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稀有な大正モダニズム町家「藤野家住宅」公開_京の夏の旅 9/30まで

2019年09月11日 | 城・屋敷・歴史遺産

京都の夏の定番キャンペーン「京の夏の旅」では近年、寺社に加えて町家の公開がブームになっています。今回の夏の旅で初の一般公開となる「藤野(ふじの)家住宅」は、京町家としては珍しく店舗が併設されていない住宅です。大正モダニズムの味わいのある空間を今に伝えています。

  • 表通りには、店の建物でなく塀だけが面していることから「大塀造(だいべいづくり)」と呼ばれる
  • 大塀造は、隠居した商家の旦那や医師ら知識人の住宅として、大正時代前後に流行した。
  • 数寄屋風の洒落た趣が感じられる空間は、商家建築ではまず見られない


大塀造は高級旅館・料亭にもよく見られます。京都・麩屋町の高級旅館街を代表する柊家(ひいらぎや)もその一つです。近代の数寄者が愛した建築空間を、藤野家住宅でぜひ味わってみてください。


表通りには塀が面している

京都には寺社だけでなく、住宅や商家・オフィス建築といった膨大な不動産の文化財があります。生活や事業に日常的に使用している、常時公開するほど見学者数は見込めない、といった理由で常時公開されている施設はほんの一握りに過ぎません。

そんな常時公開が難しい施設をまとまって特別公開するイベントが、京都では年に4回・春夏秋冬に行われています。「夏の旅」は「冬の旅」と並んで公開期間が長く、訪問しやすいことが特徴です。藤野家住宅も、他の夏の旅公開施設よりは短いものの、9月の1か月間公開されています。



玄関兼茶室から見た表庭

藤野家住宅は1926(大正15)年の建築で、数寄屋風の大塀造町家の名建築として国・登録有形文化財に指定されています。

京都に限らず日本各所にのこされた古い町家建築の多くは商家です。表通りに面した間口の狭い建物は店舗で、「うなぎの寝床」と称される細長い敷地の奥に住宅が併設されています。この造りは、京町家では「表屋造(おもてやづくり)」と呼ばれます。大塀造とは対照的な造りです。

内外から互いの様子を格子窓越しにうかがえる「表屋造」、内外から互いの様子を見えないようにする「大塀造」と、求める効果は真逆です。大塀造は、隠れ家として人目を気にせず優雅な空間を楽しめるよう設計された、上流階級のステイタスのような建築空間です。



玄関前には茶室の待合が設けられている

藤野家住宅は大富豪の豪邸ではなく、敷地は一般的な京町家と同程度です。そんなコンパクトな空間が藤野家住宅の大塀造の魅力をかえって高めています。敷地に入る門のすぐ先、玄関の向かいにあたる露地に茶室の待合の椅子が設けられていることに驚きました。ここに待合がある理由は、玄関が茶室と兼用になっているためです。

一般的に茶室は、敷地内の奥まった箇所に設けられます。庭が生み出す市中山居の非日常空間を客人にまずは味わってもらうためです。敷地の余裕のない藤野家住宅は、そんな常識を逆手にとるという、とても”洒脱な”選択をしたようです。

玄関兼茶室と表通りに面した塀の間には表庭が設けられ、外とは隔絶された空間が担保されています。限られた条件を有効に生かすことが得意な日本人のカルチャーがまさに現れている空間です。茶室の床の間のすぐ横で表庭を眺めることができ、季節感を常に肌で感じることができます。



大正モダニズムを感じさせる欄間のカーブ

大正時代の日本は第一次大戦の混乱で欧米列強の圧力を受けることなく好景気も続いた時代でした。いわゆる”古きよき時代”です。藤野家住宅は、商家のように客の目線を気にする必要はなく、主人の好みにあわせて建てられたものです。

和風建築ですが、随所にモダニズムを感じさせるデザインを確認できます。普通の京町家にはない洒脱な空間、何と言ってもそれが藤野家住宅の最大の魅力です。

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



京町家のデザインは心を和ませる

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<京都市中京区>
第44回「京の夏の旅」文化財特別公開
藤野家住宅
【主催者によるキャンペーン公式サイト】 藤野家住宅

主催:京都市、(公財)京都市観光協会
会期:2019年9月1日(日)〜9月30日(月) 他の公開箇所とは異なります
原則休館日:9月6日(金) 他の公開箇所とは異なります
入館(拝観)受付時間:10:00~16:00(金土曜~19:30)

※この公開箇所は、非営利かつ私的使用目的でのみ、撮影禁止作品以外の会場内の写真撮影が可能です。
 フラッシュ/三脚/自撮り棒は禁止です。
※この施設の見学は靴下の着用が必要です、ストッキング不可。
※この町家は観光目的では常時公開されていません。次の公開時期は未定です。




◆おすすめ交通機関◆

地下鉄烏丸線「丸太町」駅下車、5番出口から徒歩5分

JR京都駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:00~00分
京都駅→地下鉄烏丸線→丸太町駅

※この施設には駐車場はありません。
※休日は、道路の狭さ/駐車場不足により、健常者のクルマによる訪問は非現実的です。


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岸和田城に重森三玲のモダン庭園の最高傑作がある_八陣の庭

2019年09月04日 | 城・屋敷・歴史遺産

だんじり祭りが超有名な岸和田に、昭和の名作庭家・重森三玲(しげもりみれい)が手掛けた知られざる名庭があります。岸和田城「八陣の庭(はちじんのにわ)」です。「永遠のモダン」と称される重森らしいデザインが実に、かっこいい庭です。

  • 東福寺本坊庭園と双璧の重森三玲の最高傑作
  • 庭の周囲360度どこから見ても、多彩な石組の表情が味わえる枯山水庭園
  • 城の縄張図をアレンジした幾何学的な石組は、隣接する岸和田城天守閣から見下ろすと感動的
  • 天守閣がこれほど見事な借景として映える庭はめったにない


前回レポートした9月14-15日に岸和田城周辺で開催されるだんじり祭り期間中も、八陣の庭を鑑賞できます。だんじり祭りとは対照的な岸和田の魅力をぜひインプットしてみてください。




岸和田は江戸時代、現在の大阪府の岸和田市以南を領地とした岸和田藩の城下町でした。その居城・岸和田城は戦国時代末期にルーツがあると考えられており、秀吉の時代に根来寺征伐の拠点として本格的な築城が行われました。江戸時代初めにはほぼ現在の姿となり、岡部氏が幕末まで城主として53,000石の藩を治めていました。

天守閣は江戸時代後期に落雷によって焼失、明治維新により城は石垣を除いて破却されました。現在の天守閣は1954(昭和29)年に市民の熱意により、一回り規模を縮小して再建されたものです。




八陣の庭は、天守閣再建の前年に、三国志の諸葛孔明が考案したとされる陣立て「八陣」をイメージして作庭されました。城の縄張のように上中下三段で構成されていますが、水平方向からでも全体を見渡せるよう高低差はほとんどありません。

上段中央に大将を示す石組み、中下段には大将を守る八つの陣の石組が配されており、周囲を歩きながら眺めると庭の表情が流れるように変化していきます。

また日本庭園では珍しく、あらかじめ天守閣の上から眺めた際の美しさも計算して作庭されています。八陣の庭は周囲を歩きながら水平方向に鑑賞する場合は無料ですが、天守閣に登るのは有料です。必ず天守閣の上から眺めることをおすすめします。

天守閣の上からは「永遠のモダン」という重森三玲の代名詞が最もフィットする眺めが目に飛び込んできます。城の縄張図を上から見たように、石垣を示す石組みが周囲を取り囲んでいる様子がよくわかります。

形状は不規則ですが、石垣のラインに曲線を用いていないため、幾何学的で神秘的にも思える印象を与えます。どこかナスカの地上絵のような、中南米の古代文明のデザインを彷彿とさせます。

【東福寺 公式サイトの画像】 本坊庭園

東福寺本坊庭園の「永遠のモダン」も、古刹と調和した絶妙の空間が感動的ですが、こちらは城との調和が絶妙です。



天守閣からは市内を一望


岸和田城「八陣の庭」と東福寺「本坊庭園」は、国の名勝に指定されています。昭和になってから造られた庭園が国の名勝に指定されていることは極めて珍しく、他には金沢の末浄水場にある庭園だけです。そんな稀有な名勝に重森三玲の庭園が今年2019年にまた一つ加わります。大阪・豊中にある西山氏庭園です。公開されていないようですが、機会を待ちたいものです。

【豊中市 公式サイト】 西山氏庭園

岸和田の魅力は、「動」のだんじりに対して、「静」は何と言っても八陣の庭です。ぜひ訪れてみてください。

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



重森三玲の庭は全国にある

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<大阪府岸和田市>
岸和田城 天守閣
【岸和田市公式サイト】 岸和田城(天守閣)
【岸和田市公式サイト】 岸和田城庭園(八陣の庭)

原則休館日:月曜日、12/29-1/3、展示替え期間
入館(拝観)受付時間:10:00~16:00(4月上旬~20:00)



◆おすすめ交通機関◆

南海本線「岸和田」駅下車、南出口から徒歩10分

JR大阪駅から一般的なルートを利用した「岸和田」駅までの平常時の所要時間の目安:60分
大阪駅(梅田駅)→大阪メトロ御堂筋線→なんば駅→南海本線→岸和田駅

※この施設は隣接する有料の市営駐車場が利用できます。
※イベント開催時は渋滞/駐車場不足により、健常者のクルマによる訪問は非現実的です。


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北京 景山公園_幻想的な紫禁城の屋根の絶景はここだけ

2019年07月25日 | 城・屋敷・歴史遺産

北京の景山(けいざん)公園は、故宮(紫禁城)のすぐ北側に隣接した緑のオアシスですが、何と言っても小高い丘の上からのぞむ紫禁城の荘厳な光景が訪れる者を虜にします。

  • 紫禁城を囲む堀を掘削する際に出た土を積み上げた人口の山で高さは43m
  • 真正面に紫禁城の美しいオレンジ色の屋根が並ぶ光景は荘厳そのもの
  • 北京中心部の高い山はここだけ、故宮以外にも様々な北京のランドマークが見える


皇帝たちが愛した緑のオアシスは、今は市民の憩いの場になっています。故宮を訪れたら必ず立ち寄るべきスポットです。故宮の美しさの体感は、この荘厳な遠景も見ないと片手落ちになります。


故宮・外朝・保和殿から見える景山公園

景山公園は、現在に至る紫禁城を明の永楽帝が1406年から15年かけて造営した際、紫禁城を囲む幅50mの堀と西隣の南海を掘削した際に出た土を積み上げた人口の山です。北京市街は巨大な盆地で起伏がほとんどなく、現代になって高層建築ができるまでは永らく北京で一番高いところでした。

明・清朝を通じて皇帝の庭園となり、一般市民は見ることができない絶景を楽しんでいました。眺望を活かして市中の監視にも使っていたことも考えられます。紫禁城が故宮博物院として一般公開された3年後の1928年に、景山公園も一般公開されました。

現在では中国の公園では随所で見られるように、高齢者やグループが音楽と共にダンスや太極拳を楽しんでいます。木々が出す新鮮な酸素と喧騒から離れた静かな空間を求めて、家族連れなど様々な人々の憩いの場となっています。


