、彫像であるため立体感がわかりやすく、荒々しさと美しさを兼ね備えた黄不動尊の見事なプロポーションがよりわかりやすくなっています。
 不動明王としての神秘性をことさら増す金色のボディの輝きは、内陣の光が抑えられた空間の中では、まるで後光がさしているようです。
 黄不動尊も智証大師の守護神で、中国へ渡る途上の危機の際に現れ、智証大師を救ったと伝えられています。
 普段は、今回の特別公開の対象となっている国宝・智証大師像と共に唐院大師堂に安置されていますが、定期的な公開は行われていません。
 今回の特別公開はとても貴重な機会になりました。



 唐院の潅頂堂と三重塔


 智証大師ゆかりの建物と文化財を収蔵する唐院エリアは少し高台にあり、三井寺にとっては金堂と共に最も神聖なエリアです。
 今回の特別公開では11/16~12/8の期間限定で、重文の潅頂堂・三重塔に加え、初公開となる長日護摩堂の3つの堂宇が公開されています。
 潅頂堂は後水尾天皇、三重塔は徳川家康が寄進したものです。
 桃山・寛永文化の優美な趣が、借景の山の緑と青い空にとてもよく映えています。



 文化財収蔵庫に展示される国宝の解説パネル


 文化財収蔵庫にも国宝が勢揃い


 文化財収蔵庫は、三井寺の寺宝の常設展示施設です。
 普段は国宝・勧学院客殿の狩野光信筆の重文・障壁画の”本物”を中心に展示が行われていますが、今回の特別公開では2点の「至宝中の至宝」が、展示に加わっています。
 いずれも智証大師が中国から持ち帰ったもので、国宝です。

 【特別公開公式サイトの画像】 「五部心観」「越州都督府過所&尚書省司門過所」三井寺

 1点目は「五部心観(ごぶしんかん)」です。
 9cに唐で造られた現存世界最古の金剛界曼荼羅で、繊細な墨線で金剛界を構成する諸尊をとても緻密に描いています。
 諸尊を供養する僧の描写もとても写実的で、唐における絵画表現のレベルの高さを実感できる傑作です。

 2点目は「越州都督府過所&尚書省司門過所」で、世界最古のビザ(査証)として知られています。
 円珍が平安時代半ばの855年に長安に向かう際に、越州と尚書省の2か所で現地の官吏から発給された過所(かしょ)です。
 交付した官庁名と旅行者名、目的地、旅行目的、発給日が記載されており、通行許可証として現代のビザと同じ体裁です。
 約1,200年前です。世紀の大珍品です。





 三井寺はいつ訪れても、建物や仏像をはじめさまざまな文化財の質の高さには感銘を受けます。
 今回の特別公開でも、訪れる者は100%、心を豊かにして家路につくことになるでしょう。

 こんなところがあります。
 ここにしかない「空間」があります。



 淡交社の古典的名著「古寺巡礼」シリーズ


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 利用について、基本情報

 <滋賀県大津市>
 園城寺(三井寺)
 ご即位記念 「秘仏結縁」
 【寺による行事公式サイト】

 特別ご開扉 国宝・金堂内陣参拝(会場:金堂)
 特別公開 三井寺の至宝(会場:文化財収蔵庫)
   会期:2019年10月1日(火)~12月8日(日)

 特別公開 国宝・勧学院客殿(会場:勧学院)
   会期:2019年10月1日(火)~10月20日(日)

 特別ご開帳 国宝・智証大師坐像(中尊大師)(会場:唐院大師堂)
   会期:2019年10月29日(火)〜11月4日(月)

 特別公開 重文・唐院潅頂堂、長日護摩堂、重文・三重塔(会場:唐院)
   会期:2019年11月16日(土)~12月8日(日)

 以下、共通
   原則休館日:なし
   入館(拝観)受付時間:8:00~17:00、「三井寺の至宝」は8:30~16:00

 ※この特別公開は定期的に行われるものではありません。

 園城寺(三井寺)
 【公式サイト】http://www.shiga-miidera.or.jp
 【寺による観光公式サイト】http://miidera1200.jp/



 ◆おすすめ交通機関◆

 京阪石山坂本線「三井寺」駅下車徒歩10分、「大津市役所前」駅下車徒歩10分

 JR京都駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:40分
 京都駅→JR湖西線→大津京駅→京阪石山坂本線→大津市役所前駅

 【公式サイト】 アクセス案内

 ※この施設には有料の駐車場があります。
 ※現地付近のタクシー利用は事前予約をおすすめします。


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世界最高峰の天平彫刻と静かに向き合える_東大寺 戒壇堂 四天王

2019年07月05日 | お寺・神社・特別公開

奈良の東大寺には、大仏以外にもたくさんの国宝の美仏がいらっしゃいます。大仏が圧倒的に有名なだけに影に隠れてしまっており、奈良時代の天平彫刻の最高傑作である戒壇堂(かいだんどう)の国宝・四天王ととても静かにお会いすることができます。

  • 天平時代に隆盛した写実表現が完成の域に達した最高傑作、まるで人肌のぬくもりを感じさせる
  • 観る者を鋭く見つめる瞳には包容力もある、仏法の守護神の表情として最高の造形
  • 戒壇堂は大仏殿や法華堂(三月堂)と比べて参拝者はかなり少なく、とても静かな空間でお会いできる


戒壇堂の四天王にお会いすると、誰もが「仏様から見つめられている」と感じます。「睨み付けられている」とは感じる人はおそらくおらず、誰もが虜になります。世界レベルの美仏を独り占めするような空間が、戒壇堂にあります。



東大寺の戒壇堂は、中国から鑑真が平城京に到着した直後の755(天平勝宝7)年に、国家が公式に僧侶であることを認定する受戒(じゅかい)を行う施設・戒壇院として建立されました。戒壇はその後、大宰府の観世音寺と下野の薬師寺にも設置され、律令国家として僧侶を管理するシステムが整うようになります。

東大寺では現在「戒壇堂」と呼んでいますが、建立当初は「戒壇院」でした。「院」とは塀で囲まれた施設を指すため呼び名としては「院」の方が正しいと思われます。国家が管理する東大寺の戒壇院は平安時代になると徐々に有名無実になっていったことに加え、平安時代末期の平重衡の兵科で大仏殿と共に創建時の戒壇院は全焼します。

明治になると戒壇が完全に行われなくなったこともあり、江戸時代半ばに再建された現在の堂宇を「戒壇堂」と東大寺では呼んでいます。



【東大寺公式サイト】 境内案内図.pdf

戒壇堂は南大門から正面に大仏殿を見た場合、左側(西側)にあります。法華堂(三月堂)や二月堂といった著名な堂宇がある右側(東側)に比べ、西側を訪れる人はかなり少ないのが現状です。メディアでの露出が少ないためと思われますが、西側には戒壇堂を始め世界レベルの文化財の宝庫がたくさんあり、多くが常時拝観できます。


西側には国内外の団体観光客はほとんどいないこともあり、大仏殿の喧騒とは打って変わった静かな空間を体験できます。欠点とすればただ一つ、餌をくれる観光客が少ないため、鹿はあまりいません。

東大寺は現在、大仏殿/法華堂/戒壇堂/東大寺ミュージアムの4か所の拝観が有料ですが、大仏殿&ミュージアムの組み合わせを除いて一枚ですべてを拝見できるセット券が発売されていません。これも戒壇堂の参拝者が少ない要因の一つです。


近鉄奈良駅から依水園を通り戒壇堂へ向かう道

戒壇堂はとても小さなお堂です。堂内には須弥壇があり、中心にある多宝塔を囲むように四隅に四天王が安置されています。須弥壇の周囲を一周して拝観することができ、かなり近い位置で四天王の造形の美しさを味わうことができます。照明もLED化されており、以前に比べると明るく見やすくなっています。

四天王の配置は、須弥壇の正面に向かって右下隅の東南角を起点に、東:持国(じこく)天→南:増長(ぞうちょう)天→西:広目(こうもく)天→北:多聞(たもん)天の順です。「じ→ぞう→こう→た」と覚えます。配置の関係上、持国天と増長天は正面が、広目天と多聞天は背面が間近に見えます。

【JR東海 うましうるわし奈良 キャンペーン・ポスターの画像】 東大寺 戒壇堂 四天王
 ※ポスター配置 左上:持国天、右上:増長天、左下:広目天、右下:多聞天

四天王はいずれも160cmほどの像高で、ほぼ等身大であることがリアル感をより高めています。日本の仏像では珍しくボディが白いことも、生身の人間のように感じさせます。大道芸で見かけるスタチュー or マネキンと呼ばれる「人間がポーズをとったまま全く動かない」芸に遭遇したようにも感じるほどです。

ボディが白いのは、この像が粘土で造形する塑像(そぞう)だからです。造形当初はド派手な彩色が付けられていましたが、現在では彩色はほとんどなくなり、地肌の色が露出しています。

漆を固めて作る乾漆像(かんしつぞう)と並んで奈良時代に集中して見られる仏像制作の手法です。乾漆像は制作費が高いため、本尊のような中心となる仏像に、塑像は制作費が安いため、四天王のような脇侍となる仏像に多く見られます。

前面に配置される持国天は刀、増長天は戟(げき)と呼ばれる棒状の武器を持っており、衛兵のように上から見下ろすような表情に造られています。後方に配置される広目天は筆と巻物を持ち、多聞天は宝塔と宝棒を持ち、先生のように正面から観る者を見つめます。

お堂の中では他の参拝客が誰もいないこともよくあります。正面に立つと一切の音がしない空間で四天王から見つめられていることに気付きます。この瞬間に四天王の美しさの虜になります。鎌倉時代の運慶による興福寺・北円堂の無著・世親像と並んで、日本彫刻が世界に誇る傑作であることを実感する瞬間でもあります。



戒壇堂の四天王は創建当初のものではありませんが、いつから安置されているのかはよくわかっていません。近年の調査では法華堂の須弥壇にのこされた仏像安置の痕跡と戒壇堂の四天王の台座の形が一致することが確認されており、元は法華堂にあったとする説が有力になっています。

四天王と並ぶ東大寺の至宝であり、東大寺ミュージアムに安置されている塑像の日光・月光菩薩とも作風は似ており、同じ工房で造られた可能性も指摘されています。

東大寺では最新の防災設備を備えた東大寺ミュージアムに、塑像を中心とした壊れやすい仏像を移しています。塑像でまだ移されていないのは戒壇堂の四天王と法華堂の執金剛紳だけです。法華堂の執金剛紳は厨子に入った秘仏で、年一日しか公開されない東大寺の最重要仏像の一つであり、移されることは考えにくいでしょう。

