「コートールド美術館」と言うと、日本ではあまり聞きなれないでしょう。ロンドンにある私立美術館で、印象派とポスト印象派のコレクションでは世界トップクラスの質を誇ります。東京都美術館で現在行われているコートールド美術館展で、日本でもその実力が広く知られることになると思われます。
- 1920年代の一大コレクター、サミュエル・コートールド
- イギリス人は当初、印象派に興味を示さなかった
- 美術の研究機関としても現在は世界有数
世界有数のコレクションを築き上げたサミュエル・コートールドの高潔さと、美術館の実力を紐解いてみたくなりました。
テムズ川とサマセット・ハウス
コートールド美術館(Courtauld Gallery)は1932年に設立され、現在はシティとウェストミンスター寺院のほぼ中間にある、テムズ川沿いのサマセット・ハウスにあります。サマセット・ハウスはロンドンの著名な歴史的建築の一つで、広場に設けられるアイススケート・リンクが冬の風物詩になっています。
【美術館公式サイト Virtual Tour】 館内の様子 Room6
私は10年ほど前に訪れたことがあります。欧州の美術館ならではの重厚な室内空間に、驚きの名品がずらりと並んでいたことが印象に残っています。コートールドなる人物が世界有数のコレクターであると強く記憶に残りました。
1920年代の一大コレクター、サミュエル・コートールド
サミュエル・コートールド(Samuel Courtauld)は1876年生まれのイギリス人で、家業の繊維業を20c初頭に発展させ、レーヨン製造で巨万の富を築きました。美術品購入は1922年から妻・エリザベスと共に始め、1929年までの短期間で超一級のコレクションを築き上げました。
サミュエルは1932年、イギリスにはまだなかった美術に特化した研究機関の設立構想に賛同します。この際に設立されたのがコートールド美術研究所で、現在のコートールド美術館はこの研究所の付属機関です。
サミュエルは、研究所設立にあたってコレクションの寄贈/寄付/自宅の提供と全面的な援助を行い、設立の最大の功労者として研究所と美術館に彼の名が付けられることになります。
サミュエルの自宅は当時、ロンドンでも指折りの住宅建築の傑作ホーム・ハウスにありました。ロンドン社交界を代表するサロンとして知られていたホーム・ハウスは、コート―ルド夫妻が愛してやまなかった芸術空間でした。サミュエルは研究所設立の前年に妻を亡くしており、自宅の提供は美術と音楽を愛してやまなかった妻を追悼する思いが込められていたようです。
サミュエルは研究所設立の後、蒐集は行わなくなりましたが、1947年にこの世を去るまで、芸術団体やナショナル・ギャラリーのような美術館への支援を続けます。芸術を愛し、芸術が社会を向上させると信じた彼の高潔さは、イギリスの美術界に深く根付いていきます。
コート―ルド美術館の展示室
【所蔵者公式サイトの画像】 ルーベンス「ヤン・ブリューゲル(父)の家族」コート―ルド美術館
コートールド美術館はサミュエルが蒐集した印象派とポスト印象派の作品以外にも、バロックやルネサンス期のオールドマスターの名品を数多く所蔵しています。ルーベンスの「ヤン・ブリューゲル(父)の家族」は館を代表するオールドマスターの名品です。とても完成度の高い肖像画です。
これらはサミュエルの高潔さに心を打たれたコレクターたちが寄贈したもので、現在もコートールド美術館のコレクションは寄贈により拡大を続けています。
イギリス人は当初、印象派に興味を示さなかった
サミュエルが蒐集した印象派とポスト印象派は、意外なことに当時のイギリスではあまり関心を持たれていませんでした。サミュエルは硬直化した考え方を嫌う人物だったようです。印象派とポスト印象派の価値にいち早く気付いたことが、彼の蒐集心に火をつけます。
サミュエルが印象派とポスト印象派に関心を持つようになったのは、1917年にロンドンのナショナル・ギャラリーで開かれた展覧会がきっかけでした。アイルランド人の蒐集家ヒュー・レーンが寄贈したコレクションの展覧会で、サミュエルは印象派の明るく柔らかい表現に魅せられます。