故宮の北端・神武門から見た景山公園

紫禁城・神武門のすぐ北側にある南門が景山公園の入口としては便利です。南門の真正面の山頂の楼閣・万春亭(まんしゅんてい)まではほぼ直線に階段状の登山道をのぼると5分ほどでたどりつけます。登山道の途中はうっそうと木々が茂っており外の様子はあまりわかりませんが、山頂に達したとたんに絶景が目に飛び込んできます。


万春亭から見た紫禁城のオレンジ色の屋根

万春亭は北京の街の中心線上に位置しており、真正面に神武門から天安門に至る紫禁城の全景をのぞむことができます。オレンジ色の屋根が波打つように並んでいる光景はまさに”荘厳”以外の何物でもありません。この荘厳さを見た瞬間、「来てよかった」と誰もが感じることでしょう。

紫禁城の右手(西側)には中南海の森と北海公園が見えます。いずれも明・清朝時代には皇帝たちが水遊びを楽しんだ庭園です。中南海は中国政府の中枢機関が置かれて立入禁止ですが、北海公園は一般公開されています。

中南海には、アメリカのホワイトハウスにあたる国家主席の官邸を中心に共産党本部や中央政府である国務院、他の要人のオフィスがあるとされています。内部の建物や機関についてはまったく明らかにされておらず、内部の様子をうかがい知るにはこの万春亭からの眺望しかありません。しかしただの森にしか見えず、建物の屋根がわずかに見えるだけです。もし詳細に見えたら万春亭は立入禁止になるでしょう。

北海公園は万春亭から紫禁城に向かって右横(真西)から右後(西北)に位置します。こちらは水辺で楽しむ市民の様子をのぞむことができ、とても清々しい気分にさせてくれます。

北京は街の中心の紫禁城と巨大な公園を取り囲むように、高層ビルが立ち並ぶビジネス街になっている様子もよくわかります。この取り囲みが、明・清朝時代に「内城」と呼ばれた北京の旧市街を取り囲んだ城壁の跡で、環状に地下鉄2号線と環状道路・二環路が通じる北京の現代の大動脈になっています。


紫禁城の堀

万春亭からの絶景は朝一番か夕方がおすすめです。日中は紫禁城の方向が南側であり、直射日光により空気のよどみが目立ち、写真写りも逆光になるためです。夕方は夕焼けが紫禁城の屋根を色づけるため、より幻想的になります。私も次回は夕方に訪れてみたいと思います。

中国は空港に着陸する際にどこでも感じられますが、空気のよどみがまだまだ目立ちます。北京の空も例外ではなく、万春亭からの遠景は日中、見にくくなるのが現状です。近距離の天安門広場の人民大会堂ははっきり見えますが、少し距離のある東側の摩天楼エリア・CBDにある高さ528mの北京最高峰の高層ビルはかなりかすんで見えます。

東京スカイツリーやあべのハルカスからの絶景のように、澄んだ空気で街中が見渡せる日が来ることを待ちたいものです。


紫禁城の角楼

万春亭のすぐ下の紫禁城の北東端の角にある見張り台・角楼に向かって塀の上を神武門から歩く人の姿も手に取るように見られます。紫禁城の四隅の角楼は東側の2つは公開されており、高さ10mの塀の上からも北京の街の絶景がのぞめ、とても優雅なウォーキングが楽しめます。

一方、西側の2つは公開されていません。今後も公開されることはないでしょう。中南海の内部が間近に見えてしまうからです。

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



中国を代表する絵本画家が北京の街の中心を南から北へ描いていく
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<中華人民共和国北京市西城区>
景山公園
【北京市文化観光局公式サイト(日本語)】景山公園

原則休館日:なし
入館(拝観)受付時間:6:30~20:30(11-3月は~19:30)

※有料エリアへの出入口は南門/東門/西門の三か所あります。
※故宮出口「神武門」の正面にあって利用者数が多いのは「南門」です・
※外国人観光客はチケットの購入にはパスポート(現物)が必要です。



◆おすすめ交通機関◆

地下鉄8号線「中国美術館」駅下車、「南門」チケット売り場まで徒歩15分


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北京 故宮 内廷_清朝の王朝美がそのままのこされている

2019年07月24日 | 城・屋敷・歴史遺産

北京の故宮で、スケールの大きさと高貴さを兼ね備えた外朝(がいちょう)エリアに引き続き、内廷(ないてい)エリアをレポートします。皇帝と家族のプライベートな建物が中心で、外朝とはうって変わって禁じられたエリアの日常を垣間見ることができます。

  • 小さな区画が密集、室内に入れるところもあり、建物空間の個性の違いが味わえる
  • 権威を誇示するようなデザインは少なく、こじんまりして落ち着いた空間が魅力的
  • 西太后や溥儀ゆかりの建物も多く現存し、中国の近代史を目の当たりにできる
  • 美術品の展示が複数個所で行われており、皇帝たちの愛したコレクションを堪能できる


公開されている区画・建物だけでも数十か所あります。外朝を見た後、いったん休憩してから回遊を始めないとかなり疲労します。もし疲労で内廷を見るのをあきらめると、北京旅行最大の失態になります。


ジョンストンが溥儀に家庭教師をした養性斎

内廷は外朝の最も奥にある保和殿(ほわでん)のすぐ北に位置する乾清門(けんせいもん)からおおむね北側のエリアで、乾清門は内廷の正門にあたります。

乾清門の北側の乾清宮・交泰殿・坤寧宮で構成されるエリアは「三宮(さんきゅう)」と呼ばれ、外朝の三殿と同じく紫禁城の中心線上にあり、内廷で最も重要なエリアです。乾清宮(けんせいきゅう)は、清朝の康熙帝(こうきてい)までは皇帝の寝室で、以降は皇帝が政務を執った建物です。

内廷の建物は比較的小さく、室内に入れるところも少なからずあります。間近に王朝美の装飾デザインが味わえる点も外朝では体験できない魅力です。


軍機処

乾清門の西隣には軍機処(ぐんきしょ)があります。高校の世界史の教科書で習った記憶のある方もいらっしゃるでしょう。皇帝への諮問機関として絶大な権力を誇った役所で、清朝末期に暗躍した軍閥・袁世凱(えんせいがい)もここに所属していました。

権力の大きさの割には小さい建物で、内部は軍機処の歴史がパネル解説されています。19cに眠れる獅子・清朝が崩壊していく矢面に立った歴史の生き証人です。

三宮から両側は妃の居住エリアで、それぞれ東/西六宮(ひがし/にしろっきゅう)と呼ばれています。清朝末期の同治帝の生母で絶大な権力を誇り、”悪女”のイメージが定着している慈禧皇太后は西六宮に居住していたため、西太后(せいたいごう)と呼ばれています。格式は日本と同じく東の方が上のようです。


御花園は紫禁城の中の楽園、溥儀もここで過ごした

三宮の北側は御花園(ぎょかえん)と呼ばれ、皇帝や妃が楽しんだ庭園のようなエリアです。紫禁城の中では目立って緑が多く、四季の花も楽しめます。中国全土から集められた石の築山が景観をさらに多様にしており、南国のような明るい雰囲気があふれています。

一角には、ラストエンペラー・溥儀が皇帝退位後に、スコットランド人家庭教師・ジョンストンから英語を習っていた養性斎(ようせいさい)がのこされています。室内には入れませんが、2Fに設けられた廊下が西洋風のデザインで印象付けられます。


神武門で行われていた展覧会

御花園のすぐ北側は、紫禁城の北側の門・神武門です。故宮の出口になっていますが、上層階は展覧会場になっています。ちょうどヴァチカン美術館とタイアップした展覧会が行われていました。故宮内では常時数か所でコレクションの展示や企画展が行われており、一大展覧会スポットにもなっています。

神武門は楼閣に上ることができ、故宮の黄色い屋根や北側の景山公園の絶景を間近にのぞむことができます。また北東隅の角楼(かくろう)まで高さ10mの城壁の上を歩いていくことができ、とても優雅な気分になれます。角楼は見張り台のような建物で、デザインは日本の天守閣によく似ています。


水晶宮

東六宮の延禧宮(えんぎきゅう)には、紫禁城初の西洋式鉄筋コンクリートで造られた水晶宮と呼ばれる建物が現存しています。紫禁城内には西洋風の建築はほぼないため、とても斬新です。

東六宮のさらに東側には追加料金が必要なエリアが二か所あります。一つ目は「奉先殿(ほうせんでん)区」で、清朝が蒐集した世界中の時計が展示されています。日本の江戸・明治の時計と同様に、”超絶技巧”が連発です。


故宮の一級の美術品は台北だけではない

もう一つは「寧寿宮(ねいじゅきゅう)区」です。故宮のコレクションの常設展示では最大規模の「珍宝館」が含まれるため、必見のエリアです。故宮の一級品はすべて台北にあると思いがちですが、珍宝館の展示を見るとそれが”思い込み”であることに気付きます。

台北に移されたのは全体の1/3ほどで、国共内戦の混乱の中、あらゆる一級品をチェックして台湾に移送するのは不可能だったことが容易に予想されます。北京の故宮の珍宝館に展示されている宝飾品や王冠などの金細工を見ると、国民党にとっては台湾に”移し漏らした”と感じざるを得ない一級品ばかりです。


暢音閣

珍宝館では清朝の乾隆帝ゆかりの品も見応えがあります。寧寿宮は清朝全盛期の最後の皇帝・乾隆帝がお気に入りだったエリアで、清朝全盛期の洗練された芸術空間が見事にのこされています。

乾隆帝の時代から70~80年後、西太后もこのエリアを愛していたようです。頻繁に鑑賞したと伝えられる京劇の舞台・暢音閣(ちょうおんかく)がのこされています。緑を基調としたデザインがどこか女性的ながらも、とても高貴な印象を与えます。


内廷こそ中国の王朝美を楽しめる

内廷エリアは、外朝エリアに比べて人波が目立ちません。外朝にあるような大きな広場は皆無で、小さい区画に分散するため目立たなくなっていると思われます。また外朝に比べ、中国人の団体客も少なめな印象です。知名度の高い太和殿周辺だけを見て帰ってしまう団体が少なくないと思われます。

内廷の区画は高さ10mもある赤い壁で囲まれており、外の様子はまったくうかがい知ることができません。巨大な壁は、皇帝であっても自由に外出できない窮屈さを象徴していますが、反面誰にも干渉されずに自分の好みに合わせて生活や芸術を楽しんだ空間なのでしょう。形式にとらわれない王朝美が時代や主人に応じて表現されていると感じられます。

内廷を見るとあらためて、紫禁城が世界遺産の中の世界遺産であることを実感します。

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



世界の巨大建造物のトリビアには驚愕

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<中華人民共和国北京市東城区>
故宮博物院
【公式サイト(英語)】https://en.dpm.org.cn/
【AraChina 中国旅行(日本語)】紫禁城(故宮)

原則休館日:月曜日、春節の前日(旧正月の大晦日)
入館(拝観)受付時間:8:30~16:00(11-3月は~15:30)