戒壇堂の四天王はそもそも現在の戒壇堂にある事情がよくわからないこともあり、安全な安置場所に移す障害は少ないと思われます。塑像は地震による転倒で粉々になるリスクを最大限警戒しなければなりません。

私個人的には、知名度の低い戒壇堂拝観をセット券に含めない状態にしているのは、東大寺ミュージアムに移す日が近いのではないかと期待しています。仏像との距離が近く堂内が狭いため、多数の拝観者が詰めかけると困るという事情だけではないような気がします。

初めての方も、久しぶりの方も、次に奈良に行く機会にはぜひ戒壇堂を訪れてみてください。世界最高レベルの彫刻を前にして至福の時間が過ごせること、間違いありません。

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



通常の拝観では体験できない一瞬の表情をとらえた写真集
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<奈良県奈良市>
東大寺
戒壇堂
【東大寺公式サイトの案内】 戒壇堂

原則休館日:なし
開館(拝観)受付時間:7:30~17:30(11-3月は8:00~17:00)

※この堂宇は観光目的で常時公開されています。



おすすめ交通機関:
近鉄奈良線「近鉄奈良」駅下車、東改札C出口から徒歩20分
JR大阪駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:東大寺まで1時間20分
JR大阪駅→JR環状線→鶴橋駅→近鉄奈良線→近鉄奈良駅

【公式サイト】 アクセス案内

※この施設に駐車場はありません。※道路の狭さ/渋滞/駐車場不足により、健常者のクルマによる訪問は非現実的です。


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里山風景の中に美少年のような十一面観音_京田辺 観音寺

2019年06月04日 | お寺・神社・特別公開

美仏と古刹の隠れ家を探る南山城シリーズ第二弾は、京田辺の同志社大学のキャンパスの裏にひっそりと佇む観音寺(かんのんじ)です。里山風景に溶け込む本堂の風景と、国宝の十一面観音の際立つ美しさが魅力の古刹です。

  • 飛鳥~平安時代はかなりの大寺院だった、関わった著名人の名前が物語る
  • 往時を伝えるのは十一面観音のみ、積み重ねた時間が美仏をさらに美しくしているよう


駅から距離はありますが、歩くことをおすすめします。里山風景の中の季節の花と緑の美しさをたっぷりと味わえます。


緑に囲まれた美しい境内

観音寺は伝承によると、創建時からビッグネームが連発です。創建は飛鳥時代の実力者・天武天皇の勅願です。開山は、岡寺を創建し、玄昉/行基/良弁を弟子に持つ法相宗の高僧・義淵(ぎえん)です。その後一旦衰退しますが、聖武天皇の勅願で、大仏を造立し東大寺の初代別当・良弁(ろうべん)が再興します。

続けて東大寺二代別当で、お水取りを始めた実忠(じっちゅう)が入寺し、壮大な伽藍を整えます。名前を見るだけで奈良時代トップクラスの厚遇を受けていたことがうかがえます。藤原氏の庇護を受けたことで平安時代にまでは栄えていましたが、戦国時代には現在のように本堂をのこすだけになります。

平安時代の頃までは、現在の地名にもなっている普賢寺(ふけんじ)と呼ばれていたようです。京都や奈良で地名に寺名が残っていることは、その昔にかなり有力な寺があったことを意味します。観音寺の通称:大御堂も昔は小御堂があったことを意味します。本尊の十一面観音は高価な木心乾漆造であり、有力な寄進者がいないと存在しません。”兵どもが夢の跡”のように往時の壮麗さがしのばれます。


十一面観音は、聖林寺像に似ている

国宝の十一面観音立像は、奈良時代半ばの天平の頃の造立で、良弁の頃から安置されていたと考えられています。像高はほぼ等身大で、引き締まったボディにかすかにくびれがあり、美少年のようなセクシーさをたたえています。お顔は若々しく、鼻筋が通っていて端正なマスクです。日本有数の美仏であることは間違いありません。

美仏として名高い奈良・桜井・聖林寺の十一面観音立像と確かに雰囲気は似ています。聖林寺像は観音寺像よりやや背が高く、ボディは均整がとれています。観音寺像に比べ大人のスーパーモデルという形容ができます。どちらがより魅力的に見えるかは人次第です。ぜひお二方の美仏にお会いください。

観音寺の周囲は豊かな緑に囲まれており、境内の佇まいをナチュラルに彩ります。黄色で埋め尽くされる菜種畑と桜が美しい春、新緑が輝く初夏、紅葉の秋、と四季を通じて素晴らしい里山風景が楽しめます。紅葉シーズンにはライトアップも行われています。

同志社大学のキャンパスが近いですが、赤レンガの建物が杜の緑に溶け込んでおり、里山風景ともしっかりと調和しています。大自然と日本有数の美仏を一緒にお楽しみください。

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。


蟹満寺と観音寺の魅力をたっぷりと

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<京都府京田辺市>
観音寺
【京田辺市観光協会サイト】 大御堂観音寺

原則休館日:なし
入館(拝観)受付時間:9:00~17:00

※この寺は観光目的で常時公開されています。



◆おすすめ交通機関◆

JR学研都市線/近鉄京都線「三山木」駅下車、西口から徒歩30分
三山木駅から奈良交通バス「普賢寺」下車、徒歩3分

JR京都駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:1時間~1時間15分
京都駅→近鉄京都線→奈良交通バス90/91系統→普賢寺

※バスは本数が少ないため、事前にダイヤを確認の上、利用されることを強くおすすめします。
※この施設には無料の駐車場があります。
※現地付近のタクシー利用は事前予約を強くおすすめします。


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南山城に不思議な魅力の白鳳仏_カニがいっぱい蟹満寺

2019年06月03日 | お寺・神社・特別公開

京都と奈良の中間にある南山城エリアは、仏像を中心に国宝・重要文化財が多数の古刹に伝わります。近年注目を浴びていることもあり、少しずつご紹介していきたいと思います。トップバッターは蟹満寺(かにまんじ)です。

  • 白鳳時代の国宝・釈迦如来坐像は黒光りしたボディが美しく、やや強面に見えるお顔が印象的
  • 今昔物語集「蟹の恩返し」伝承が伝わり、全国のカニ料理関係者の聖地になっている


里山風景の中、心和む境内で個性的な仏様にお会いできます。ピクニックのように散策を楽しむことができます。


蟹満寺のピカピカの本堂


南山城ってどこ? どう読む?

京都と奈良の間、宇治よりも南側のエリアは、旧国名にちなんで南山城(みなみやましろ)と呼ばれます。行政上の区分ではなく観光で用いられる概念です。自治体では京田辺市/城陽市/綴喜郡の二町/木津川市/相楽郡の三町一村が該当します。

京都市よりも奈良市の方が近いため、奈良県と思われがちですが、大阪湾に流れ込む木津川の流域はすべて山城国で現在の京都府です。奈良からすぐのJRの木津駅や加茂駅も京都府です。大阪には奈良経由で向かう方が便利なこともあり、このエリアのバス路線は主に近鉄グループの”奈良交通”が運行しています。かなりトリビアなエリアです。

京都市の南側でも、宇治氏は平等院、八幡市は石清水八幡宮と、全国的に著名な観光スポットがあるのに比べ、南山城地域はそうしたスポットには恵まれません。京都と奈良の間に位置することから古刹は多く、仏像を中心に国宝や重要文化財がまさにゴロゴロあります。

近年は京都や奈良市内の観光案内所でも「南山城」と題した観光パンフレットをよく見かけるようになっています。京都や奈良から電車で30分ほどのところに里山の原風景が拡がり、古刹が点在しています。まだまだ観光客は少ないため、国宝の仏像を独り占めするようにお会いすることもできます。まさに京都・奈良の隠れ家的スポットです。


カニだらけの境内に釈迦如来がでんと鎮座

蟹満寺は、発掘調査から飛鳥時代には創建されていたと推定されている古刹です。寺の歴史はよくわかっていませんが、江戸時代半ばに再興されています。この再興時の本堂は老朽化のため2010年に建て替えられました。白木の香りが漂うがごとくピカピカです。境内は扁額/灯篭/寺紋とまさに境内はカニだらけです。

むか~しむかし、村人に捕まった蟹を魚と交換して逃がしてやった娘がいました。娘の父は蛇に飲み込まれようとしているカエルを不憫に思い「娘を嫁にやるから」と思わず言ってしまい蛇を立ち去らせます。

怖がった娘が厨子に隠れて観音様に祈っていると、再び現れた蛇は娘を奪おうと厨子を壊し始めます。そこに蟹が現れてハサミで蛇と戦い、娘を助けます。父娘は観音様に感謝し、蛇と蟹の霊を弔うためにお堂を立て観音様を祀りました、とさ。

毎年4月18日には全国から飲食店や旅館などカニ料理関係者が集まる「蟹供養放生会(ほうじょうえ)」が行われます。カニに感謝しサワガニを放流しています。カニをキャラクターとするアニメ/ゲーム/映画、何が登場するかはわかりませんが、ブレイクすれば蟹満寺はカニの聖地として一躍脚光を浴びる可能性があります。

本尊の国宝・釈迦如来坐像は、ピカピカの本堂にでんと鎮座していますが、なぜか違和感がありません。金銅が黒光りしていることから、時代を経たものに見えにくいためと思われます。ピカピカの薬師寺金堂に鎮座する薬師三尊と同じ原理でしょう。

像高は2.5mもあり、目線が鋭くお顔が強面に見えることからかなり迫力があります。お顔のイメージとは逆に細い指の優美さは際立っており、ひだの紋様のラインは薬師寺の薬師三尊に似て、とても美しく感じます。全体として不思議な印象を受けますが、個性的で記憶に残る仏様です。

この本尊・釈迦如来坐像は創建時期と制作時期は矛盾しませんが、創建当初から蟹満寺にあったものかはわかっていません。「蟹の恩返し」伝承に基づくと本尊は観音になりますが、寺内に観音はありません。

創建にしろ仏像にしろ、謎が多い寺ですが、国宝の釈迦如来の個性は際立っています。あちこちにあるカニの意匠を見ると、どこか心が和みます。ぜひ訪れてみてください。

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。


木津川沿いの文化遺産をたっぷり吸収

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<京都府木津川市>
蟹満寺
【京都府観光連盟サイト】 蟹満寺