【所蔵者公式サイトの画像】 ルノワール「傘」ロンドン・ナショナル・ギャラリー
レーンのコレクションの代表作、ルノワール「傘」はフランスの明るい光が見事に表現されています。サミュエルは、晴天の少ないイギリスでは体感しにくい描写に興味を持ったのでしょう。ヒュー・レーンはイギリスで数少ない印象派を評価したコレクターでした。レーンの印象派コレクションは、現在もロンドンのナショナル・ギャラリーを代表する名品として観る者を魅了し続けています。
【所蔵者公式サイトの画像】 ゴッホ「ひまわり」ロンドン・ナショナル・ギャラリー
【所蔵者公式サイトの画像】 スーラ「アニエールの水浴」ロンドン・ナショナル・ギャラリー
サミュエルはナショナル・ギャラリーにコレクションの寄贈はしていませんが、巨額の寄付を行っています。この寄付で購入されたのが、ゴッホ「ひまわり」やスーラ「アニエールの水浴」といった超一級の作品です。
トラファルガー広場
サミュエルは欧州の美術の潮流にイギリスが乗り遅れていると危機感を抱いていました。国家を代表する美術館が印象派やポスト印象派の名品を所蔵することで、イギリス美術界に刺激を与えたかったのでしょう。
名声を高めたサミュエルの下に、有力な画商から一級品の売立ての話が舞い込んでくるようになります。サミュエルの高潔さがなければ、ルノワール「桟敷席」やマネ「フォリー=ベルジェールのバー」といった超一級品の売立て情報が入らず、決して入手できなかったでしょう。
日本の松方幸次郎もその一人ですが、20c初頭は印象派やポスト印象派の人気が急速に高まった時代で、作品も高騰を続けていました。特に、経済力では世界一になったアメリカのコレクターの財力はすさまじく、多くの名品が大西洋を渡っていました。そんなとてもライバルの多い時代にあって、サミュエルの蒐集力には驚愕します。彼の高潔さに画商たちがほれ込んだのでしょう。
サミュエルの蒐集数は60点ほどと決して多くないですが、何より一級品が揃っていることに目を見張ります。審美眼にも感服します。
美術の研究機関としても現在は世界有数
コートールド美術研究所とコートールド美術館は、ホーム・ハウスが手狭になったこともあり1958年に移転、1989年から現在のサマセット・ハウスに入居しています。美術研究所は世界有数の美術の専門研究機関となり、世界中の美術館の館長を多数輩出していることでも知られています。サミュエルの理念は現代も多くの美術関係者の心の中に生き続けています。
美術研究所のホームページには、世界40か国から集まる学生に対し、Brexitの影響を説明するFAQが掲載されていました。Brexitがどう落ち着くかに関わらず、研究機関や美術館の活動に影響を与えることのないよう願ってやみません。
今年2019年9月から来年2020年6月まで、コートールド美術館が所蔵する印象派とポスト印象派の一級品のほとんどが、東京→名古屋→神戸と巡回する展覧会にやってきます。コートールド美術館が約2年間の改修休館の機会を活用したもので、ほぼ一生に一度しかない機会になります。
2020年秋にはリニューアル・オープンする予定です。コートールド美術館を観るために、ロンドンまでわざわざ足を運ぶ価値があります。ナショナル・ギャラリーのあるトラファルガー広場や大英博物館にも歩いて10分ほどの距離です。間違いなく”記憶に残る”旅になるでしょう。
こんな美術館があったのか
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<イギリス ロンドン市>
コートールド美術館
【公式サイト】https://courtauld.ac.uk/gallery(英語)
※改修工事により2018年9月~2020年秋ごろまで休館中です。
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