※公開されるエリアは、修復工事などにより頻繁に変更されます。
※公開されるコレクションは、頻繁に変更されます。

※天安門に入る際のセキュリティチェックとチケット購入にそれぞれ30分以上要する場合があります。
※入場者数が80,000人を超えると、その日の入場は打ち切られます。
※週末を中心に中国の連休時期は混雑が激しくなります。

※有料エリアへの入口は南側の午門、出口は北側の神武門と東側の東華門に限定されます。
※外国人観光客は実質的にチケットのオンライン予約は利用できません。
※外国人観光客はチケットの購入にはパスポート(現物)が必要です。



◆おすすめ交通機関◆

地下鉄1号線「天安門東」もしくは「天安門西」駅下車
「午門」チケット売り場まで各徒歩10分(セキュリティチェックの待ち時間含まず)
「午門」から内廷エリア正門「乾清門」まで徒歩15分(外朝見学時間含まず)

北側出口「神武門」から地下鉄8号線「中国美術館」駅まで徒歩15分
東側出口「東華門」から地下鉄1号線「天安門東」駅まで徒歩10分


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北京 故宮 外朝_スケールの大きさと高貴さを兼ね備えた稀有な空間

2019年07月23日 | 城・屋敷・歴史遺産

ほぼ10年ぶりに訪れた北京の故宮(紫禁城)は、世界最大の本物の宮殿の貫録を引き続き、訪れる者に強く印象付けてくれています。オレンジ色の屋根瓦、赤土の壁、白い大理石の石畳、ここにしかない非日常空間は全く輝きを失っていません。

  • おそらく世界最大の入場者数を誇る文化遺産スポット、空間だけでなく人波のスケールも圧巻
  • 動乱や戦災を免れ、清朝時代の空間が現存していることが、何よりかけがえがない
  • 日本文化との共通点も少なからず発見でき、個性の違いはとても興味深い


余りにも巨大なスポットですので2回に分けてレポートします。今回は紫禁城の中心の建物・太和殿がある、国家的行事や文化・学問が行われていた外朝(がいちょう)エリアです。


太和殿の中心、皇帝が座る玉座

中国の象徴ともいえる天安門の周辺には、故宮を始め毛主席記念堂や国家博物館など有名な観光スポットが集中しています。故宮博物院が開く朝8:30に最寄りの地下鉄・天安門東駅に到着しましたが、すでにものすごい人手です。


 セキュリティチェックと本人確認が厳格に

中国は、鉄道駅や空港、観光スポットといった人の集まる施設の敷地に入る際に、ほぼ100%セキュリティチェックを受けなければなりません。日本では空港でしか行われていない、所持品のX線検査とボディスキャナーによる金属探知検査です。また中国人は国家ID、外国人はパスポートを見せないと通過できません。なので混雑スポットでは渋滞に拍車をかけることになります。

天安門広場周辺に設けられたセキュリティゲートを一度通過すれば、各施設でセキュリティチェックを受ける必要がないため、ある意味合理的です。ゲート通過時にはピリピリした空気が漂っています。今回中国で訪れた観光スポットでは最もチェックが厳しい印象です。中国の国家の象徴であることに加え、天安門事件30周年の日が近かったことが影響しているのでしょう。

10分ほどでゲートを通過でき一安心ですが、天安門をくぐって故宮の入口の午門まで人波が続いています。外国人観光客を中心とする入場チケットのネット購入ができない人向けのチケット売り場の行列が心配になりましたが、こちらも行列はさほどはなく、ホッとします。


37か国語が用意されている

「エスペラント語まであるが誰が借りるのか?」という故宮のトリビアとして有名な音声ガイドの言語数の多さも健在でした。音声ガイドを借りている人は少ないという印象を受けたように、故宮の中では外国人の姿をあまり見かけません。ガイドに先導された中国の地方からの団体客が圧倒的に多く、外国人のような個人客が埋もれてしまって目立たない印象です。


巨大な空間にとてつもない人波

故宮は2015年から「80,000人に達したらその日の入場を打ち切る」入場制限を始めています。新華社によると年間入場者数は1,400万人を超え、ルーブル美術館を上回って文化遺産スポットの入場者数としてはおそらく世界一でしょう。幸い外朝エリアは巨大な建物と広場だけで構成されており、空間としての開放感は抜群です。とてつもない人波を充分に吸収して余りあるほどです。


 北京の故宮はチャイナパワーを最も如実に感じる場所

このとてつもない人波が今の中国社会を象徴しています。成長が減速したとはいえ、ほとんどゼロの日本に比べ年6%成長を続けており、すでに日本のGDPの2倍に達しています。日本でも中国人観光客が目立つように、中国社会は着実に豊かになっていると感じます。

街中や公共施設のトイレもずいぶんきれいになっています。北京の空はまだ青くなく、イケイケドンドンの社会の”発展”はまだまだ続いていると感じられます。

北京は中国の中でも、国内からの団体観光客が目立つ反面、上海や広州に比べ外国人の姿が目立ちません。中国の人口13億人の大半は地方に住んでおり、みやこ見物ツアーのラッシュはまだまだ続くでしょう。太和殿の前の映画「ラストエンペラー」で見た巨大な空間で、静かに中国の悠久の時間の流れを味わうには、閉館間際の夕方しかないでしょう。


鶴がいる、亀もいる

紫禁城の中心・太和殿が鎮座する白い大理石の基壇は広場のような大きさがあり、皇帝の権力を象徴するオブジェが設置されています。

皇帝と国家の末永い繁栄や長寿を象徴する鶴と亀がいます。この象徴自体は日本と同じですが、紫禁城の鶴と亀は、誰が見てもすぐわかるオブジェで実に堂々としています。庭園や絵画/工芸品の中でさりげなく表現される場合が多い日本の文化との違いを興味深く感じます。

度量衡の標準器と日時計のオブジェもあります。皇帝が時間と単位を司っていることを象徴しており、鶴と亀と同じく訪れる者に見せつけるように設置されています。日本の権力者はこのような見せ方はしません。


圧巻のスケールは”巨龍”を見事に表現

紫禁城の中心の建物で最重要の国家行事や儀式を行った太和殿は、奈良の大仏殿並みの大きさがあります。室内はまさにここでしか見ることができない豪華な装飾で飾られていますが、皇帝が鎮座する玉座しかなく、内部は巨大ながらん洞です。皇帝が巨大な空間を支配していると言わんばかりの圧巻のスケールです。

中国の皇帝は、中国のみならず世界の中心という「中華思想」を伝統的に信奉しています。実際に中国大陸は広大で現在でも方言の違いが大きく、TVで流れている普通話(北京の方言)を介さないと互いに会話できないほどです。

絶えず侵入してくる周辺の異民族の統治も大変です。紫禁城のスケールの大きさとオブジェの配置は、皇帝の権力を見せつける方法のわかりやすさを追求した結果、たどり着いた表現なのでしょう。日本と比べて価値観の多様性はケタ違いに大きく、皇帝は”巨龍”にならないと統治できないのです。

奈良の平城宮跡に復元されている大極殿も、太和殿と同じく室内が巨大ながらん洞であることが思い出されます。大極殿は唐の宮殿をまねて造られてもので1,000年後の清でも中華思想は明確に受け継がれていたと感じられます。


太和殿の屋根の四隅

紫禁城の建物の屋根瓦は「瑠璃瓦(るりがわら)」と呼ばれ、オレンジ色がどこか高貴な印象を与えます。近くから見ると、皇帝にしか使用が許されない黄色に見えます。中国、特に清朝の皇帝の肖像画の衣装はほとんどが黄色です。

屋根の四隅には走獣(そうじゅう)と呼ばれる魔除けのための動物のオブジェがあり、数が多いほど建物の格式が高いとされています。紫禁城ですので最高格の10体が並んでいます。日本の屋根瓦は鬼瓦や鴟尾(しび)以外に装飾はないため、こちらも文化の違いを感じます。


スケールの大きさと高貴さを兼ね備えた稀有な空間

オレンジ色の屋根瓦、赤土の壁、白い大理石の石畳は、それぞれ調和し、上質な空間美を形成しています。室内装飾は赤や青色を強調したいわゆるド派手な表現もありますが、とにかく空間が巨大なため、けばけばしい印象は受けません。逆に装飾がシンプルだと寂しく感じるほど空間が大きいと言えます。

外朝は国家的行事で皇帝の権威を見せつける場であり、”ドヤ”感が圧倒的なスケールで表現されています。同時に巨龍にふさわしい”高貴”な空間づくりが計算されています。世界遺産の中の世界遺産と言っても過言ではありません。

次回は空間の趣がうって変わる内廷(ないてい)をレポートします。落ち着いた空間が外朝とは対称的です。

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



清朝全盛期の西洋人宮廷画家が表現した美意識とは?
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<中華人民共和国北京市東城区>
故宮博物院
【公式サイト(英語)】https://en.dpm.org.cn/
【AraChina 中国旅行(日本語)】紫禁城(故宮)

原則休館日:月曜日、春節の前日(旧正月の大晦日)
入館(拝観)受付時間:8:30~16:00(11-3月は~15:30)

※公開されるエリアは、修復工事などにより頻繁に変更されます。
※公開されるコレクションは、頻繁に変更されます。

※天安門に入る際のセキュリティチェックとチケット購入にそれぞれ30分以上要する場合があります。
※入場者数が80,000人を超えると、その日の入場は打ち切られます。
※週末を中心に中国の連休時期は混雑が激しくなります。

※有料エリアへの入口は南側の午門、出口は北側の神武門と東側の東華門に限定されます。
※外国人観光客は実質的にチケットのオンライン予約は利用できません。
※外国人観光客はチケットの購入にはパスポート(現物)が必要です。



◆おすすめ交通機関◆

地下鉄1号線「天安門東」もしくは「天安門西」駅下車
「午門」チケット売り場まで各徒歩10分(セキュリティチェックの待ち時間含まず)

北側出口「神武門」から地下鉄8号線「中国美術館」駅まで徒歩15分
東側出口「東華門」から地下鉄1号線「天安門東」駅まで徒歩10分


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ライト建築+絶品の大正モダニズム空間_芦屋 ヨドコウ迎賓館

2019年07月04日 | 城・屋敷・歴史遺産

近代建築の巨匠フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright)が設計した住宅建築が、ほぼ竣工当時の姿で芦屋に現存しており、一般公開されています。ヨドコウ迎賓館です。

  • 日本でライトがのこした住宅空間を堪能できる唯一の遺産
  • 1974(昭和49)年、大正時代の建築&RC(鉄筋コンクリート)造り、として初の重要文化財指定
  • 建物からは現在も大阪湾の絶景が楽しめ、100年前の大正モダニズムの栄華がしのばれる


大阪と神戸のほぼ中間で、タイムスリップしたような贅沢な空間を味わえます。阪神大震災でも大きな被害を免れた強運の持ち主です。


玄関へのアプローチ

ヨドコウ迎賓館は、ライトが基本設計を行い、帰国したライトの後を引き継いだ弟子・遠藤新(えんどうあらた)と南信(みなみまこと)によって、1924(大正13)年に竣工にこぎつけました。

竣工時のオーナーは灘五郷の名門造り酒屋・櫻正宗の当主だったため、文化財としては「旧山邑(やまむら)家住宅」と呼ばれています。山邑家は別邸として10年ほど利用した後に手放しており、1947(昭和22)年から現在の(株)淀川製鋼所の所有となります。社長邸や独身寮として使用された後、1989年から一般公開されています。