原則休館日:4/18
入館(拝観)受付時間:8:00~16:00

※この寺は観光目的で常時公開されています。
※法要の都合で拝観できない日があります。



◆おすすめ交通機関◆

JR奈良線「棚倉」駅下車、徒歩20分

JR京都駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:1時間10分~20分
京都駅→JR奈良線→棚倉駅

※平日のみ木津川市コミュニティバスが棚倉駅から出ています。本数が少ないため事前にダイヤをご確認ください。
※この施設には無料の駐車場があります。
※現地付近のタクシー利用は事前予約を強くおすすめします。


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福岡 宗像大社_大陸との交流が封印された沖ノ島は素晴らしい世界遺産

2019年06月01日 | お寺・神社・特別公開

2017年に世界遺産に登録されたことが記憶に新しい宗像(むなかた)大社、なかなか機会がつくれませんでしたが、ようやく総社である辺津宮(へつぐう)を訪れることができました。神宝館(しんぽうかん)で展示されている沖ノ島の祭祀遺跡からの出土品の輝きと工芸の美しさには、まさに驚愕します。よくぞ作った、よくぞ残した、の一言に尽きます。

  • 宗像大社は伊勢神宮/出雲大社と並ぶ「道の神」の最高峰、大陸との航海の安全を司った
  • 出土品は大陸との交流が盛んだった古代の最先端文化を今に伝え、海の正倉院の呼び名にふさわしい
  • 出土品は8万点におよび、神宝館の展示は質量とも濃厚、古代史の博物館では日本最高峰


辺津宮の境内は伊勢神宮/出雲大社ほど大きくありませんが、道の神としてのパワースポット感はとても強いものがありました。古代からの信奉がしっかりと蓄積されていることを強く感じます。


拝殿手前の握舎の長い木の屋根がナチュラルで印象的

宗像大社の祭神は「宗像三女神」で、天照大神から大陸と結ぶ海の道に降臨して道中の安全を司るよう命じられた三人の女神です。朝鮮半島や大陸との交流は、始まった時期は決められないほどに古くから続いてきたと考えられ、宗像三女神の神話も自然発生的に現れてきたものでしょう。宗像三女神を祭神とする神社では他に、広島の厳島神社が知られています。

宗像大社は総社である辺津宮から一直線に、約10km沖合に浮かぶ大島の中津宮(なかつぐう)、さらに約50km先の玄界灘のど真ん中に浮かぶ絶海の孤島・沖ノ島の沖津宮(おきつぐう)の三社が並んでおり、宗像三女神がそれぞれ祀られています。沖ノ島のさらに145km先には釜山があり、対馬と並んで沖ノ島は、海上交通の重要なルート上にあることがわかります。

【世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群公式サイト】 沖ノ島と古代祭祀

沖ノ島では古墳時代の4cから平安時代前期の10cまで大々的な祭祀が行われており、遣唐使廃止までの大陸との交流が盛んだった時期とほぼ一致します。沖ノ島は島全体が御神体とされ、上陸厳禁/女人禁制/男性も上陸前に禊/自然物の持ち出し一切不可、という厳格な掟が今も守られています。

この鉄の掟が沖ノ島の遺跡や自然を手つかずのまま保存することにつながりました。現在は神職一人が10日交替で奉仕しており、船舶の寄港も暴風時の緊急避難以外は認められていません。日本にはパワースポットなるものはいくつもありますが、沖ノ島はその究極です。


辺津宮大鳥居、麻生太郎元首相の曾祖父の寄進

辺津宮に到着すると最初に巨大な駐車場に驚かされます。巨大な理由はすぐにわかりました。交通安全祈願にマイカーのお祓いを受けに来ている人たちです。「道の神」の最高峰として船・鉄道・自動車とあらゆる交通安全を祈願する関係者が集まるようです。現在もタクシー車内で見かける自動車交通安全のお守りは、1963(昭和38)年に全国で初めて宗像大社で授与が始まったものです。

駐車場から本殿まではさほど距離はありません。本殿と拝殿は安土桃山時代に再建されたもので重要文化財です。拝殿の前の参道に「握舎」と呼ばれる木の屋根の回廊が設けられたため、拝殿を正面から見ることはできません。握舎の木の屋根はナチュラル感があって美しいことが印象に残ります。JR九州の特急列車の木目調の車内空間のようなぬくもりのある趣になっています。


本殿

続いて本殿の裏側に回り、高宮祭場/第二宮/第三宮に参拝します。高宮祭場(たかみやさいじょう)は、沖ノ島と並んで古代祭祀空間を今に伝える、全国でも稀有な社殿のない祭祀場です。宗像三女神が降臨した場所とあがめられており、現在も重要な儀式が行われています。祭りの時だけ神が降臨してくる御旅所のような、神秘性を強く感じさせる空間です。

【宗像神社公式サイト】 高宮神奈備祭(秋季大祭)

第二宮は沖津宮、第三宮は中津宮の分社です。辺津宮で宗像三女神すべてに参拝できるよう設けられました。社殿は伊勢神宮から移築されたもので、シンプルな神明造が、本殿とはまた違った聖なる場所であることを観る者に伝えています。


第三宮

神宝館は寺社のミュージアムとしてはとても巨大です。国宝に一括指定されている8万点もの沖ノ島の祭祀遺跡からの出土品を収容するためのもので、展示スペースも3フロアあります。

1954(昭和29)年から1971(昭和46)年まで、三次に渡る発掘調査で確認された出土品は、正倉院の宝物よりも格段に多種多様であることが特徴です。当時の人々が使っていたであろう、あらゆる道具や工芸品が沖ノ島に奉納されていたものと考えられます。

【宗像神社公式サイト 神宝館】 ご紹介した作品の画像の一部が掲載されています

1F入口では、とても小さいながらも圧倒的な輝きで人々を魅了する「金製指輪」に惹きつけられます。福岡市博物館の「金印」のように特別なオーラがあります。5cの朝鮮半島で造られた可能性があり、最高権力者クラスの人物が奉納したことは間違いないと思える精巧な細工が見事です。

三角縁神獣鏡は日本で最も保存状態の良い道鏡の一つで、神秘的な儀式で用いられていたことは想像に難くありません。勾玉のデザインもどれも素晴らしく、沖ノ島の神のために選りすぐった品であることが伝わってきます。

金銅製高機は織機のレプリカで、驚くほど精巧に造られています。古代の機織りの様子を見事に今に伝えてくれています。奈良三彩小壺は日本最古の釉薬で焼かれた陶器で、大和朝廷が国家祭祀のために製造したものと考えられています。三色のコントラストが実に優雅です。

質的にも量的にもたっぷりあります。神宝館だけで1時間以上時間を取ることをおすすめします。古代史では日本最高峰の展示です。


神宝館

神宝館には沖ノ島出土品以外にも歴代の信奉者による奉納品も収められています。日本海海戦の旗艦・三笠の羅針儀は、日本海海戦に勝利した東郷平八郎元帥が宗像大社の神のおかげと感激し、海軍省から奉納されたものです。そのため横須賀で永久保存されている三笠には羅針儀はありません。

現在の宗像大社はとても立派な境内になっていますが、それには隠れた寄進者がいます。出光興産の創業者・出光佐三(いでみつさぞう)です。大社に近くの赤間出身の佐三は、戦後に荒廃していた宗像大社に胸を痛め、境内の整備や沖ノ島の発掘調査に積極的に動きます。佐三は隠匿を好んだため、宗像大社に佐三の名前はほとんど出てきませんが、古き良きフィランソロピーを象徴する話です。


「世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群」の魅力 公式 YouTube 動画

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。


沖ノ島は謎の四世紀にどんな存在だったのか

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<福岡県宗像市>
宗像大社 辺津宮
【公式サイト】 http://www.munakata-taisha.or.jp/

神宝館
原則休館日:なし
入館(拝観)受付時間:9:00~16:00

※公開されていない美術品があります。
※この美術館は、コレクションの常設展示を行っています。
※境内の拝観には条件はありません。いつでも無料で拝観できます。



◆おすすめ交通機関◆

JR鹿児島本線「東郷」駅下車、大社口から西鉄バスに乗り換え「宗像大社前」下車、徒歩1分
九州道「若宮」ICから車で20分、「古賀」ICから車で25分

JR博多駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:60分
博多駅→JR鹿児島本線快速→東郷駅→西鉄バス「神湊波止場」行→宗像大社前

【公式サイト】 アクセス案内

※バスは本数が少ないため、事前にダイヤを確認の上、利用されることをおすすめします。
※この施設には無料の駐車場があります。
※現地付近のタクシー利用は事前予約をおすすめします。


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今しか見れない仁和寺の魅力_観音堂&御殿 特別公開 7/15まで

2019年05月19日 | お寺・神社・特別公開

6年の修理を終えた京都・御室・仁和寺(にんなじ)の観音堂の落慶法要が行われ、33体もの仏像が居並ぶ圧巻の空間が公開されています。あわせて王朝文化を色濃く伝える御殿でも、庭の特別公開が行われています。

  • 勢揃いした二十八部衆は色彩がのこりとてもリアル、荘厳な密教ワールドは格別
  • 普段は入れない御殿の庭の中から、普段は見られない御殿の表情をうかがうことができる
  • 6年続いた観音堂を囲む足場がなくなり、御室の青い空がとても大きく見えるようになった


仁和寺も近年は様々な行事を通じた寺の文化遺産の活用に積極的です。京都の楽しみ方がまた一つ増えました。



平安時代前半に宇多(うだ)天皇によって創建された仁和寺は、日本最古の門跡寺院です。今回庭が特別公開されている「御殿」は門跡となった皇族が居住したエリアで、宇多天皇の御殿「御室」の名残でもあります。

応仁の乱で全焼しているため、現在の伽藍はほぼ江戸時代初めの再建です。今回特別公開される観音堂は、建物や仏像を含めすべてがこの際に新造されたものです。金堂は御所・紫宸殿を、御殿は御所・常御殿をこの際に移転したものです。金堂は現存しており国宝ですが、御殿は明治の大火で焼失し、大正時代初めに再建されたものです。


観音堂

観音堂は仁和寺の重要な宗教儀式に使われており、修理前も常時/定期公開されていませんでした。修理落慶法要がなった今回の特別公開も、春秋の約2か月間ずつに限定されています。

観音堂は金堂よりも一回り小さめのサイズです。その中に本尊・千手観音に従う二十八部衆が居並ぶ姿は、密教ワールドが凝縮されたようでとても”濃い”印象を受けます。昨年2018年冬の東京国立博物館「仁和寺と御室派のみほとけ」でも話題を呼びました。

二十八部衆には京都・清水寺・内々陣や和歌山・粉河寺・本堂でもお会いできますが、仁和寺・観音堂は制作が新しく、色彩がのこされていることからとてもリアルな印象を受けます。

