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名作レビュー「創造力なき日本」_村上隆は優秀なビジネスマン

2019年07月07日 | 名作レビュー

角川oneテーマ21新書、村上隆著「創造力なき日本」を読みました。

  • 日本人現代アーティストでは世界で最も著名な村上隆が語る、芸術論ではなくマネジメント論
  • 世界で成功した著者は「臭いものにはふたはせず」どうやったら臭くならないかを考える
  • 著者が言うアート業界での生存競争は、ブランドの生存競争と同じ


通常の日本人アーティストは作品集やエッセイ、自伝以外の出版はほとんどありません。村上隆は一方、マネジメント論やコンセプト論といった創作活動の前提となるアイデンティティを表明した出版がとても多いのが特徴です。すぐれた作品を創作するだけでなく、その魅力を言語化して伝えることを重視する優れたビジネスマンでもあることがわかります。



村上隆の公式twitterを見ると強烈な個性がストレートに伝わってきます。フォロワーは18万人、ツイートに意見はなく写真の事実説明だけ、言語は英語、写真が綺麗、Instagramを見ているよう、等々いかにも世界レベルでのブランドイメージ醸成を意識した趣です。高級ブランドと同じ戦略です。


村上隆はなぜ、日本国内のアート業界で賛否両論分かれるか?

腕を磨いて優れた作品を創造し続ける(=高スペックの製品を開発する)と、展覧会で目に留まり、いつかはよきパトロンと出会える(=売れる)だろう。アート作品だけでなく様々な製品のモノづくりにおいても、日本人の多くが好む考え方です。村上隆はこの考え方を「Dreams come true(夢はいつか叶う)」と評しています。

本書を読み、他の出版やツイートのやり方を見ていると、世界のアートや広義のモノづくりの意味を含むクリエイティブ市場で勝ち残るためには、Dreams come trueこそが元凶だと考えている理由がよくわかります。戦略も目標もあいまいで、自己満足に陥っているにすぎないと村上隆は考えます。

作品の魅力を伝えて顧客に売れないと意味がない。この考え方を垣間見ると、多くのみなさんがバブル崩壊後の平成の30年間に日本経済がほとんど成長していない現実を思い浮かべるでしょう。

村上隆は日本のアート業界でずけずけとこうした考え方を表明します。みなさんが所属する組織の中でも、こうした考え方をずけずけと言えば、場の多くがフリーズするでしょう。ビジネスの世界であっても「わかっていても言えない」というきわめて日本的な考え方こそ、村上隆は「勝てない元凶」と考えます。


村上隆はなぜ、世界のアート業界で評価を確立したのか?

本書は美術論ではなくではなくマネジメント論と最初に述べたのは、今は組織に属しているものの副業やひいては独立を考えている人に最適だと感じたからです。本書は2012の出版で今から7年前ですが、ビジネスで勝つための戦略論はとても基本的で普遍的な内容です。

2012年はリーマンショックや東日本大震災が続いた日本経済の暗黒の時代でしたが、2019年の今は当時よりはるかに、社会を動かす単位が組織から個人へと重心を移しつつあると感じられます。会社を早期退職する人や副業を始める人がとても多くなり、「100点ではなく80点の正論がちょうどいい」と思っていては自力では生きていけません。

「芸術家は社会のヒエラルキーの最下層にいる」「まず相手ありき」「続けること」。これらコピーは本書で語る村上隆の戦略論です。顧客ニーズを踏まえて目標と戦術を明確にし、目標達成という「勝利」のために、競争相手を上回る創作/コミュニケーション/進行管理を続けられる忍耐力を持つ。アート業界のみならずすべてのビジネスに適用できる普遍的な考え方です。


村上隆が率いる組織は、お寺のように人を育てる

村上隆は昔の工房のように製作スタッフを多く抱え、ブランドマネジメントも行う会社・カイカイキキを経営しています。本書ではこの会社での人の育て方の話にもかなりのスペースを割いており、村上隆の戦略論の理解を深めるとともに、日本古来の仏教観にも基づいた考えであると感じさせます。

社員として雇ったアーティストを育てる手法として、カイカイキキではメールによる不思議な問答を重視しています。村上隆は「密教的修行」と呼んでいますが、私は悟りを開くために苦行を続ける「禅寺の修行」のように感じました。

アーティストの卵たちに村上隆からいきなりメールが来ます。「子供の頃に隠していた秘密のエピソードを教えてください」とだけ書かれてあります。受け取る側にしては仕事にはほとんど無関係で意味不明に思えます。無意味だと思っても向き合える広い心を身に付けることで、創作が苦しくなった時の忍耐力を醸成する訓練だと村上隆は説明します。

この考えは、師弟の間で難解な禅問答を繰り返すことで、何事にも動じない広い心を身に付ける(=悟りを開く)禅宗、中でも臨済宗の修行の心に通じるものがあります。村上隆は「五百羅漢」というテーマの創作に特別な思いを持っています。彼の中には日本人のアイデンティティがしっかりと存在します。