1974(昭和49)年と比較的早い時期に大正時代の建築として初の重要文化財に指定されたように、大正モダニズムの洋風住宅建築としても非常に貴重です。重文指定以降も3度、大きな保存修復工事が行われ、往時の趣を伝えています。今年2019年の2月までも、約2年間の修復工事が行われていました。


バルコニーから見た大阪湾

阪急芦屋川駅を降りて芦屋川沿いに山の方へ向かうと迎賓館に至る急な上り坂が見えてきます。地元ではライト坂と呼ばれており、急な坂を上がると体験できる別世界への登竜門のようです。

迎賓館は芦屋川が切り開いた渓谷の壁の上、山の斜面が突き出たような丘の斜面に建てられています。そのため現在でも南側の大阪湾や大阪、神戸の街並の絶景を楽しむことができます。

坂の途中の駐車場のからさらに上がったところに正門があり、ここからは平たんです。正門をくぐっても建物しか見えず、入口がどこかわからなくなるのですが、これもライトのマジックの一つです。通常とは異なり、正門から最も奥まった場所に玄関を配置しています。建物の不思議な外観を見ながら進んで行くと絶景が拡がったところに玄関がある、という演出です。

建物の外観は、石の複雑な造形を多用した、いわゆるライトらしいデザインです。明治村に移築された旧帝国ホテル・ライト館(中央玄関)や遠藤新が設計した西宮市の甲子園会館(旧甲子園ホテル)と共通点を感じさせます。


窓がかっこいい

4F建ての室内はほぼすべてを見学することができます。山の斜面に沿って階段状に建てられているのですが、小さい階段を多用することで高低移動をあまり感じさせません。迷路のように摩訶不思議な空間になっています。これもライト建築の特徴です。

部屋の入口や階段は随所で少し狭いと感じるほどに造られています。入口が狭いとその先の空間が広く感じられる効果を狙ったものと考えられています。廊下は見通しが悪く、初めて来る人はその先に何があるのだろうと思うため、ワクワク感を高める設計テクニックの一つです。

茶室のにじり口や日本庭園の通路で先が見渡せないのと同じ考え方であり、ライトがこうした日本文化まで把握していたのかと創造が働きます。

3Fに設けられた和室は、施主の要望で洋室から変更されたもので、室内空間だけが和風です。廊下は洋風なのでとても不思議な感じがしますが、室内の和の趣はきちんと保たれています。窓を大きくして光をたっぷりと取り込んでいます。障子の代わりにはめられた和のデザインのガラス窓や金属製の欄間がとても上質です。


3F和室

4Fには洋風の食堂が設けられ、教会のようなデザインで造られていますが、どこかキャンプ場のバーベキューのテーブルのように見えます。大きな暖炉を囲んだ客人を招いた食事にはうってつけの趣です。

4F食堂の南側には絶景のバルコニーがあります。この絶景も客人を間違いなくうならせます。昼は大きな青空を、夜は宝石のような夜空を楽しむことができます。100年前と変わらない極上の空間です。

【ヨドコウ迎賓館 公式サイトの画像】バルコニーから見た煙突

バルコニーからは建物の美しさも味わうことができます。石造りの煙突が、煙突ではなく塔に見えるように青空に突き出ています。船首から船の堂々とした姿を見ているようで、非日常感を濃厚に感じさせます。


4F食堂

甲子園会館(旧甲子園ホテル)と同じく、ヨドコウ迎賓館は100年前の夢の国がそのままタイムスリップしてきたような感があふれています。オーナーのヨドコウは巨額の維持費を負担していると思われますが、ここにしかない貴重な文化財を守る立派なメセナを果たしています。

古建築の取り壊しがよくニュースになりますが、維持するのもとても大変です。日本は文化財保護の国家予算がとても少ない国です。文化財を守り伝える意義と価値をあらためて考え直すよい機会にもなります。ぜひ訪れてみてください。わざわざ足を運ぶ価値があります。

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



ライト建築があるのはアメリカ以外に日本だけ
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<兵庫県芦屋市>
ヨドコウ迎賓館
【公式サイト】https://www.yodoko-geihinkan.jp/

原則休館日:月/火/木/金曜(水/土/日曜日と祝日+イベント開催時のみ開館)
入館(拝観)受付時間:10:00~15:30

※団体ではない個人の見学には予約は必要ありません。
※この施設は、車いすやベビーカーでの観覧には適しません。



◆おすすめ交通機関◆

阪急神戸線「芦屋川」駅下車、北口から徒歩10分
JR神戸線「芦屋」駅下車、北口から徒歩20分

JR大阪駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:35分
大阪駅(梅田駅)→阪急神戸線→芦屋川駅

【公式サイト】 アクセス案内

※ヨドコウ迎賓館入口直前のライト坂は急な坂です。歩きやすい靴をおすすめします。
※この施設には無料の駐車場があります。
※休日やイベント開催時は、道路の狭さ/渋滞/駐車場不足により、健常者のクルマによる訪問は非現実的です。


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京都 白龍園 100名だけが極上空間を味わえる_春公開 6/19まで

2019年05月08日 | 城・屋敷・歴史遺産

いにしえの貴族や武家が自然との調和を楽しんだ庭園は、質的にも量的にも京都が日本一であることに誰も異論はありません。その多くが京都を代表する観光スポットになっていますが、近年は京都の庭園でも”第三の勢力”が人気を集めています。その一つが、洛北・鞍馬の手前にある白龍園(はくりゅうえん)です。

  • 戦後になってから市民の手で平安時代の廃寺の跡地を整備、空間は周囲の自然と絶妙に調和
  • 鞍馬に至る静かな山あいにあり、鞍馬川のせせらぎの音しか聞こえないような時間を過ごせる
  • 春秋のみ一日限定100名に公開、紅葉・桜期は超プラチナチケット


5月は輝くような新緑を楽しめる割には、案外空いています。京都では近年、”青もみじ”というキャッチコピーで5月の新緑をアピールしています。白龍園は、輝くような京都の新緑を味わえる筆頭格です。


朱い鳥居が絶妙に写真映えする

現在の白龍園は、京都の子供服メーカー・青野株式会社の創業者・青野正一が、現在地を1962(昭和37)年に入手したことで産声を上げます。この地は洛中から鞍馬に至る鞍馬街道沿いにあり、平安時代から貴族の隠棲の地として知られていました。白龍園の地には発掘調査の結果、廃寺になった安養寺があったと推定されています。小野小町の別荘や源義経の隠れ家があったという伝説もあります。

青野正一はこの地に伝わる伝説と自然の美しさにほれ込み、荒れ放題になっていた土地の整備に着手します。まず1963(昭和38)年に山の神に祈る祠と鳥居を建立し、その後半世紀もの時間をかけて、重機に頼らず昔ながらの手作業で整備が続けられてきました。

担い手となったのは社員や地元の人が中心です。プロの庭師や建築会社が施工したような完成された美しさではなく、穏やかな手作り感を白龍園の空間に感じ取ることができます。


えいでん・二ノ瀬駅

白龍園のチケットは、今年2019年の春季公開は現地でも発売されているようですが、叡山電鉄(通称:えいでん)の始発・出町柳駅で購入する方が確実でしょう。現地にはコインパークも含めて駐車場が全くなく、叡電もしくは路線バスでないと行けません。

二ノ瀬駅は終点・鞍馬駅の二つ手前で、結構な山あいにあります。電車が急カーブを繰り返し進んで行くと、二ノ瀬駅に到着する直前にうっそうとした木々のトンネルのような箇所を通過します。近年は鉄道ファン以外にも有名になった「もみじのトンネル」です。近づくと車内アナウンスがあります。カメラを手にして待ちましょう。とても京都らしい絶景が、四季それぞれの色で楽しめます。

【えいでん公式サイトの画像】 もみじのトンネル


入口すぐの大灯篭

園は山肌にそって順路が造られており、階段や斜面が少なからずあります。苔の海の中を石の上だけを歩くような箇所もあります。さほど大きくはなく、順路そって立ち止まらずに進めば一周するのに30分もかかりませんが、白龍園の各所の美しい表情がそうはさせてくれません。

入口を入ると、輝くような苔の海の先に階段と大灯篭が見えてきます。上野の寛永寺に元あったこの大灯篭は、下から見上げると絶妙な位置に立てられています。生い茂る木々の緑のシャワーを「これからたっぷり浴びることができるぞ」と、訪れる者に呼び掛けているようです。

大灯篭のある階段のひなびた感も、戦後になって整備されたものとは思えません。自然に逆らうことを一切排除して整備を進めてきたと感じられます。


あずま屋「彩雲亭」と「鶯亭」

座って休めるあずま屋は5か所も設けられており、とにかくゆったり過ごせるよう配慮されています。しかも一日100名限定です。著名な庭園のように人であふれかえることはなく、人が写らない写真も容易に撮れます。あずま屋でも他のグループと一緒になる機会はかなり少なめです。

5か所のあずま屋からは高低差を活かして、様々な角度の園の表情と鞍馬川の渓谷の緑が楽しめます。おそらく最も眺望の良い場所にあずま屋を設けたのだと思われます。壁がほとんどないため、360度で絶景と緑のイオンが楽しめます。ぜひ5か所とも腰を下ろしてみてください。なお園内は飲食禁止ですので、あずま屋でお弁当は広げられません。

飲み物をいただきながら休憩できるところは、園の入口の反対側、鞍馬川沿いに「河鹿荘」があります。江戸時代末期の古民家の中で、タイムスリップしたような空間を楽しむことができます。

【白龍園公式サイト】 河鹿荘


河鹿荘

入場者数を1日100名に限っているため、心無い人が石ではなく苔の上を歩いて苔を死なせてしまうような事態が避けられていると感じます。庭を愛する青野株式会社の判断として敬意を表します。

青野株式会社の雑貨のお店「kitekite」は、河原町と京都タワーにあります。通販も行っています。白龍園のように穏やかでほのぼのとしたデザインが特徴です。こちらも立ち寄ってみてください。

【公式サイト】 kitekite 

京都の庭園の”第三の勢力”としてはもう一つ、洛北・鷹峯の先にある「原谷苑」がよく知られるようになりました。こちらもいずれレポートしてみたいと思います。

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



白龍園ツアーガイドを務める庭園デザイナーが感じ取る庭の「しかけ」

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<京都市左京区>
白龍園
特別公開 2019春
【施設による特別公開公式サイト】

会期:2019年3月30日(土)~6月16日(日)
原則休館日:4/7,24,25、5/8,9,29,30、6/5、荒天日
入館(拝観)受付時間:10:00~13:30

※この施設は毎年、春(3月末~6月中旬頃)、秋(10月中旬~12月上旬頃)のみ公開されます。
※観覧券は8:30~12:30に叡山電車出町柳駅インフォメーションでのみ発売されます。
  白龍園では普段は観覧券を購入できませんが、2019春の公開では白龍園でも発売されます。
※前売り券はありません。当日券のみ購入できます。
※1日の観覧者数は100人に限定されています。購入は1人1枚しかできません。
※桜/紅葉期など混雑する日を中心に発売開始時間前に行列が限定数に達した場合は、
  1人1枚整理券が配布されます。整理券所持者のみ、発売開始時間後に観覧券を購入できます。
※荒天日は観覧が中止になります。