仏像群の背後の観音障壁画も保存状態が良く、色彩がきちんとのこっています。製作された江戸時代初期から400年という時間の経過が、新しすぎず古すぎない絶妙のバランスを示しています。仏教美術はとかく古さばかりが語られがちですが、やはり保存状態が良くないとなかなか”美しい”とは感じられません。


御殿 北庭

御殿は常時公開されており、「庭の特別公開」と聞くと「何それ?」と思ってしまいますが、修理工事に伴う特別なイベントです。宸殿の屋根の葺き替え工事により足場が組まれて建物の外観が鑑賞できないため、普段とは異なる角度から御殿を見てもらおうとするものです。近年人気の「今しか見られない修理現場公開」と同じ原理です。なお宸殿の室内は通常通り拝観できます。

白砂が大きく広がる南庭では、ほぼ中央まで歩道が設置されています。普段は見られない白書院の外観を味わうことができます。北庭では池に張り出すように歩道が設置されています。北庭の借景となる五重塔がより身近に見えます。


中門から仁王門をのぞむ

仁和寺は金堂や観音堂といった主要堂宇を常時/定期公開しない寺ですが、近年は公開頻度が上がっています。御所の趣を色濃く残す国宝の金堂も、「春/秋の非公開文化財特別公開」や「京の夏/冬の旅」で毎年のように公開されるようになってきました。昨年2018年秋にも、移築以来初めて金堂裏堂の五大明王壁画を公開しています。

仁和寺に限らず、特別公開や展覧会への出展頻度を増やすのは、近年の京都/奈良の寺社全般に共通する傾向です。拝観/イベント収入を修理/再建費用にあてがう経済原理にのっとった取り組みが浸透しつつあります。日本は文化財保護予算が非常に少ないという側面もありますが、寺や神社であっても継続するには経済原理を無視できないことは言うまでもありません。

観る側の者も、積極的に参加することで、自身の心の豊かさの醸成+かけがえのない文化遺産の持続への貢献というwin&winを成立させることができます。「もっと公開して」と多くの方に声を上げていただくことを願ってやみません。


オムロン発祥の石碑

仁和寺からは徒歩15分ほどかかりますが、京都駅に出るのに便利なJR嵯峨野線の花園駅を目指して歩いていると、かなり大きめの石碑が目につきました。御室にちなんだネーミングで知られる電子機器ブランド「オムロン」の発祥の地を示す石碑です。

企業としてのオムロンは大阪で創業していますが、戦後すぐに御室に移転し「オムロン」ブランドを製品に名付けます。周辺は普通の住宅地になっていますが、石碑からはどこか御室が悠久の歴史を積み重ねたエリアであることを感じさせます。

江戸時代前期随一の作陶家・野々村仁清と尾形乾山が窯を開いたのも「御室」です。

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。


仁和寺の密教ワールドを”音”で体験

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<京都市右京区>
仁和寺
観音堂 修復落慶記念 特別内拝 春季
【仁和寺公式サイト】 観音堂春季特別内拝

会場:観音堂
会期:2019年5月15日(水)〜7月15日(月)
原則休館日:期間中なし
入館(拝観)受付時間:9:30~16:00

※常時公開されている御殿の拝観受付時間は9:00~16:30です。
※御殿・庭の特別拝観は2019年12月31日までです。
※霊宝館は毎年春(4~5月)と秋(10~11月)に公開されます。

※この寺の境内は常時公開されています。
※公開期間が限られている仏像や建物・美術品があります。




◆おすすめ交通機関◆

JR嵯峨野線「円町」駅下車、「西ノ京円町」バス停で市バス乗り換え「御室仁和寺」下車、徒歩1分
JR嵯峨野線「花園」駅下車、徒歩15分
京福電車北野線「御室仁和寺」駅下車、徒歩3分

JR京都駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:30分
京都駅→JR嵯峨野線→円町駅/西ノ京円町バス停→市バス26系統→御室仁和寺

【公式サイト】 アクセス案内

※京都駅から直行するバスもありますが、鉄道とバスを乗り継ぐ方が、時間が早くて正確です。
※この施設には有料の駐車場があります。
※春秋の観光シーズンは、渋滞と駐車場不足により、健常者のクルマによる訪問は非現実的です。


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京都の”端っこ”はやはり素晴らしい_嵯峨野 愛宕念仏寺 ほのぼの石仏

2019年05月16日 | お寺・神社・特別公開

愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)は、近隣の化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)と並んで京都有数の石仏群の美しさで知られる寺です。嵯峨野の一番奥、標高の高いところにあり、ここまでタクシーやバスで行って、下り道の嵯峨野や嵐山の散策を楽しむ人が少なくありません。

  • 山の傾斜に見事に調和してたたずむ羅漢の石仏群は芸術的であり、表情の個性も豊か
  • 東の比叡山と並ぶ聖なる愛宕山の麓、愛宕神社の参道の出発点にあり、パワースポット感は抜群
  • 嵐山の喧騒とは真逆、風の音以外は聞こえないほどの嵯峨野の静寂の美しさを堪能できる


愛宕念仏寺が現在のような美しい姿になったのは、驚くことに昭和の終り頃です。昭和の名仏師・西村公朝(にしむらこうちょう)のリードにより、多くの人々の信念と情熱で復興されました。


色即是空

愛宕念仏寺は愛宕山(あたごやま)の麓にありますが、「おたぎ」と読みます。読み方の違いには寺の創建の歴史が関係しています。

愛宕念仏寺は、京都では嵯峨野とは正反対の東にある東山の五条付近に、愛宕寺(おたぎでら)として創建されました。京都では稀有に古い寺でもあります。奈良時代末期に西大寺を創建するなど仏教重視政策をとった称徳(しょうとく)天皇による創建です。

愛宕(おたぎ)とは現代の京都市内のほぼ東半分を占める古代の地名・愛宕郡にちなんでいます。西半分の古代の地名は葛野郡(かどのぐん)です。西にあるのに愛宕山と呼ばれる理由はよくわかっていません。

平安時代初期に賀茂川の洪水で荒廃した後の再興で愛宕念仏寺と名を改めますが、永らく寺勢はふるいませんでした。大正時代になって現在地に移転し、復興が試みられますがそれも頓挫、1955(昭和30)年になって西村公朝が住職となり、少しずつ復興が始まります。


石仏羅漢が緑の斜面にとても調和している

本格的な復興は1981(昭和56)年に始まります。復興資金の獲得を目的に石仏羅漢を彫って奉納してもらうようになり、10年後の1991年には1,200体に達しました。奈良の薬師寺が写経による勧進で伽藍の復興を遂げたのと同じような取り組みです。

石仏はプロではない一般市民が精魂を込めて彫ったものです。すべて異なるお顔立ちからは、”ゆるキャラ”のようなほのぼの感が伝わってきます。造られた時代が新しいこともあり、表現は自由で個性にあふれているのが、ここ愛宕念仏寺の石仏羅漢の魅力です。

山の斜面の境内をゆっくり登っていくと、いたるところに石仏が置かれています。冷たい印象を受ける像がほとんどないこともあり、観る者の心を和ませる仏様としての役割も見事に果たしています。年月を経て苔が仏様のお体に生えるようになっており、独特の趣も見せるようになっています。



本格的な復興からは時間が経っていませんが、境内にはひときわ時間の重みを感じさせる建造物があります。重要文化財の本堂で、京都では有数の古さを誇る鎌倉時代半ばの建築です。東山の旧地から大正時代に移築されています。本尊も鎌倉時代の作で、「厄除け千手観音」として、石仏羅漢と並んで多くの人に親しまれています。

地蔵堂には「火除地蔵」が安置されており、こちらも参拝者が絶えません。京都人に最も愛される神社のお札「火迺要慎(ひのようじん)」は愛宕神社のものです。愛宕神社の祭神の姿を表現した本地仏(ほんじぶつ)は地蔵菩薩であるため、愛宕念仏寺の火除地蔵も「火迺要慎」を篤く信仰されています。


愛宕神社の参道入口(千日詣り当日)

愛宕念仏寺から、江戸時代の愛宕神社の門前町の趣を見事に伝える重伝建・嵯峨鳥居本(さがとりいもと)の町並までは歩いて5分ほどです。山の緑と古い町並が調和した絶景が楽しめます。化野念仏寺は重伝建の町並に隣接しています。

嵐山の中心・渡月橋までも、愛宕念仏寺からゆっくり歩いても60分ほどです。京都でも最たる”端っこ”・嵯峨野の魅力を濃密にたっぷりと発見できます。

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。


価格から感じとる京都の文化の価値

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<京都市右京区>
愛宕念仏寺
【公式サイト】 https://www.otagiji.com/
【京都市観光協会サイト】 愛宕念仏寺

原則休館日:なし
入館(拝観)受付時間:8:00~16:45

※この寺・堂宇は観光目的で常時公開されています。



◆おすすめ交通機関◆

JR嵯峨野線「嵯峨嵐山」駅下車、北口から車で10分、徒歩40分

JR京都駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:30分
京都駅→JR嵯峨野線→嵯峨嵐山駅→タクシー

【公式サイト】 アクセス案内

※この施設には無料の有料駐車場があります。
※道路の狭さ/渋滞/駐車場不足により、健常者のクルマによる訪問は非現実的です。
※現地付近のタクシー利用は事前予約をおすすめします。


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琵琶湖疎水の脇にたたずむ安祥寺、驚きの国宝美仏が伝わる

2019年05月13日 | お寺・神社・特別公開

安祥寺(あんしょうじ)という寺の名前を聞いても、京都人でもあまり知られていません。その安祥寺所蔵の五智如来(ごちにょらい)が2019年3月に国宝になることが発表され、一気に注目されることになった寺が、初めて境内を公開しました。春の京都非公開文化財特別公開です。

  • 醍醐寺のように山の上下に巨大な伽藍が拡がっていた平安時代の栄華を境内に感じることができる
  • 本尊の十一面観音は奈良時代の美仏、国宝になる五智如来など仏像は見事に今に伝わっている


現在まで一般向けの拝観を一切行っていなかったこともあり、境内には特別な雰囲気、いわゆるパワースポット感があふれています。京都でも稀有な空間を体験できたと強く感じました。


土に一輪の花、安祥寺の栄華を物語っているよう

安祥寺は山科駅の北へ歩いて10分ほどのところにひっそりとたたずんでいます。毘沙門堂からも歩いて20分ほどのところにあります。琵琶湖疎水沿いに位置しており、桜や新緑の季節は美しさを特に輝かせます。背後に迫る東山の向こう側には南禅寺があり、毘沙門堂を経由して歩いて山を越えることもできます。