※この特別公開は、非営利かつ私的使用目的でのみ、撮影禁止場所以外の写真撮影が可能です。
  三脚/一脚/動画撮影は禁止です。

※この施設は、車いすやベビーカーでの観覧には適しません。
※この施設は、ハイヒールの靴では入場できません。




◆おすすめ交通機関◆

叡山電鉄「二ノ瀬駅」下車、徒歩7分

JR京都駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:60分
京都駅→JR奈良線→東福寺駅→京阪電車→出町柳駅→叡山電鉄→二ノ瀬駅

【公式サイト】 アクセス案内

※この施設には駐車場はありません。周辺にも駐車場はありません。
※現地付近のタクシー利用は事前予約をおすすめします。


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日本最古の学校の遺構は美しい_栃木 足利 足利学校

2019年03月29日 | 城・屋敷・歴史遺産

栃木県の足利市を訪れました。日本最古の学校跡である足利学校は、儒学教育で室町時代と江戸時代の2度、繁栄の時を迎えていました。そんな繁栄の面影を空間や文化財を通じてしのぶことができます。

  • 「学校」の扁額で知られる学校門は、特別な場所への入口であることを現代人にも明確に伝える
  • 跡地はかなり広く、室町時代に3,000人の学生がいたという繁栄ぶりを実感できる
  • 庫裏で展示されている国宝の中国の古典籍の複製品からは、古の学生たちの息吹が伝わってくるよう


室町時代に都から遠く離れた地で、最先端の教育機関が栄えていたことは、日本文化の奥深さを表しているようなとても興味深い史実です。足利学校はそんな史実を大切に今に伝えています。


学校門

足利は古くからの地名で、室町幕府将軍家となった足利氏はこの地の領主でした。足利市のある栃木県南部は、奈良時代から史実に登場する関東地方では最も歴史のあるエリアです。奈良時代には下野薬師寺(しもつけやくしじ)が、奈良の東大寺、大宰府の観世音寺と共に、国家が正式に僧侶を認定する機関である戒壇(かいだん)の一つとなったほどです。

足利学校の創設時期は不明で、奈良時代から室町時代まで様々な説による論争が続いています。史実として確認されているのは、室町時代の半ば、関東管領(かんとうかんれい)・上杉憲実(うえすぎのりざね)による”再興”です。

関東管領は、室町幕府が関東と奥州を統治するために鎌倉に駐在させた鎌倉公方(くぼう)を補佐する要職です。鎌倉公方は室町幕府を開いた足利尊氏の四男・基氏(もとうじ)が、関東管領は越後から相模まで4か国の守護大名だった上杉氏が、それぞれ世襲していました。

憲実は対立の続いていた室町幕府と鎌倉公方を融和させる動きをした人物として知られていますが、歴史的には文化面での貢献の方が名をのこすことになります。足利学校に加え、横浜の金沢文庫も再興しました。憲実は儒教を篤く信奉していました。


入口・入徳門

憲実は1439(永享11)年頃に鎌倉・円覚寺から高僧・快元(かいげん)を招き、学校の再興を始めます。現在国宝になっている中国の古典籍の多くを集め、学校における教科書として利用させます。教育方針として、儒教を中心に医学など実学も含んだ中国の学問だけを教えるよう定め、仏教を教える寺とは一線を画します。

戦国時代には上杉氏に代わって支配者となった北条氏によって、金沢文庫にあった「宋刊本文選」が学校に移されます。これも国宝です。

こうした純粋な教育機関としての質の高さが評判を呼び、全国から学生が集まるようになります。戦国時代には宣教師ザビエルが「日本最大の坂東の大学」と繁栄ぶりを伝えています。ザビエルは京都より東には足を踏み入れていないため、学校がいかに有名であったかがうかがえます。

戦国時代の真只中にあって、各地の戦国大名が生き残るために実学を得ようと学生を派遣したほか、一旗揚げようとする者が自ら学校の門戸をたたいたのでしょう。

安土桃山時代に庇護者を失って衰退しますが、徳川家康が足利学校を重視します。江戸時代の前半に学校は再び繁栄を迎えます。江戸時代を通じて、貴重な中国の古典籍を見に来る来客が絶えませんでした。

明治になって学校としての役割を終えると、市民の間で保存運動が起こります。足利学校遺蹟図書館が設立され、貴重書は大切に守られていくことになります。1990年には庭園と方丈など江戸時代の建物が復元され、史跡として本格的に公開が始まりました。


復元された方丈と庫裏

学校に現存する最古の建物は、4代将軍・家綱の寄進による1668(寛文8)年建築の、学校門と孔子廟(こうしびょう)です。学校門は現在の史跡足利学校を象徴する建築です。「學校」の扁額が、空間に強く緊張感を醸し出しており、最高学府としての風格を見事に表しています。学校門の正面には、足利学校の中で最も神聖な場所・孔子廟があります。

日本の孔子廟は、長崎に明治時代に造られたものが最も大規模で著名ですが、湯島聖堂や閑谷学校など儒学の学校に江戸時代から見られます。儒学は思想・哲学の最高峰として江戸時代まで日本の知識人に信奉されていました。朱子学や陽明学と言った著名な学問も儒学の一派です。

足利学校の孔子廟は、現存する日本最古の孔子廟で、儒学を信奉する日本の知識人のあこがれを今に伝えます。屋根が二層連続して設けられた典型的な中国風の建築です。屋根瓦は黄色でありませんが、中国にある孔子廟と変わらない美しさです。2019年3月現在、保存修理工事中で内外観とも見学できませんが、2020年中に再公開される予定です。


庫裏で展示されている国宝の中国古典籍の複製

江戸時代の趣を伝えるべく復元された庫裏の中では、足利学校に伝わる文化財が展示されています。足利学校に伝わる10,000点を超える古典籍の中でも、国宝指定された宋刊本文選/宋版礼記正義/宋版尚書正義/宋版周易註疏が別格です。複製を常時鑑賞することができます。江戸時代に名声を聞きつけた全国の知識人がわざわざ足を運んで見に来た逸品です。複製品ですが、本物のオーラを感じることができます。


収蔵庫を囲む竹林


日本最古の学校は平安時代初めに空海が東寺境内に設立した種智院(しゅちいん)が知られていますが、すぐに廃絶します。現存の東寺境内にも面影は全くありません。現在の種智院大学は、明治になってから真言宗各派有力寺院が共同で設立した学校です。

岡山県の閑谷学校と並んで、足利学校は日本を代表する学校の美しい遺構です。広大な関東平野の北の隅っこで、学問の聖地が花開いていたのです。

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



北関東で日本史をリードした足利の町の魅力を探る

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史跡足利学校(栃木県足利市)
【公式サイト】http://www.city.ashikaga.tochigi.jp/site/ashikagagakko/

原則休館日:毎月第3月曜日、12/29-31
入館(拝観)受付時間:9:00~16:00(4-9月は~16:30)

※公開期間が限られている美術品があります。



◆おすすめ交通機関◆

JR両毛線「足利」駅下車、北口から徒歩10分
東武伊勢崎線「足利市」駅下車、北口から徒歩15分
北関東道「足利」ICから車で15分

JR東京駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:2時間10分
東京駅→上野東京ライン常磐線→北千住駅→東武伊勢崎線特急りょうもう→足利市駅

【公式サイト】 アクセス案内

※この施設には無料/有料の駐車場があります。


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明石海峡大橋のたもとにとびっきりの洋館_神戸 舞子 孫文記念館

2019年03月24日 | 城・屋敷・歴史遺産

神戸・舞子(まいこ)は明石海峡をのぞむ景勝地で、戦前は富裕層の別荘街でした。明石海峡大橋ができて風景は一変しましたが、巨大な橋のたもとに美しい洋館が佇んでいることはあまり知られていません。孫文(そんぶん)記念館です。

  • 1915(大正4)年建築の日本最古のコンクリートブロック造建築で重要文化財
  • 元は神戸華僑の別荘で、孫文が神戸に亡命した際の歓迎会場として使われた
  • 日本では唯一の孫文の博物館、孫文の支援者たちや神戸華僑に関する展示が充実
  • 近代中国をしのばせる上質な内装と、明石海峡をのぞむ絶景が素晴らしい


戦前の古き良き神戸文化に加え、日中の深いつながりを学ぶことができます。太平洋戦争の戦災や阪神大審査の被害も免れた歴史の生き証人です。


附属棟2Fの廊下からのぞむ明石海峡

孫文記念館は、重要文化財に指定されている移情閣(いじょうかく)と、明治半ばの煉瓦づくり建築の附属棟の二棟が展示スペースになっています。神戸華僑の大物・呉錦堂が別荘として建築し、当初は現在地から北東に200mほど離れたところにありました。明石海峡大橋の建設に伴って2000年に現在地に移築されます。

移情閣と附属棟はかなり強運の持ち主です。1928(昭和3)年に国道2号線の拡幅工事で取り壊されそうになりましたが、3F建ての楼閣が海峡を進む船の目印になるため、そのまま残されました。太平洋戦争の空襲にも合わず、阪神大震災の時には移築のために解体されており、難を逃れています。歴史の生き証人と呼ばれるような遺産は、いずれもこのような強運があるからこそ今にのこっています。


右端が移情閣、真ん中が附属棟

附属棟の1Fと2Fでは孫文の生涯、日本における孫文の活動と支援者たち、呉錦堂と神戸華僑の歴史に関する展示が充実しています。事業に成功した神戸華僑がたくさんおり、日本人も含めた多くの神戸人が孫文を支えた時代の様子がとてもよくわかります。富裕層が多かった神戸の中華街だけが、南京町と呼ばれるゆえんに納得できます。

附属棟の室内は洋風で、2Fの赤絨毯の廊下から眺める明石海峡は絶景です。冬でも明るい日差しがとても気分を明るくしてくれます。


階段の壁の緑色の部分が金唐革紙

移情閣のインテリアは近代中国をしのばせます。金唐革紙(きんからかわし)と呼ばれる金箔を押し込んだ最高級の日本の壁紙が、中国風のデザインにもとてもマッチしています。2Fのホールは木の香りが漂う上質な空間です。

金に物を言わせて最高級品ばかりをいたずらにちりばめたような趣は全くなく、公家の邸宅のようにシンプルながらも素材の上質さが目立ちます。神戸華僑はそれだけ豊かで、文化的センスも持ち合わせていたのです。



美しい歴史的な建物が、巨大な現代の人工物に寄り添うように建っています。移転先として適切だったかは賛否両論分かれるでしょう。孫文記念館を東の神戸側から見ると、巨大な橋が必ず視界に入りますが、建物から東の神戸方向の海をのぞむと、海を行きかう船以外の一切の人工物は視界に入りません。景観面での評価は難しいところですが、日中の懸け橋となる大切な重要文化財建築として、末永く人々に愛されることを願ってやみません。

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



こんな神戸があったのか

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孫文記念館
【公式サイト】 http://sonbun.or.jp/jp/

原則休館日:年末年始、12/29-1/3
入館(拝観)受付時間:10:00~16:30



◆おすすめ交通機関◆

JR神戸線「舞子」駅下車、南口から徒歩5分
山陽電鉄「舞子公園」駅下車、南口から徒歩8分

JR大阪駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:60分
大阪駅→JR神戸線→舞子駅

【公式サイト】 アクセス案内

※この施設には有料の駐車場があります。


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今しか開けられない建礼門から見た京都御所をぜひ 3/21まで

2019年03月13日 | 城・屋敷・歴史遺産

天皇陛下の退位が間もなくに迫っていますが、今年2019年は即位30年にもあたるため、各所で様々な記念行事が催されています。京都御所でも通常参観では体験できない特別公開が始まりました。

  • 明治・大正・昭和天皇が京都御所での即位礼で使用した儀礼品は実に神々しい
  • 両陛下が通る時だけ使用する建礼門が開扉、門からの眺望は平安時代を思わせる雅な趣
  • 即位の礼に使用するため移送された高御座・御帳台がない紫宸殿で、背後の障子絵までが見渡せる


平成がまもなく終了する2019年3月は、京都御所も特別な空気感に包まれています。”門”フェチの方にもたまらない眺望が楽しめます。10日間の短期間ですが、次の機会は当分ありません。


御三間(おみま)

明治の東京遷都後の大正天皇/昭和天皇の即位の礼が、東京ではなく京都御所で行われていたことは、京都を除いて全国的には案外知られていないように思えます。東京で行っても不自然ではないと思えますが、旧皇室典範により京都で行うよう定められていました。天皇の神格化を強固にするために、古式にのっとって京都御所で行う方が良いとの考えがあったのかもしれません。

現在の京都御所には過去の即位の礼で使用された儀礼品が数多く保管されているようです。今回の特別公開でも少なからずの儀礼品が展示されます。


諸大夫の間 月像纛旛

【宮内庁公式サイト 京都御所 参観順路】通常公開
【宮内庁公式サイト 京都御所 参観順路】今回の特別公開

今回の特別公開は、通常公開時とは微妙に参観ルートが異なり、通常開かれていない門が開いているところが注目されます。まず入口は宜秋門(ぎしゅうもん)です。2016年まで行われていた春秋の特別公開の際には開けられていましたが、特別公開がなくなった現在は閉じられています。通常公開時の出入口となる清所門(せいしょもん)のやや南にあります。清所門は出口専用になります。

宜秋門をくぐると御車寄(おくるまよせ)に花車(はなぐるま)が特別展示されています。いきなりの撮影スポットになるため、少し混雑します。

続く諸大夫の間(しょたいぶのま)は御所に参内する公家らの控えの部屋でした。現在の京都御所の建物が幕末の1855(安政2)年に再建された際に製作された、岸岱・狩野永岳・原在照の障壁画が、御門(みかど)に拝謁する前の特別な空間を見事に形成しています。

昭和天皇の即位の礼の際に、紫宸殿(ししんでん)南庭に飾られた旛(はた)の日像/月像纛旛も展示されています。いわゆる”錦の御旗”のような神格化された趣を感じることができます。


京都御所の内側より 手前:承明門、奥:建礼門

新御車寄(しんみくるまよせ)に展示された牛車や、回廊沿いの両陛下の京都行幸時の写真パネルを見ると、建礼門が目に入ります。

建礼門(けんれいもん)は現在の京都御所に相当する旧:内裏(だいり)の南側の正門で、天皇・皇后両陛下や外国の国家元首が通る時だけ使用するため、めったに開けられません。まして誰でも見られる参観時の開扉は、おそらく今回の天皇の代替わりのような機会にしか行われないでしょう。

建礼門を通じた光景は、御所の内外の両方から見ることを強くおすすめします。今しか体験できません。言葉にはしがたいような王朝文化の優美さを感じることができます。

通常は開扉されているものの通ることはできない回廊東側の日華門(にっかもん)を通って、紫宸殿を正面から参観します。2016年以降の通常公開から紫宸殿は正面ではなく西側から遠望するだけになっているため、正面からの参観も貴重な機会です。

加えて即位の礼で天皇陛下が鎮座する高御座と皇后陛下が鎮座する御帳台がないため、広い内部空間と背後の障子絵が見渡せます。今しか体験できない平安時代をしのばせる空間美です。


御学問所(おがくもんじょ)

紫宸殿の後は、清涼殿→小御所→御学問所→御常御殿→御三間と通常公開と同じルートを進みます。通常公開では展示されていない人形や写真パネルが、往時の宮廷生活の趣を演出しています。

【宮内庁公式サイト】特別公開 主な展示の写真


いにしえから変わらない御所から見える比叡山

即位の礼で使用される高御座・御帳台の保管場所が、天皇の在所を権威づけるとする見方も根強くあります。高御座・御帳台は、明治の東京遷都後から現在に至るまで京都御所に安置されています。史上初めて東京で行われた今上(平成)天皇の即位の礼の際には一時的に東京に輸送し、その後京都御所に戻されています。

今回の即位の礼の後の高御座・御帳台の安置場所は正式には発表されていないようです。今後も即位の礼が京都御所で行われることはないでしょう。となると高御座・御帳台は東京に安置する方が、管理上効率が良くなります。今年2019年10月の即位の礼の後どうなるのか、特に京都人はやきもきしています。

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



室内や所蔵美術品の公開はめったにされない京都御所の全貌がわかる

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京都御所
御即位30年記念 特別公開
【宮内庁による特別公開公式サイト】

会場:入口・宜秋門(ぎしゅうもん)→ 出口・清所門(せいしょもん)、いずれも御所西側
会期:2019年3月12日(火)~21日(木)
原則休館日:会期中なし
入館(拝観)受付時間:9:00~15:50

※会期中に展示作品の入れ替えは原則ありません。
※この施設は常時公開されていますが、今回の特別公開のような美術品の展示は普段はありません。
※この特別公開は定期的に行われるものではありません。

京都御所
【公式サイト】 http://sankan.kunaicho.go.jp/guide/kyoto.html



◆おすすめ交通機関◆

入口・宜秋門まで
地下鉄烏丸線「丸太町」駅下車、3番出口から徒歩10分
地下鉄烏丸線「今出川」駅下車、1番出口から徒歩2分

JR京都駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:20分
京都駅→地下鉄烏丸線→丸太町駅

【公式サイト】 アクセス案内

※この施設には有料の駐車場があります。
※渋滞と駐車場不足により、健常者のクルマによる訪問は非現実的です。


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平安京の大極殿や内裏は今どうなっているか?_京都ブラ歩き

2019年02月28日 | 城・屋敷・歴史遺産

京都の西陣へ行く機会があり、少し時間もあったので、内野(うちの)と呼ばれる平安京大内裏の跡地を歩きながら訪ねてみました。

  • 大極殿・内裏・建礼門といった平安京の中心施設の跡地には石碑だけがひっそりとたたずむ
  • 鎌倉・室町時代には荒地として放置され、京都の町の重心が東へ移動していった痕跡でもある
  • 秀吉の聚楽第や昔あった寺の名前など、町名にのみ往時の記憶が伝えられている


平安京の敷地はほぼ完全に市街地化されているため、平城京のように大極殿が復元されて往時の空間を体験できるようなことはありません。しかしそれも京都と奈良が歩んできた歴史の結果です。


朝堂院跡

平安京の中心の大内裏(だいだいり)は、現在の千本丸太町交差点付近にあった大極殿を中心とする南北1.4km/東西1.2kmほどの長方形の敷地でした。現在の地図で説明すると、東南角に二条城、西北角のすぐ北に北野天満宮があり、京都御苑よりは一回り大きいサイズです。

大極殿跡のすぐ西にあり、1/1000サイズの平安京の復元模型が展示されている平安京創生館には、現在と平安時代の洛中の地図を重ね合わせて見ることができる「平安京オーバレイマップ」端末が設置されています。ネット上でも公開されており、京都の歴史を知るにはとても重宝する地図です。

【立命館大学アート・リサーチセンター,歴史都市防災研究所】平安京オーバレイマップ


大極殿跡(公園は工事中で入れませんでした)

二条駅のすぐ北にある、大内裏の正門・朱雀門(すざくもん)跡には行けなかったので、千本丸太町交差点のすぐ西にある朝堂院跡と、すぐ北にある大極殿跡から行脚を始めました。

政庁エリアである朝堂院(ちょうどういん)は大極殿から南に広がっており、石碑は跡地の北端に建っていることになります。大極殿(だいごくでん)は実際には平安京の中心・朱雀大路に相当する千本通の真上にあったため、千本通から西に入った内野公園の中に石碑が建てられています。

大極殿跡の石碑は京都に数ある跡地の石碑の中でも際立った大きさです。平安神宮は当初、明治時代の創建時、実際に大極殿があった跡地に復元して造られる計画でした。用地買収ができなかったため岡崎に建設されましたが、そんなエピソードもあるほど、大極殿は京都人にとって原点のような存在です。

千本丸太町交差点の北西角には大極殿跡の発掘調査で確認された正確な位置などの結果がパネル解説されています。ほとんど市街地化されているため発掘調査が中々できない京都で、史実が確認できた貴重な調査結果となります。


内裏跡

朝堂院の北東には天皇の居住エリアである内裏(だいり)がありました。下立売通りの山中油店の敷地に内裏跡の解説パネルが設置されています。パネルは厳密には内裏の少し外側に位置します。ピンポイントに石碑やパネルを設置しようにも、土地所有者の許可がないとできません。発掘調査ができず場所が特定されていない場合もあり、石碑やパネルはあくまで”おおむねの位置”と考えなければなりません。


山中油店、江戸時代を彷彿とさせる町屋建築が美しい

内裏のさらに北東、大内裏の北東角にあたる位置に、秀吉は聚楽第(じゅらくだい)を築きました。内野は室町時代にはおおむね北野天満宮が所有する農地となっており、内野は500年の時を経て政治の中心地に返り咲くことになります。

聚楽第は秀吉が京都の拠点として築いた豪華絢爛な邸宅で、現存していれば狩野永徳らの障壁画に埋め尽くされた、とんでもなく極上の文化財になっていたことは間違いありません。しかし聚楽第は秀次事件の影響もあってわずか8年で取り壊されます。桃山時代の内野の輝きは、そんなはかないものでした。聚楽第跡の石碑は中立売通に通ずる東西二つの門の跡地に建てられています。



跡地の石碑や解説パネルにほぼどの通りを歩いていても確実に出くわすほど、京都市内にはたくさんあります。著名な寺社や邸宅の名前が付いた町名表示パネルに出くわすことも頻繁にあります。「平安京オーバレイマップ」はもとより、通常のGoogleマップでも最近は跡地の表示が充実してきました。スマホにナビを命じれば、迷うことなくたどり着くことができます。

ブラタモリの人気の影響でしょうか、全国の町で街歩きツアーがずいぶん盛んになってきました。京都でも毎週末を中心にあちこちで行われています。ブラタモリ的街歩きにはこうしたツアーに参加するのもおすすめです。