安祥寺は平安時代初めの848(嘉祥元)年、仁明天皇女御で文徳天皇の母・藤原順子(のぶこ)を開基(かいき)として創建されました。藤原順子は応天門の変で他氏を排斥し、藤原摂関家隆盛の礎を築いた藤原良房(ふじわらのよしふさ)の妹であり、東寺の最高権力者の一人です。安祥寺の伽藍は都の中でも目を見張るくらいに壮麗であったことが想像できます。

平安時代半ばになると寺勢は衰え、応仁の乱で廃寺となります。江戸時代に往時と比べわずかな規模で再建されたのが現在の伽藍です。本堂/地蔵堂/大師堂とも江戸時代後期の再建です。



安祥寺の建物や境内には、往時の姿を伝えるものが一切のこっていませんが、仏像には目を見張るものがのこされています。

【京都新聞の画像】 2019/3/18 京都・安祥寺の五智如来坐像を国宝答

新たに国宝になる五智如来坐像は、寺の創建時の造立です。平安初期に流行した密教彫刻の趣の中にかなり特徴的な造形が見られます。目がかなり細く小さく造られており、あえて仏様の感情や生命感を感じさせないように表現しています。あたかも埴輪が並んで坐っているように、神秘的な印象を受けます。

五智如来とは、密教の金剛界において五つの知恵を一体ずつ表現した仏様です。観音菩薩のように苦しみから逃れようと祈る仏様ではなく、密教が教える知恵を伝える仏です。究極の”先生”のような存在であり、お顔もとても”おすまし”しているのです。

中世以前に造られた五智如来が五体揃って現存している例は、他に高野山・金剛三昧院くらいしかなく、こちらは重文です。東寺の講堂にも揃っていますが、立体曼荼羅としては後の補作で室町時代と江戸時代の制作です。

五智如来は安祥寺の多宝塔に安置されていましたが、明治初めに京都国立博物館ができた当初から寄託されていました。この多宝塔は1906(明治39)年に焼失しており、五智如来は強運の持ち主です。2019年5月現在は、特別展開催中も含め、平成知新館1Fの仏像展示室で二体だけが展示されています。

【東寺公式サイトの画像】 観智院「智慧の仏、五大虚空蔵菩薩

安祥寺にはもう一つ、住まいを移した美仏がありました。東寺の塔頭・観智院の重要文化財、五大虚空蔵菩薩(ごだいこくうぞうぼさつ)です。空海の孫弟子で安祥寺開山となった恵運(えうん)が唐から招来した仏です。日本の白鳳仏のようなで大陸風のお顔が印象的です。

恵運は、平安時代初めに唐に渡り日本に密教を伝えた8人の高僧の一人で、最澄や空海と共に「入唐八家(にっとうはっけ)」と呼ばれてあがめられています。五大虚空蔵菩薩は五智如来の化身とも考えられ、密教の知恵を表現する仏です。こちらも五体揃っている例はほとんどなく、他には神護寺の国宝くらいしかありません。

観智院は古くから、真言密教の最高学府でした。その権威を表すのにふさわしい本尊として、南北朝時代に安祥寺から移されています。


本堂

こうした歴史を見ると、創建時の安祥寺のブランド力はいかにすごかったかがわかります。開基や開山、伝わる仏像、どれも格式や権威は最高級です。安祥寺の本堂に安置されている重文の本尊・十一面観音も、五智如来や五大虚空蔵菩薩に匹敵するような格式の高い由縁を持っている可能性がささやかれています。

近年の調査で奈良時代後期の作とわかり、一木造ではかなり像高が大きい半丈六(約2.5m)像です。かなりの有力な人物の発願で制作され、かなりの大寺にあったと考えられます。安祥寺に移された時期は不明ですが、ロマンが膨らむ魅力をこの仏は持っています。

薬師寺の薬師三尊のように黒光りしていることが強い存在感を示しています。体のくびれがないところに奈良時代後期の様式を感じさせ、八頭身のポロポーションのよさが実にスタイリッシュです。


多宝塔跡は立入禁止

特別公開時には本堂の他に、大師堂と地蔵堂も公開されました。

境内はまさに大寺の跡という独特の風格が漂っています。「兵どもが夢の跡」、平泉の毛越寺のようです。こうした趣が残る空間は京都でもおそらくここだけでしょう。廃寺はたくさんありますが、宅地化しており、面影は100%ないためです。


新緑の琵琶湖疎水

近くを流れる琵琶湖疎水のレトロな美しさが、境内の趣とも妙にマッチしています。

近年は永らく拝観謝絶だったお寺も公開するところが増えています。安祥寺も次回の公開を楽しみにしたいと思います。

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。


ワンランク上の美仏に京都でお会いする

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奉祝 天皇陛下御即位
2019(平成31/令和元)年
春期京都非公開文化財特別公開
<京都市山科区>
安祥寺
【主催者による特別公開公式サイト】 チラシ
【主催者による特別公開公式サイト】 開催要項

主催:安祥寺、(公財)京都古文化保存協会
会場:安祥寺
会期:2019年4月26日(金)~5月10日(金)
   (注)公開が5月6日(月)までの寺院もあります
原則休館日:会期中なし
入館(拝観)受付時間:9:00~16:00

※この特別公開は定期的に行われるものではありません。
※この寺・堂宇は観光目的では常時公開されていません。次の公開時期は未定です。



◆おすすめ交通機関◆

JR琵琶湖線/湖西線「山科」駅・京阪京津線「京阪山科」駅下車、南口から徒歩10分
地下鉄東西線「山科」駅下車、3番出口から徒歩10分

JR京都駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:20分
京都駅→JR琵琶湖線/湖西線→山科駅

※この施設には駐車場はありません。
※道路の狭さ/渋滞/駐車場不足により、健常者のクルマによる訪問は非現実的です。


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京都 大覚寺 王朝文化を伝える美仏と書_「天皇と大覚寺」展 5/13まで

2019年05月01日 | お寺・神社・特別公開

京都の西北の”端っこ”にある王朝美の殿堂・大覚寺(だいかくじ)で「天皇と大覚寺」展が行われています。大覚寺とのゆかりが深い天皇や上皇の肖像や手紙に加えて、大覚寺に伝わる密教美仏の数々が一堂に公開されます。

  • 鎌倉時代に大覚寺を再興した後宇多(ごうだ)法皇自筆の国宝の手紙は、筆の動きがとても滑らか
  • ゆかりのある多くの天皇の肖像画は、大覚寺が伝える王朝文化の質の高さを物語る
  • 明円(みょうえん)作の重文・五大明王は、優美なお顔立ちが素晴らしい密教彫刻の美仏


皇室とのゆかりの深さでは、大覚寺は京都でも有数の寺です。新天皇と新元号を祝うにふさわしい展覧会です。


菊の御紋が新緑に映える

大覚寺の地には平安時代初め、空海を重用して政治と文化の両面で絶大なリーダーシップを誇った嵯峨天皇が離宮を営んでいました。寺の東側にある中秋の名月で名高い大沢池は、離宮造営の際に人工的に造られた日本最古の庭園の林泉(りんせん、森と池)です。

876(貞観18)年に嵯峨天皇の皇女が離宮を寺に改め、大覚寺として再出発します。その後一時衰退していましたが、鎌倉時代後期の後宇多法皇が再興し、嵯峨御所と呼ばれて院政を指揮していました。

世継ぎになる可能性のない天皇の子息である親王が代々入寺し、京都でも有数の門跡(もんぜき)寺院となっていきます。歴代天皇が使用した建物も多く移築されており、大覚寺にしかない優美な空間を形成しています。



宸殿(しんでん)は、後水尾天皇の皇后で2代将軍・徳川秀忠の娘・東福門院和子(とうふくもんいんまさこ)が使用していた御殿を下賜されたものです。御影堂(みえどう)は、京都御所で行われた大正天皇の即位の礼で使われた建物を下賜されたものです。

京都御所や桂離宮は建物内部に入って鑑賞することはできないため、王朝文化の室内空間の趣をリアルに味わえるのは大覚寺と仁和寺だけです。京都御所にいる錯覚を起こすような見事な宸殿造の建物です。


五大堂

展覧会は霊宝館で行われています。宸殿の狩野山楽の金碧障壁画の原本や明円作の五大明王といった大覚寺ならではの文化財が、春秋の公開期間中は常時展示されています。並行して企画展示も行われており、今年の春は「天皇と大覚寺」です。後宇多法皇ほか、大覚寺ゆかりの天皇の自筆の手紙である宸翰(しんかん)や肖像画の名品が並びます。

大覚寺所蔵の2件の国宝がともに展示されており、いずれも後宇多法皇の宸翰です。「御手印遺告(ごていんゆいごう)」は、大覚寺と真言密教の隆盛が長く続くよう、法皇が願いを書き残したものです。法皇の赤い手形が押された宸翰は、力強い文字が流れるように綴られており、大覚寺に対する熱い思いが伝わってきます。

「弘法大師伝」は法皇が自ら編集執筆した弘法大師の伝記です。経典のように理路整然と文字が綴られており、とても荘厳な印象を受けます。法皇の真言密教に対する帰依の深さを感じさせます。

重文の後宇多法皇の肖像画からは、法皇の実直そうな人柄が伝わってきます。出家後に描かれたものと考えられており、法皇の実像をよく表しているでしょう。

後水尾天皇時代に製作された「日本帝王系図屏風」は、神武天皇以来の系図だけを描いた、とても珍しい屏風です。気位の高かった後水尾天皇は、さぞかしご満悦だっただろうと想像してしまいました。文字しか描かれていないためか、ものすごい迫力があります。



明円は、仏師集団・円派(えんぱ)の隆盛の最後を飾った鎌倉時代初めの仏師です。円派は、平安時代後期に京都で六勝寺の仏像造立を主に担当するなど、院政期の法皇に寵愛されていました。いわば王朝文化好みの優美さを作風としますが、鎌倉時代には衰退します。

重文・五大明王は、現存唯一の明円作品です。平安時代の一般的な五大明王に比べ、像高が低いこともあって、とても優美で洗練された印象を受けます。写実的であり、今にも動き出しそうな生命感があります。

大覚寺にもう一組ある五大明王も展示されています。こちらは一般的な等身大に近い一般的な大きさです。制作時期が室町時代と江戸時代に分かれ、室町時代作の三体が重文です。明円作と比べ明王らしい迫力がより強調されています。個性の違う五大明王に並んでお会いできます。どちらが美しいか、じっくりと見比べていると時間の経つのを忘れてしまします。


庭の消火スプリンクラー

真言密教と歴代門跡の名品が味わえる展覧会です。大覚寺のもたらす”品格”のようなものを感じることができます。庭のスプリンクラーの囲いにも、そんな大徳寺の”品格”が現れています。

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



古刹のバイブル、新版古寺巡礼

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<京都市右京区>
大覚寺
奉祝 皇位継承記念 平成31年春季名宝展
「天皇と大覚寺」
【寺による展覧会公式サイト】

会場:霊宝館
会期:2019年3月15日(金)~5月13日(月)
原則休館日:会期中なし
入館(拝観)受付時間:9:00~16:30

※会期中に展示作品の入れ替えは原則ありません。
※この展覧会は、今後他会場への巡回はありません。

※この寺は観光目的で常時公開されています。
※霊宝館は、毎年3月中旬~5月中旬と10月初旬~12月初旬の2回の企画展開催時のみ公開されます。



◆おすすめ交通機関◆

JR嵯峨野線「嵯峨嵐山」駅下車、北口から徒歩15分
嵐電「嵐山」駅下車、徒歩25分
阪急嵐山線「嵐山」駅下車、徒歩35分

JR京都駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:40分
京都駅→JR嵯峨野線→嵯峨嵐山駅

【公式サイト】 アクセス案内


※この施設には有料の駐車場があります。
※道路の狭さ、渋滞と駐車場不足により、健常者のクルマによる訪問は非現実的です。


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奈良 薬師寺 東塔を上から見下ろす最後の機会_修理現場公開5/6まで

2019年04月30日 | お寺・神社・特別公開

10年に渡って行われてきた薬師寺・東塔(とうとう)の解体修理がいよいよ終盤を迎えています。歴史的建造物の修理では近年よく行われる修理作業現場公開も最後となり、多くの人が訪れています。

  • 新調された塔の先端の水煙(すいえん)や、ほとんど葺き替えられた美しい屋根瓦を間近で見られる
  • 約30mの高さから、隣立する西塔や奈良の街並みを見下ろせるのは今回の現場公開が最後


建造物の屋根を上から見られる修理作業現場公開はすっかり定着しており、通常より人手がはるかに多いと感じられます。工事現場を見学させることを最初に思い付いた人は、マーケティング的にはとても”えらい”と思います。


9年続いた東塔の囲いは間もなく撤去

薬師寺は飛鳥時代に藤原京で創建され、平城京遷都に伴い現在地に移転してきました。東塔は1,300年前の移転時から今に伝わる唯一の建造物で、法隆寺五重塔と法起寺三重塔に次いで日本で三番目に古い現存する塔でもあります。

東塔は本尊の薬師三尊と共に、永らく移築か新造かで論争されてきましたが、現在は東塔については現在地での新造説が有力になっています。薬師三尊については、論争は決着していません。造立様式的には白鳳時代のものであり、藤原京から移転してきたことになりますが、像高2-3mもある銅像の重い巨体を三体もどうやって運んだのか、疑問が残ります。

とは言え、東塔も薬師三尊も、日本だけにとどまらず世界的にも稀有な美しさと歴史を携えていることは言うまでもありません。日本最高峰の黒光りの美しさを醸し出す薬師三尊の前に、来年2020年、リフレッシュした東塔が姿を再び現します。


修理作業現場公開の入口

修理作業現場は、見学者の体重による足場への負荷を考慮して入場者数が制限されています。順番を指定された整理券を受け取り、順番が巡ってくれば、貸し出されるヘルメットを着用して、足場に設けられたスロープを上っていきます。現場内の写真撮影は私的利用に限って可能ですが、Web公開は私的利用でも禁止されています。

【NHKニュース映像】 薬師寺東塔 修理現場最終公開

スロープは東塔の北側に設けられており、上るにつれ薬師寺の伽藍と若草山の遠景が美しく目に入ってきます。屋根の各層で作業がしやすいよう平面の足場が組まれており、現場感をとてもリアルに感じることができます。

足場は頑丈な鉄骨で組まれており、構造にまったく不安を感じさせません。しかし最上層の屋根はビルの8Fくらいの高さに相当します。1,300年前の宮大工がどうやって建築を進めたのか、壮大なロマンを感じます。

【薬師寺公式サイトの画像】 東塔 新旧水煙

最上層では相輪と水煙を間近に見ることができます。まさにこの機会にしか見ることができない角度です。普段の地面から見ると細かなデザインまでは見えませんが、間近で見るとデザインに込めた思いまで伝わってくるように感じます。

9年に渡って東塔を囲んでいた足場の覆いは今年2019年の夏から撤去作業が始まります。寺として正式に修理完了を披露する落慶法要も来年2020年4月22日に決まっています。奈良の大空に「凍れる音楽」が再び姿を表すのは間もなくです。


西ノ京駅から玄奘三蔵院伽藍へ至る参道、いつも季節の花が綺麗

今回の解体修理は明治以来110年ぶりに行われたものです。歴史的木造建築の保存のためには、現在はおおむね100年毎の解体修理がのぞましいと考えられています。

地元の奈良人の間では、次の奈良の大物の解体修理は「興福寺五重塔」とささやかれています。興福寺の建造物でも大規模修理が最も長くなされていない建造物と見られているからです。薬師寺東塔のように巨大な足場で猿沢池の空間が長期間覆われることは間近かもしれません。



こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



法隆寺金堂の大修理と薬師寺金堂/西塔を復元した宮大工・西岡常一が語る薬師寺の奥義

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<奈良県奈良市>
薬師寺
国宝東塔修理作業所 最終公開
【寺による公開 公式サイト】

会期:2019年4月27日(土)~5月6日(月)
原則休館日:会期中なし
入館(拝観)受付時間:10:00~16:00

※東塔修理作業所入場口で8:30から発行される整理券の番号順に、時間帯を区切って入場できます。
※工事現場であるため、入場に際しては現場で渡されるヘルメットを着用する必要があります。
※未就学児/ベビーカー/車いす/手押し車/ペットを伴う入場はできません。
※ハイヒールのような不安定な靴を着用すると、入場できません。
※天候の悪化で、入場を中止する場合があります。

※修理作業場内部は、私的使用目的でのみ撮影可能ですが、Web上への公開は禁止されています。
※この寺は観光目的で常時公開されています。



◆おすすめ交通機関◆

近鉄橿原線「西ノ京」駅下車、東口から徒歩1分

R大阪駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:1時間10分
JR大阪駅→JR環状線→鶴橋駅→近鉄奈良線→大和西大寺駅→近鉄橿原線→西ノ京駅

【公式サイト】 アクセス案内

※この施設には有料の駐車場があります。
※イベント開催時は、道路の狭さ/渋滞/駐車場不足により、健常者のクルマによる訪問は非現実的です。


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京都 嵯峨 清凉寺 春の定期公開_二人の"超”美仏に揃ってお会いできます

2019年04月11日 | お寺・神社・特別公開

清凉寺(せいりょうじ)で今も輝いている釈迦如来の”原本”と光源氏的イケメン阿弥陀如来。毎年4~5月の二か月間、二人の"超”美仏国宝が定期公開されます。

  • 清凉寺式釈迦如来の本家本元、ひだ文様と木の質感が宇宙空間のように輝いている
  • 阿弥陀如来のお顔のスマートさと視線の表現は、まさに妖艶な美男子
  • コミカルで人気の大念仏狂言も4月に定期公演が行われる


桜が終わると、まばゆいばかりの新緑が出迎えてくれます。春の明るく暖かい陽光の中で、お二人の美仏にお会いすると、とても元気になれます。


本堂裏の廊下から見る庭の新緑、まばゆい。

清凉寺は、平安時代初期に阿弥陀如来が、平安時代半ばに釈迦如来が安置され、嵯峨釈迦堂として親しまれるようになります。御多分に漏れず幾度も伽藍焼失の憂き目にあっており、現在の建物が再建されたのは、元禄時代以降です。頻発した火災の割に、この寺には驚きの仏教美術が多数残されています。火災の都度、大切に守られてきた賜です。

清凉寺の伽藍は自由に無料で参拝することができます。本堂内陣の拝観のみ、定期公開時以外でも有料です。嵯峨嵐山エリアの中でも目立って境内はゆったりしており、桜・紅葉はもちろん、様々な植物から季節を感じることができます。

本堂には江戸時代初めに流行した豪華さがあり、堂々としています。堂宇の大きさもかなりのものです。内陣は広く、様々な文化財が展示されています。現在の本堂を寄進した将軍・綱吉の母・桂昌院にゆかりの品や、江戸時代に盛んに行われた本尊の出開帳の際に使われた輿(こし)を鑑賞することができます。かなり使い込まれたことがわかる輿からは、出開帳を見に来た人々からの歓声が聞こえてくるようです。

本堂の裏から廊下が大方丈まで伸びており、緑がとても美しい庭を鑑賞することができます。庭の中に小さいお堂・弁天堂が行儀よくたたずんでいます。正面にとても小さい唐破風の屋根があり、実に”カワイく”見えます。大方丈ではいつでも写経体験ができます。部屋からの緑の庭の眺めは、禅寺のような趣さえ感じます。


本堂

本尊は当然ですが、本堂のセンターの厨子の中にいらっしゃいます。博物館の展覧会とは異なり、厨子の中でもあり、やや暗いのが難点ですが、それでも木肌の美しさと日本の仏像にはない造形を確認することができます。

一般的な仏像のイメージと比べ、不思議な印象を受けます。造りはとてもシンプルに見えるのですが、かえってオーラを放っているように感じられます。胴体や頭は直立不動で、全身に衣がまとわれています。ひだは幾何学的な同心円模様で、とても神秘的です。面長で瞳は目立って大きく、ヘアスタイルも長髪を巻き上げたように見えます。

いずれも日本の仏像には見られない特徴で、この個性が釈迦の生き写しとして中世に神格化されていったと思われます。材質は中国のサクラで、磨かれたように輝いて見えます。同心円状のひだ模様が宇宙空間のように見えるのはこの輝きのためでしょう。


宝物館

清凉寺に伝わるほとんどの寺宝は宝物館にあります。宝物館は二階建て、1F入口横に国宝の阿弥陀三尊がいらっしゃいます。

光源氏のモデルとされる平安時代初期の貴族・源融(みなもとのとおる)の生き写しと言われる阿弥陀如来は、この時代に流行した密教的な神秘性はありません。頬が引き締まってとてもスマートなお顔立ちで、女性なら見つめられるとキュンとしそうになるでしょう。より人間の顔に近い造形をしており、生き写しとする伝承に違和感はありません。