【まいまい京都】町歩きツアーがとても充実

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



京都にのこる歴史の痕跡ガイドの決定版

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平安京 大極殿跡【京都市観光協会サイト】

聚楽第跡【京都市観光協会サイト】

※公道から石碑やパネルを、いつでも無料で拝観・見学できます。敷地内に立ち入ることは多くの場合できません。



◆おすすめ交通機関◆

JR嵯峨野線「二条」駅下車、徒歩12分
地下鉄東西線「二条」駅下車、1番出口から徒歩12分

JR京都駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:20分
京都駅→JR嵯峨野線→二条

※この施設には駐車場はありません。


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京都 祇園 水辺で花街の情緒を味わう_四条通北 祇園新橋

2019年02月26日 | 城・屋敷・歴史遺産

日本を代表する花街(かがい)の京都・祇園は、四条通をはさんで南北に分かれています。日中の観光では北側はとても静かで、南側のような観光客の喧騒に巻き込まれることはありません。

  • 北側には重伝建に指定された「祇園新橋」地区があり、いにしえの趣を色濃くのこしている
  • 白川沿いにお茶屋風の建物が多くのこされており、花街の情緒が水辺にとてもマッチしている
  • 南側と異なり観光客が少ないため、写真撮影におすすめ


北側は雑居ビルが乱立する夜の街のイメージが強いですが、「祇園新橋」地区だけは別世界です。重伝建で町並が大切に守られているからです。


白川沿い

祇園は江戸時代以来の歓楽街で、八坂神社の門前町として当初は四条通沿いに茶屋ができ始めました。次いで鴨川に近い南北の通りの大和大路沿いにも茶屋ができるようになり、江戸時代の祇園は祇園新橋のある北側の方が歓楽街としては主に栄えていました。南側は建仁寺の境内で、現在のような町は鴨川に近い大和大路沿いを除いてありませんでした。

明治になると四条通南側の建仁寺境内は、女子教育機関として設立された八坂女紅場(やさかにょこうば)の敷地になります。八坂女紅場は現在も四条通南側一帯の土地のオーナーであり、乱開発されることなく整然とした町並を維持してきました。南側一帯の古い町並は、京都市による歴史的景観保全修景地区に指定されています。

四条通南側が花街の中心という現在のイメージは、八坂女紅場によって開発がコントロールされた賜です。八坂女紅場は現在も舞妓・芸妓に芸を教える学校として続いています。

一方北側にはまとまった土地の所有者がおらず、結果的に乱開発が進んで行くことになります。戦後になってわずかに花街の情緒がのこされていた祇園新橋地区の住民が、雑居ビルの林立に危機感を抱いて立ち上がり、行政に町並保存を働きかけます。

1976(昭和51)年には、角館/妻籠/白川郷/萩/産寧坂と共に、日本最初の重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)に指定されます。こうして北側では祇園新橋地区だけが昔の町並が保全されるようになりました。

なお重伝建の新橋通の一本北側の新門前(しんもんぜん)通とさらに一本北側の古門前(ふるもんぜん)通は、京都随一の古美術商街です。ジョー・プライスが若冲作品を求めてしばしば訪れた通りで、現在もなんでも鑑定団の鑑定士が店を構えています。祇園新橋地区ほどの町並の整然さはないですが、こちらも京都らしい情緒を味わうことができます。

【公式サイト】京都鴨東古美術会


巽橋

祇園新橋地区の中心は、四条通から三本北側の通り・新橋通が白川を渡る祇園新橋です。ここからは白川南通りや巽橋にも道が伸びており散策道の結節点になっています。角にある辰巳大明神は地域の守護神で、着物姿の女将や舞妓が手を合わせている姿がよく見られます。

川沿いの白川南通りは雑誌のグラビアや結婚記念写真の撮影スポットとしてもよく知られており、しばしば撮影現場に出くわします。京都で川沿いに花街の町並がまとまってのこされているのはここだけです。南側と比べて人が少ないため、歴史を感じさせる町並を背景とした撮影にはうってつけのスポットです。

川沿いの情緒のある建物にはセレクトショップがあったりします。白川南通りから橋を渡って店に入れるようになっています。とても心憎い演出です。


新橋通

巽橋から南に延びる切通しと呼ばれる細い路地や川沿いの白川南通りは無電柱化されているため、ことさら景観が美しくなっています。一本北の新橋通は重伝建に指定されているにもかかわらず、無電柱化がまだ行われていません。新橋通は、1Fは格子、2Fはすだれと、いかにもいにしえの情緒を感じさせる町屋がずらりと並ぶ、見事な景観です。石畳の白と町屋の格子の黒もとてもマッチしています。

京都市として無電柱化の予定も見当たらず、とても残念な気がします。無電柱化ができない特殊な事情があるならば、観光にはとてもやっかいです。


2月は梅も楽しめます。

祇園新橋地区は四条通南側の古い町並よりはかなり小さいですが、水の流れがあることが何といっても魅力です。白川は比叡山から流れ出す自然の川で、祇園新橋地区から東へ流れて鴨川に合流します。京都の魅力を味わうのに、水は欠かせません。

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



祇園新橋の近くのお茶屋です

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祇園新橋伝統的建造物群保存地区
【京都市観光協会サイト】祇園新橋伝統的建造物群保存地区

※拝観・見学に条件はありません。いつでも無料で拝観・見学できます。



◆おすすめ交通機関◆

京阪電車「祇園四条」駅下車、7番出口から徒歩3分
阪急京都線「河原町」駅下車、1A出口から徒歩10分

JR京都駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:25分
京都駅→地下鉄烏丸線→四条駅(烏丸駅)→阪急京都線→河原町駅

※京都駅から直行するバスもありますが、地下鉄を乗り継ぐ方が、時間が早くて正確です。
※この施設には駐車場はありません。
※道路の狭さ、渋滞と駐車場不足により、健常者のクルマによる訪問は非現実的です。


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若冲「樹花鳥獣図」驚きの高精細複製品_京都 旧三井家下鴨別邸 3/19まで

2019年02月10日 | 城・屋敷・歴史遺産

京都・旧三井家下鴨別邸で、伊藤若冲作品の中でも知名度がトップクラスの静岡県立美術館所蔵「樹花鳥獣図屏風」の驚きの高精細複製品が展示されています。

  • キヤノンと京都文化協会が進める「綴(つづり)プロジェクト」で制作
  • 色の再現に徹底的にこだわっており、本物以上に美しい
  • 普段非公開の3F望楼が展示期間中に特別公開、明治に富裕層が独り占めしていた眺望を楽しめる


若冲の著名作品が間近に鑑賞できます。原本は所蔵する静岡県立美術館でもあまり公開されません。綴プロジェクトがもたらす感動をぜひ体験してみてください。



障壁画や屏風を中心に日本画の複製品が展示されるケースが、近年多くなっています。寺や城の障壁画の複製品は、常設展示することで空間としての美しさを保ちながら、原本も大切に保管することができます。屏風も、寺や美術館での常設展示からVIPを招いたイベント使用まで、多様な使い方がなされています。

デジタルデータとしても残るため、いつでも正確に複製品を造ることができます。アナログ写真とは異なる、新たな絵画作品の記録手段にもなります。データを記録するメディアの耐久性が確立していないため100%安全とは言えませんが、保存と記録のレベル向上に大きく貢献していることは間違いありません。

日本画の高精細複製品は様々な企業が手掛けていますが、キヤノン、DNP(旧社名:大日本印刷)の両企業グループによるプロジェクトが、著名作品の複製を多く手掛けていることからよく知られています。以前ご紹介した妙心寺天球院の障壁画の複製品も、キヤノンと京都文化協会が手掛ける綴プロジェクトによって製作されました。


展示の様子

【キヤノン・綴プロジェクト公式サイトの画像】 樹花鳥獣図屏風

樹花鳥獣図屏風は、奇想の画家・若冲のイメージを決定づけた作品で、静岡県立美術館が原本を所蔵しています。枡目描き(ますめがき)と呼ばれるモザイクの集合体で絵を表現しており、若冲が江戸時代にこのような制作方法に気付いたことは驚愕です。

私は2016年3月に滋賀県のMIHO MUSEUMで行われた「かざり」展で原本を見ていますが、原本より発色がよく、制作当初のように綺麗に見えます。多くの高精細複製品で同じ印象を持ちますので、機会があればぜひ本物と高精細複製品を並べて見比べてみたいものです。

展示は普段は非公開の主屋2Fで行われています。2Fから見る庭の風景も、とても乙なものです。


襖のデザインと質感がとても上質

主屋3Fの望楼は、4畳半ほどの小さなスペースで、一度に10人までしか上がることができません。明治以前の和風建築特有の梯子のような急な階段を上ると、一気に360度ビューが目に飛び込んできます。

東には大文字山が真正面に見え、高い建物がなかった戦前まではほぼ京都市中を見渡せたことでしょう。高い建物と言えば寺の塔と山門しかなかった時代です。3Fからの眺望自体が、富裕層のステイタスだったのです。

主屋1Fの原在正(はらざいせい)の杉戸絵「孔雀牡丹図」も必見です。原在正は、京都画壇で円山応挙の次の世代として名を挙げた原在中の長男です。孔雀の羽のボリューム感の表現が抜群です。彩色がよくのこり、保存状態も良好です。主屋が建設される80年ほど前の作品で、三井家の別の屋敷から移したものと考えられます。上質でシンプルな主屋の空間にとてもよくマッチしています。



建物を管理する京都市は、旧三井家下鴨別邸でのイベント開催に積極的です。今後も小規模な展示イベントが様々行われることでしょう。

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



マス目一つ一つに塗っていく

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旧三井家下鴨別邸

綴プロジェクト 高精細複製品 特別展示
奇想の画家 伊藤若冲「樹花鳥獣図屏風」を間近でみる!
【京都市観光協会サイト】 イベント情報

主屋3階望楼 特別公開
【京都市観光協会サイト】 イベント情報

会場:高精細複製品展示は主屋2F座敷(通常非公開エリア)、望楼は主屋3F
会期:2019年2月7日(木)~3月19日(火)
原則休館日:水曜日
入館(拝観)受付時間:9:00~16:30

※高精細複製品と主屋1F/2Fの一部を除く室内、庭園は写真撮影可能です。3F望楼のみ撮影禁止です。
※この施設の主屋2F/3Fは常時公開されていません。次の公開時期は未定です。
※この施設で常時公開されているのは、主屋1Fと庭園です。



◆おすすめ交通機関◆

京阪電車「出町柳」駅下車、5番出口から徒歩3分
叡山電鉄「出町柳」駅下車、徒歩3分

JR京都駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:30分
京都駅→JR奈良線→東福寺駅→京阪電車→出町柳駅

【公式サイト】 アクセス案内

※京都駅から直行するバスもありますが、鉄道を乗り継ぐ方が、時間が早くて正確です。
※この施設には駐車場はありません。
※道路の狭さ、駐車場不足により、健常者のクルマによる訪問は非現実的です。


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国会議事堂 日本の現代史を体験できる稀有な空間_衆議院見学記

2019年02月04日 | 城・屋敷・歴史遺産

国会議事堂で衆議院を見学しました。国家を運営するルールとなる法律を作る神聖なところです。TVニュースで頻繁に目にしていた本会議場は、案外小さく見えました。

  • 国会は国家権力の最高機関、選ばれた者たちだけが立ち入ることができる
  • 明治期の計画から半世紀も経て竣工、日本の国力を象徴する建造物
  • 日本全国から最高級の石を集めた建築に、昭和大正モダニズムを垣間見る