1Fは仏像が並んでいます。重文・兜跋(とばつ)毘沙門天像は、有名な東寺の像を摸刻したものです。西域の香りがしっかりと漂ってきます。いずれも重文の文殊/普賢両菩薩、十大弟子像、四天王も見応えがあります。実にたくさんの美仏がのこされています。

2Fでは人間の内臓の模型のようなものが目に入ります。一見毒々しく見えますが、国宝です。1953(昭和28)年に本尊・釈迦如来の胎内から発見されたもので、シルク製の世界最古の内臓器官の模型です。現代医学の観点からもきわめて正確であり、1,000年前の中国の医学知識の高さを示しています。

X線撮影により、釈迦如来の頭には脳、口には歯を思わせる鏡が確認され、花と耳の穴は内部まで続いています。まさに像全体が人体模型のようになっています。

原本は東京/京都の国立博物館に寄託されている、国宝の十六羅漢図の模写も必見です。日本に現存する唯一の中国・北宋時代の作品で、中世に多く描かれた十六羅漢図の手本になったと考えられています。北宋時代の洗練されたタッチで描かれており、彩色も神秘的です。


本堂

季節が良いこともあり、とてもワクワクしながら美仏にお会いすることができます。霊宝館の国宝・重文も驚きの逸品ばかりです。この定期公開は秋の10~11月にも行われ、秋色の境内をあわせて楽しむことができます

嵯峨大念仏狂言も4月と10月に定期公演が行われます。ホーム劇場である清凉寺の狂言堂で行われる講演は無料です。壬生寺の大念仏狂言ほど混雑しません。壬生とは演目が異なりますが、予定が合えばぜひおすすめします。

【嵯峨大念仏狂言】公式サイト

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



知られざる美仏の宝庫・南山城をカバーしているところが心憎い

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清凉寺(嵯峨釈迦堂)
本尊開扉、霊宝館特別公開
【寺による参拝案内】

会期:毎年4/1~5/31、10/1~11/30
原則休館日:なし
入館(拝観)受付時間:9:00~17:00

※この寺は観光目的で常時公開されています。
※国宝の本尊・釈迦如来は、毎月8日11:00~16:00(霊宝館特別公開期間は~17:00)にも開扉されます。



◆おすすめ交通機関◆

JR嵯峨野線「嵯峨嵐山」駅下車、北口から徒歩15分
京福電鉄・嵐山線(嵐電)「嵐山」駅下車、徒歩15分

JR京都駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:30分
京都駅→JR嵯峨野線→嵯峨嵐山駅

【公式サイト】 アクセス案内

※この施設には有料の駐車場があります。
※道路の狭さ、渋滞と駐車場不足により、健常者のクルマによる訪問は非現実的です。


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足利将軍家は故郷に名刹をのこした_栃木 足利 鑁阿寺

2019年03月30日 | お寺・神社・特別公開

栃木県の足利市の目玉観光スポット・足利学校の北に隣接して、鑁阿寺(ばんなじ)があります。足利将軍家の菩提寺で、国宝の本堂を中心に堂々とした境内が魅力です。

  • 足利氏の居城に創建されており、境内を外から見ると城のよう
  • 鎌倉時代初期に足利将軍家の祖を弔うために開かれた菩提寺、寺の歴史は足利家の歴史でもある
  • 国宝の本堂は真言宗寺院では珍しい禅宗様で、鎌倉時代を代表する名建築


北関東では有数の古刹です。足利将軍家は、京都以外にも素晴らしい文化遺産をのこしました。


楼門

鑁阿寺は、足利将軍家の祖である足利義康(よしやす)が、平安時代末期の12c半ばに居城を構えた地にあります。鑁阿寺が土塁と堀で囲まれ、城のような趣があるのはこの名残です。鑁阿寺境内が史跡に指定された際の名称も「足利氏宅跡」です。

義康の父・義国(よしくに)は、後三年の役で知られる源氏の嫡流、八幡太郎義家(よしいえ)です。義国は源氏の嫡流を継げず、二人の息子に所領を分割相続します。下野国足利を相続したのが義康、足利の西隣の上野国新田、現在の群馬県太田市付近を相続したのが義康の兄・義重(よししげ)です。

義重は新田氏を名乗るようになります。足利尊氏と共に鎌倉幕府を滅亡に追い込んだものの、後に尊氏に滅ぼされる新田義貞(にったよしさだ)は義重の嫡流の子孫です。


鑁阿寺を取り囲む堀

義康を継いだ義兼(よしかね)が1196(建久7)年に居城内に持仏堂を設け、守り本尊として大日如来を祀ったのが、鑁阿寺のはじまりです。義兼を継いだ義氏(よしうじ)が現在の堀の外にも広がる大伽藍を形成し、足利氏の氏寺とします。

源氏の嫡流が三代将軍・実朝で途絶えた後、執権北条氏によって源氏一門が粛清される中で、足利氏だけは執権北条氏との関係を良好に保ち続けます。鑁阿寺は鎌倉時代を通じて、幕府の有力御家人であり続けた足利氏により、寺勢を保ち続けました。

大伽藍の面影は、現在も境内を取り囲む土塁と堀に感じられます。堀はほぼ正方形で一辺200m近くあります。外見からは城にしか見えません。土塁には手入れの行き届いた松が整然と並び、堀には悠々と鴨の親子が泳いでいます。南面する山門にかけられた太鼓橋を渡ると、どんな境内が現れるのかと、とてもワクワクします。


国宝・本堂

境内は四辺の中心に門が四か所設けられ、門から延びる参道の交わる中心に国宝の本堂があります。現在の本堂は、1299(正安元)年に足利尊氏の父・貞氏が再建したものです。当時流行していた中国風を取り入れようとしたのでしょう、外観のデザインが禅宗様であるところが注目されます。大日如来を本尊とし、創建時から真言宗の寺に禅宗様の建築がある例は多くありません。

後世の改修で正面に向拝が付けられたため禅宗様に見えにくくなっていますが、四隅の屋根の反りはとても美しい禅宗様らしいカーブを描いています。屋根の尾根部分にあたる大棟には、足利氏の二つ引(ふたつひき)紋が燦然と輝いています。堂内は板敷きで密教寺院の様式になっています。大日如来への信仰と流行のデザインを両立させた素晴らしい建築です。


本堂の屋根裏は禅宗様の詰組

堀の内側の境内はとても広く、堂宇が点在しています。重要文化財の経堂(きょうどう)は、その巨大さが目立ちます。おそらく国内最大級でしょう。室町時代の再建で、足利氏が納経に非常に熱心だったことがうかがえます。

多宝塔の傍には樹齢600年の天然記念物・大銀杏があり、参拝者をなごませてくれます。境内は公園になっています。隣接する足利学校とあわせて、ゆっくり散策するのがおすすめです。



足利義兼の名は一般的に無名ですが、近年脚光を浴びる機会がありました。2008年にクリスティーズのオークションで、作風から運慶作と推定される大日如来像を、宗教法人真如苑が落札した際です。この大日如来像は義兼の発願で造立された可能性が高いと考えられています。

この大日如来像は義兼が創建した樺崎寺(かばさきじ)にあったもので、同じく作風から運慶作と推定される光得寺所蔵の大日如来像と瓜二つです。光得寺は明治の廃仏毀釈で廃寺となった樺崎寺の寺宝を受け継いでいます。両像は運慶&樺崎寺というキーワードで一致するため、義兼の存在が脚光を浴びることになったのです。

【東京国立博物館の画像】特集陳列「二体の大日如来像と運慶様の彫刻」

真如苑蔵の大日如来像は、真如苑所蔵美術品を公開する半蔵門ミュージアムで常設展示されています。歴史の縁とはとても奥深いものだと改めて実感させられます。

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



足利氏の始まりから現在に至る歴史を地元新聞社がたどる

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鑁阿寺(栃木県足利市)
【公式サイト】 http://www.ashikaga-bannaji.org/

※公開期間が限られている仏像や建物・美術品があります。
※境内は都市公園です。いつでも無料で拝観・見学できます。
※本堂と一切経堂室内の拝観は事前予約が必要です。



◆おすすめ交通機関◆

JR両毛線「足利」駅下車、北口から徒歩15分
東武伊勢崎線「足利市」駅下車、北口から徒歩15分
北関東道「足利」ICから車で15分

JR東京駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:2時間10分
東京駅→上野東京ライン常磐線→北千住駅→東武伊勢崎線特急りょうもう→足利市駅

【公式サイト】 アクセス案内

※この施設には無料の駐車場があります。


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播磨の”美塔”を桜が彩る_加西市 一乗寺 国宝 三重塔

2019年03月27日 | お寺・神社・特別公開

兵庫県の西南部、姫路を中心とする旧:播磨国エリアには、国宝がある名刹が点在しています。姫路市の北東部・加西(かさい)市にある一乗寺(いちじょうじ)は、播磨を代表する名刹の一つです。

  • 国宝の三重塔は平安末期の建築、上に行くほど屋根が小さくなり、多宝塔を見るようにとても優美
  • 伽藍は山の斜面に4段に分けて設けられており、三重塔は本堂から見下ろす方が美しい
  • 境内は桜と紅葉の名所、季節を愛でる散策路としても素晴らしい


播磨は日本でも有数の早くから仏教文化が栄えた地域です。ドライブや自然散策を兼ねて休日を楽しむには、桜と新緑の季節は最適です。


本堂から見下ろす三重塔

一乗寺は、飛鳥時代に天竺(インド)から雲に乗って飛来してきた法道(ほうどう)仙人が開いたと伝えられています。法道仙人は常に鉢を持っていたことから空鉢(くはつ)仙人とも呼ばれます。法道仙人による開基伝説は播磨地方の寺の多くに伝わっていることから、信仰をリードしたひとかどの人物が実在した可能性は高いと思われます。

法道仙人は、祇園精舎の守護神である牛頭天王(ごずてんのう)と共に日本に渡ってきたとされます。牛頭天王は姫路市にある広峯神社(ひろみねじんじゃ)に加え、京都・八坂神社の祭神になります。現在も両神社は祇園社の総本宮を互いに主張しています。

法道仙人伝説は、修験道の開祖とされる役小角(えんのおづの)伝説とよく似ています。飛鳥時代の日本の宗教文化にひとかどの足跡をのこした人物の逸話に、”尾ひれがついて”現在に伝わっているのでしょう。