歴史的にも文化的にも、近代日本の姿を今に伝える遺産でもあります。TVを通じてではなく、リアルに国家権力の空間を体験する価値は、日本という国家を体験する価値そのものです。


中央塔

国会議事堂は、1885(明治18)年に建設計画が始まり、幾度もの計画変更を経て、1936(昭和11)年に竣工しました。二度の仮議事堂の失火焼失や関東大震災、二・二六事件といった様々な苦難を乗り越えて建造されており、近代日本の歴史を象徴する建造物と言えます。

現在の国会議事堂の設計は1918(大正7)年に一般公募されましたが、一等になったのは宮内省の技師による作品です。このプランも、実際の設計を行った大蔵省の技師によって大きく変更されています。議事堂は完成まで半世紀もかかっており、国家権力の最高機関と位置付ける現代の民主主義国家ではありえない感覚です。戦前は、国家主権が国民ではなく天皇にあった時代だったのです。

国会議事堂を象徴するピラミッド型の中央塔は高さ65mで竣工当時は日本一の高さのビルでした。国会議事堂付近は標高24mほどある高台です。1958(昭和33)年に東京タワーが完成するまでは、東京の方々から見えたランドマーク的な建造物でもありました。


敷地内正門から桜田門の警視庁が見える

国会議事堂内部の見学には二通りの方法があります。いずれも無条件で誰でも可能です。なお本会議場以外で行われる予算委員会など委員会も「傍聴」できますが、国会議員の紹介が必要です。

  1. 参観:国会が開かれていない時に、本会議場と周辺施設をツアー形式で見学できる
  2. 傍聴:国会が開かれている時に、本会議場で議事の様子を傍聴できる


観光目的での見学は、中央玄関など本会議場以外のところも見学できる「参観」の方がより充実しています。「傍聴」はあくまで議事の様子を見聞きすることが目的です。本会議場以外には立ち入ることができませんが、国会開催中に見学できるメリットがあります。

日本の国会は、毎年1月中に召集され会期150日の「通常国会」が6月まで必ず開催されます。「通常国会」以外には、二通りの不定期な国会が開催されます。

  1. 臨時国会:内閣による召集、衆参いずれかの議員の1/4以上の要求による召集、衆議院議員の任期満了による総選挙/参議院議員の通常選挙後の初めての召集、のいずれかで開催
  2. 特別国会:任期満了を除く衆議院議員の総選挙後初めての召集

いずれも会期の延長があり、スケジュールとしては毎年確定したものはありません。「参観」は国会閉会中と、会期中でも本会議が開催されていない時に限られます。政治の最前線の舞台であり、事前に予定を立てることが難しい社会科見学です。衆議院/参議院の公式サイトで直前に公表される議事予定を確認する以外に、スケジューリングはできません。

衆議院公式 YouTube 動画 国会施設案内(全編)


参観では本会議場以外に、中央広間や赤絨毯の廊下が見学できます。中央広間は議事堂の中央塔の真下にある玄関ホールにあたります。中央玄関は普段は閉ざされていますが、衆参議員選挙後の当選議員の初登院時や、天皇/外国元首を国会議事堂に迎える時のみ使用されます。

【衆議院公式サイトの画像】 中央広間

天井まで高さ32mもある巨大な吹き抜けは、国会議事堂を象徴する空間でもあります。全国から集められた石がはめられており、石の博物館とも呼ばれています。昭和大正モダニズムの意匠を体感できます。

広間四隅の内の三隅には、大日本国憲法発布50周年の1938(昭和13)年に設置された板垣退助/大隈重信/伊藤博文の銅像が威厳を見せています。いずれも日本の議会政治の確立に貢献した政治家です。広間の北東隅だけはなぜか銅像がありません。「偉大な政治家になってここに銅像を建てよ」と戒めているなど諸説ありますが、ない理由は謎に包まれています。

【衆議院公式サイトの画像】 御休所

中央広間から赤絨毯の階段を上ったところにある御休所(ごきゅうしょ)は、国会開会式の当日に天皇陛下が両院議長から挨拶を受ける部屋です。総ヒノキ造りで漆塗りの室内は、昭和初めの建築と意匠の粋を集めた空間です。戦前の皇居宮殿が第二次大戦末期に焼失して現存しない今、”Emperor”のための空間としてきわめて貴重な存在です。

【衆議院公式サイトの画像】 衆議院本会議場

随所に見られる赤絨毯の廊下は、国会議事堂が特別な空間であることを現しています。いくつかの赤絨毯を通って衆議院の本会議場に入ります。TVニュースで目にする空間は、実際には案外小さく感じられますがとても荘厳です。扇型の議員席のかなめにある議長席とその後ろの天皇傍聴席は木造で、日本らしい木の香りが漂っています。数々の歴史的な政治の舞台となってきたこの空間は、表現できないような厳粛な趣を感じさせます。


正門

お伝えした国会見学記は、議事堂正面に向かって左(南)側の衆議院によるものです。右(北)側の参議院の参観は、全く別物として行われます。衆参両院は、国家権力の中でもそれぞれ、独立した存在として位置づけられているためです。ちなみに国会議員は原則、自らが属する院内にしか立ち入ることはできません。

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



国会議事堂に戦前の建築芸術の粋が集めっていることがよくわかる

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国会議事堂 衆議院
【衆議院 公式サイト】 「参観」案内
【衆議院 公式サイト】 「傍聴」案内

原則参観休止日:なし
参観受付時間:平日8:00~16:00随時受付(スタート時間は不定)
       土日祝日9:30/10:30/11:30/13:00/14:00/15:00スタート、10分前受付終了

※9名以下の団体・個人は参観の参観の事前予約はできません、当日申し込みだけになります。
※運営上の都合で予告なく参観中止、時間・コースの変更が行われる場合があります。
※衆議院本会議開会1時間前から本会議散会後の参観準備が整うまでは参観できません。
※見学は係員による案内に限られます。自由見学はできません。所要約60分。
※院内の食堂・売店は利用できません。
※院内は原則写真撮影できません。
※参観前に手荷物検査を受ける必要があります。

参議院の見学・傍聴は別途手続きが必要です。
【参議院 公式サイト】 見学・傍聴 案内



◆おすすめ交通機関◆

東京メトロ丸の内線/千代田線「国会議事堂前」駅下車、1番出口から徒歩3分
東京メトロ有楽町線「永田町」駅下車、1番出口から徒歩5分
東京メトロ半蔵門線/南北線「永田町」駅下車、3番出口から徒歩10分

JR東京駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:15分
東京駅→東京メトロ丸の内線→国会議事堂前駅

※この施設には駐車場はありません。
※駐車場不足により、健常者のクルマによる訪問は非現実的です。


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京都御苑に現存する閑院宮邸_御所とは異なる上質さが魅力_

2019年02月01日 | 城・屋敷・歴史遺産

京都御苑に江戸時代まであった皇族の屋敷の遺構が、案外知られていませんが、のこされています。御苑の南西隅にある閑院宮(かんいんのみや)邸です。

  • 幕末の敷地から移築されずに建物が現存する貴重な遺構
  • 明治10年まで屋敷として使用されており、江戸時代の皇族の生活や文化を垣間見ることができる
  • 皇族好みの建物の趣と庭園の造りが調和しており、寺の庭園にはない優雅な空間が魅力


平安時代の復古様式で建てられた御所の紫宸殿とは、かなり異なる趣です。京都御所とぜひ見比べてみてください。



閑院宮家は、江戸時代に四家あった世襲親王家(せしゅうしんのうけ)の一つです。親王とはわかりやすく言えば、皇位継承資格がある男子皇族のことです。代々親王宣下を受けることで、天皇の直系男子が不在の時に皇位継承者を出した最高格の皇族です。徳川幕府にとっての御三家のような存在です。

他の三家は伏見宮/桂宮/有栖川宮で、いずれも名前をお聞きになったことも多いでしょう。四家の中では現在、戦後すぐに皇籍離脱していますが伏見宮家だけが継続しています。

閑院宮家は江戸時代の半ば、1710(宝永7)年に創設されました。創建時の屋敷は1788年の天明の大火で焼失し、現在の建物はその後に再建されたものですが、再建時期はわかっていません。

閑院宮家が東京に移転した後は、裁判所や宮内省、環境省の施設として使用されてきました。2006年に復元改修工事を行い、一般に公開されるようになりました。


玄関

皇族の邸宅は概して天井が高いのが特徴です。現代より平均身長が低かった江戸時代には、かなりのゆとりを感じさせたと推測できます。廊下の幅が広いことも特徴です。そんな大きな室内空間ですが、意匠はいたってシンプルです。豪勢な飾りつけなどは一切なく、かえって素材の上質感が目立ちます。江戸時代の皇族がシンプルさを良しとしていたことがうかがえます。

建物の所々で障子が開放されており、緑の芝生が美しい庭園を見ることができます。木造の建物の絶妙な質感を示す茶色が、芝生の緑にとてもよく調和しています。



和風の建物は4棟あり中庭を囲む構造になっています。日本の上流階級の和風邸宅では、中庭はまずありません。建物の配置に中国やヨーロッパの様式を考慮した可能性があります。建築時期が判明すれば建物設計の事情がもう少し見えてくるような気がします。

和風建築で囲まれた一定の大きさのある中庭の光景はめったに見ることができないこともあり、実に乙なものです。家族や客人を招いて憩う場としてとても魅力的な空間と感じました。



4棟の内1棟が展示室になっています。京都御苑の歴史と自然がパネル解説され、発掘調査の出土品も展示されています。

建物の南と西側に広がる庭園は散策できるようになっています。庭園も非常にシンプルな印象を受けます。花はほとんど見かけません。自然の植生を大切に活かしているのでしょう。庭から眺める建物の風情もとても上質です。政治経済的な権威ではなく、身分や文化の権威をより尊重した皇族らしい、無駄のない凛とした空間になっています。


拾翠亭

閑院宮邸の東隣は公家の九条家の屋敷跡で、茶室・拾翠亭(しゅうすいてい)と庭園が現存しています。こちらも公開されており、2Fから眺める池の風景がとても雅(みやび)です。

【国民公園協会】 京都御所 拾翠亭 利用案内

御所の北側は桂宮邸跡で、桂離宮を造営した初代の智仁親王が手掛けた庭園と池がのこされています。きわめて貴重です。現在は宮内庁職員の宿舎として使われているため一般公開されていません。こちらも閑院宮邸と同じく公開されることを強く望むところです。

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



皇族や華族の息吹が伝わってくるような写真にくぎ付け

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閑院宮邸 展示室
【公式サイト】 https://kan-in-nomiya-teiato.jp/

原則休館日:月曜日、年末年始
入館(拝観)受付時間:9:00~16:00

※庭園は月曜日も見学できます。



◆おすすめ交通機関◆

地下鉄烏丸線「丸太町」駅下車、1番出口から徒歩5分

JR京都駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:20分
京都駅→地下鉄烏丸線→丸太町駅

【公式サイト】 アクセス案内

※この施設には有料の駐車場があります。
※駐車場不足により、健常者のクルマによる訪問は非現実的です。


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