本尊の聖観音銅像は白鳳時代の作であり、法道仙人伝説はさておき、何らかの堂宇が奈良時代以前から存在していた可能性が考えられます。国宝の三重塔は、のこされた銘から平安時代末期の1171(承安元)年の建立とわかっています。西国三十三所の札所にも選定されていることから、平安時代には現在地で伽藍が整備され、観音霊場として寺勢を誇っていたと考えられます。


境内入口から上段へ上る石段

国宝の三重塔は境内入口から上に2段目にあります。石段を上ると三重塔の屋根裏の組物が見えてきます。木の質感には、800年以上の時を経たとは思えないほどの鮮やかさがのこっています。

一つ上の本堂がある段に上る石段からは、三重塔の屋根のラインがとても繊細な曲線を描いている様子がよくわかります。最も大きい最下層の屋根は、翼を目一杯広げた鳥のように優雅に見えます。上段ほど屋根が小さくなるのが目立つため、多宝塔のような女性的な美しさも感じさせます。本堂からじっくりと三重塔を眺めてください。最も塔を美しく感じるアングルです。

重要文化財の本堂は大悲閣(だいひかく)とも呼ばれ、現在の建物は1628(寛永5)年に姫路藩主の援助で再建されたものです。斜面にせり出した懸造(かけづくり)で、舞台からは三重塔の優美な姿と背後の山々の絶景をのぞむことができます。参拝者が祈りをささげる外陣はかなり大きく、江戸時代に相当の参拝者が見込まれていたことがわかります。

外陣の天井には参拝者が打ち付けたおびただしい数の木札が見えます。現代では文化財保護の観点から参拝した寺社に千社札を張る習慣はなくなりましたが、日本人の巡礼行動パターンは江戸時代から変わっていないとつくづく感じました。

本尊の聖観音銅像は数十年に一度程度しか公開されない秘仏です。白鳳仏の中性的な美しさが備わっており、重要文化財に指定されています。前立本尊があり、宝物館で拝観することができます。


三重の塔から見下ろす常行堂

宝物館の拝観は事前予約が必要ですが、春秋の1日ずつだけ予約なしで拝観できる日があります。一乗寺は、国宝の聖徳太子と天台宗の高僧の肖像画「聖徳太子及び天台高僧像10幅」も所蔵していますが。奈良国立博物館ほかに寄託されているため、宝物館では拝観できません。平安時代の彩色がよくのこり、天台高僧の面影を伝える肖像画が10幅もまとまって伝わっていることに稀有の価値があります。


境内に至る県道も桜が美しい

一乗寺の近辺には、車なら一日で回れる範囲に国宝建造物が点在しています。姫路城のほか、加古川市の鶴林寺・本堂/太子堂、小野市の浄土寺・阿弥陀堂、加東市の朝光寺・本堂です。播磨は国宝の宝庫なのです。

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



兵庫県や大阪にも古刹はたくさんあります

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一乗寺(兵庫県加西市)
【加西市観光協会サイト】一乗寺

原則休館日:なし
入館(拝観)受付時間:8:00~17:00

※この寺・堂宇は観光目的で常時公開されています。
※公開期間が限られている仏像や建物・美術品があります。
※宝物館は毎年4/24と11/5の2日間のみ公開されます。それ以外の日の拝観は事前予約が必要です。



◆おすすめ交通機関◆

JR神戸線「姫路」駅下車、北口から神姫バスに乗り換え「法華山一乗寺」下車、徒歩1分
山陽道「加古川北」ICから車で5分
JR神戸線「宝殿」駅から車で15分

JR大阪駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:2時間
大阪駅→JR神戸線→姫路駅→北口14番バスのりば→神姫バス「社」行→法華山一乗寺

※バスは本数が少ないため、事前にダイヤを確認の上、利用されることを強くおすすめします。
※この施設には有料の駐車場があります。
※現地付近のタクシー利用は事前予約を強くおすすめします。


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”極上”と呼ぶにふさわしい空間が京都駅の近くに_泉涌寺 雲龍院

2019年03月26日 | お寺・神社・特別公開

京都・泉涌寺(せんにゅうじ)の境内の最も奥に、雲龍院(うんりゅういん)があります。皇室の菩提寺で御寺(みてら)と呼ばれる泉涌寺の山内寺院の中でも、特に皇室との関係が深いことが、この寺を特別な存在にしています。

  • 境内や室内は京都の寺でも有数の上質な空間、皇室の菩提寺にふさわしい
  • 真言宗寺院だが、蓮華の間や悟りの窓では、禅寺のような趣の中で庭と向き合うことができる
  • 台所に置かれている「走り大黒天」は明王のような憤怒相、奇妙ながらも存在感は抜群


生け花など空間を彩る演出も、きわめて上質です。参拝者があまり多くないため、京都駅の近くで極上の空間を独り占めしやすいことも”隠れた”魅力です。


書院・蓮華の間

雲龍院は、南北朝時代の北朝・後光厳(ごこうごん)天皇の勅願により、1372(応安5)年に創建されました。次の後円融(ごえんゆう)天皇は写経道場として1389(康応元)年に龍華院(りゅうげいん)を創建します。

雲龍院には続く後小松・称光まで4代の天皇が分骨され、泉涌寺山内でも別格の地位を確立します。応仁の乱による全焼後に再建されますが、慶長の大地震で再び倒壊、現在の本堂は江戸時代初めに後水尾天皇の援助で再建されたものです。この再興時に雲龍院と龍華院は開山が同じだったこともあり合併します。寺名は雲龍院となりましたが、龍華院の名は本堂にのこることになりました。

本寺の泉涌寺には奈良時代末期以降のすべての天皇の位牌が置かれています。雲龍院には北朝の4代の天皇に加え、後水尾天皇から孝明天皇に至る江戸時代のほとんどの天皇の位牌が置かれています。泉涌寺別院、真言宗泉涌寺派別格本山を名乗る由縁がよくわかります。泉涌寺山内寺院の中でも雲龍院だけは、塔頭と呼ばれません。


正門から本堂へ至る石畳

雲龍院の所在地はかなりわかりづらいことが、参拝者が少ない大きな要因と思われます。東大路から緩やかな上り坂が続く泉涌寺道を上りきると、泉涌寺の駐車場と泉涌寺参拝受付のある大門が見えてきます。雲龍院は泉涌寺道をさらに先に進むのですが、駐車場に設置されている案内標識がとてもシックで目立ちません。

泉涌寺は京都の寺でも山の中にあるため静寂さが特徴ですが、雲龍院はさらにその上を行く静けさです。泉涌寺よりも高所にあり、裏は江戸時代の歴代の天皇陵である月輪陵(つきのわのみさぎ)です。


玄関

玄関では正面に龍の衝立が見えます。この龍、寺ではマスコットのように随所で使っています。公式麩インスタグラムのプロフィール画像もこの龍です。

【雲龍院 公式Instagram】

重要文化財の本堂・龍華殿は、普段は写経の会場として使われています。雲龍院は現存最古の写経道場であり、写経をとても大切にしています。写経に使う机は後水尾天皇から寄進されたものを現在も使用し続けています。

【雲龍院公式サイトの案内】写経体験

龍華殿は近年、秋の紅葉期の特別拝観時に、水墨画家・堂野夢酔の「双龍風雷図」の襖絵が公開されています。夜間ライトアップも併せて行われるこの特別公開の際は、龍華殿の室内に入ることができるため、本尊の薬師三尊にも間近でお参りできます。

【雲龍院公式サイトの案内】昨年2018年の秋の特別公開

雲龍院にはもう一つ重要文化財があり。不定期に龍華殿で公開されることがあります。百年忌に際し土佐光信が描いた後円融天皇の肖像画です。肖像画の名手として知られる光信の傑作の一つです。天皇として気品あふれる顔立ちに描いています。


本堂と霊明殿に囲まれた庭

本堂の横には霊明殿があります。雲龍院にある歴代天皇の位牌を安置しており、孝明天皇らの援助で1869(明治2)年に建立されました。本堂と霊明殿に囲まれた庭は、禅寺の庭のように白砂が美しく、菊の御紋の砂文様が中でも目を引きます。雲龍院の寺紋は皇室の家紋と同じなのです。砂文様の中心に建てられている石灯篭は、徳川慶喜の寄進です。雲龍院に関わる人のネームバリューは別格です。

【雲龍院公式サイトの画像】悟りの窓

書院では、円形の悟りの窓から見る庭の眺めが絶品です。悟りの窓は鷹峯・源光庵(げんこうあん)が著名ですが、雲龍院の方がより静かに空間を味わうことができます。美しさでは甲乙つけられません。

蓮華の間の4つの障子窓からのぞむ庭の眺めも絶品です。椿/灯籠/楓/松がそれぞれ見えます。庭を眺めるためには通常は障子を開けますが、ここは閉めたまま庭を眺める方がいい、稀有な空間です。

【雲龍院公式サイトの画像】走り大黒天

庫裏の台所には「走り大黒天」がさりげなくおまつりされています。大きな袋を背負っているので大黒様なのですが、顔が憤怒相であり、奇妙に感じます。鎌倉時代の制作と考えられており、その頃までは大黒様は憤怒相でした。室町時代から現在のように笑顔に変わります。福をもたらす七福神の一員としてはやはり笑顔の方がいいという、マーケティング上の判断があったのでしょう。



雲龍院は真言宗の寺院ですが、言われなければ禅寺だと思ってしまいます。龍の絵、白砂の庭、悟りの窓、通常は禅寺にあります。一方雲龍院には禅寺ではあまり見かけないものがあります。生け花です。室内の随所に、センスの良いどこか控えめな生け花が飾られており、雲龍院の空間をことさら上質にしています。

真言宗寺院は花の美しさを積極的に取り入れます。境内に桜が多いのは真言宗の寺です。華美なものを避ける禅寺では、花や桜を売り物にするところは多くありません。雲龍院には真言宗と禅寺のいいとこどりをした空間があります。

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。




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泉涌寺 雲龍院
【公式サイト】http://www.unryuin.jp/

原則休館日:法要日
入館(拝観)受付時間:9:00~16:30

※この寺は観光目的で常時公開されています。
※夜間ライトアップ拝観は例年、春にも行われています。2019年は3/30~4/4です。



◆おすすめ交通機関◆

JR奈良線・京阪電車「東福寺」駅下車、徒歩20分

JR京都駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:25分
京都駅→JR奈良線→東福寺駅

【公式サイト】 アクセス案内

※この施設には無料の駐車場があります。
※道路の狭さ、渋滞と駐車場不足により、健常者のクルマによる訪問は非現実的です。


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