戦時中に戦争画を描いて国家の方針に協力したものの、敗戦後に手の平を返すように批判されて失望した藤田嗣治の心境と、現在の村上隆の心境には共通点があるような気がしてなりません。日本人はとかく周りの空気に流されて「長いものには巻かれろ」と行動するのです。

マネジメント論であると同時に、日本人のアイデンティティを見つめなおすには最適の一冊です。新しいことを始めようとしている方にぜひおすすめします。





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創造力なき日本
アートの現場で蘇る「覚悟」と「継続」

著者:村上隆
判型:新書
出版:角川書店(角川oneテーマ21新書)
初版:2012年10月10日


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名作レビュー「仏教発見!」_悟りを開いた後、釈迦は何をしたか?

2019年06月02日 | 名作レビュー

講談社現代新書、西山厚著「仏教発見!」を読みました。奈良国立博物館の名物学芸部長だった著者が仏教の歴史や美術との触れ合いを通じて培った「仏教」の教えや魅力の理解を、たとえ話やエピソードを交えて平易な言葉で語った名著です。

  • 釈迦の生涯を丁寧にたどり、都度の釈迦の心の持ち方から「縁起」と「慈悲」に着目
  • 奈良時代から現代まで、日本仏教に大きな影響を与えた6人の僧の話は宗派の個性がよくわかる
  • 筆者が出会った名言も多く登場、読む者の心に和みをもたらしてくれる


筆者は研究者ですが、アナウンサーのようにしゃべりや文章表現が見事な人物です。仏教を愛し、博物館や仏教に関心を持った人に喜んでもらおうと努力した結果到達した”悟り”のようなものを感じます。


筆者の思い出の地、奈良国立博物館

著者の西山厚氏は、日本の仏教美術の殿堂・奈良国立博物館で仏教美術の学芸員として永らく活躍し、平易でわかりやすい語り口で講演やエッセイの執筆に引っ張りだこの人物です。2014年に奈良国立博物館学芸部長を退官してからは、帝塚山大学教授として活躍の場を広げていました。


仏教は生きるものに元気を与えてくれる

「死ぬことはこわくない」というタイトルで序章が始まります。知的障害施設の利用者に向けて著者が依頼された講演のテーマです。

著者は釈迦の話をします。釈迦が臨終を迎えるシーンを描いた涅槃図(ねはんず)の上には白い雲に乗って飛んでくる女性が描かれています。既に亡くなっている釈迦の母です。息子の釈迦が死を悟って自分に会いたくなると思い、母がはるばるやって来るのです。

著者は自分の父の死の際の話もします。父が亡くなる直前に「死んだ母の姿を見た」という話をしたのてギョッとします。いわゆる「お迎えが来た」と死を覚悟しますが、同時に「自分が死ぬとき、大好きだった父が必ず迎えに来てくれる」とも悟ります。

その後話を聞いた施設の利用者からの感想文が届き、著者は感動します。「死ぬのは怖いけど、お母さんに会えるのが楽しみです」と書いてありました。


「縁起」と「慈悲」で、仏教はあらゆるものを”つなげる”

著者は、仏教を開いた釈迦の人生を丁寧にたどることからも、仏教の教えの原点を理解できるよう努めています。釈迦の伝記としても、仏教の経典の教科書としても、とても優れた内容です。

釈迦が悟りを開くことで会得した最も重要な道理は「縁起」だと説明します。一般的に使われる吉凶の前兆を指すものではなく、すべての事象は原因や条件が絡み合って結果に現れるという概念です。釈迦は、この世に存在するものがすべて自分と”つながっている”と考えるようになり、あらゆるものが愛しく見えるようになります。

生き物が死ぬと別の生き物に生まれ変わると考える「輪廻転生」も、”つながり”の考え方がベースになっているのだと感じました。寺社や仏像の沿革を意味する「縁起」も、吉凶の前兆を指す「縁起」も、”つながり”の意味を含みます。いずれも仏教用語がベースとなって使われるようになったのでしょう。

筆者は「悟りを開いた後にどうなったか」という素朴な疑問に着目します。仏教の修行では悟りを開くことがゴールであり、目標を失うことでかえって心が折れてしまうのではと考えたのです。これを「ブッダの挫折」と名付け、釈迦の心の持ち方の重要な転機になったと説明します。釈迦は、行きとし生けるものあらゆるものに「慈悲」の心を向けることで「ブッダの挫折」を乗り越えます。

「慈悲」も、”つながり”を大切にする考えが根底にあると感じます。”つながり”の結果、発生した事象が運命であり、運命に対する「慈悲」の心が、あらゆるものに”救い”を与えるように思えます。そしてあらゆるものに幸せを与えるようになるのです。


仏法の興廃は人による

第4章のタイトルです。仏教はキリスト教やイスラム教のように開祖を絶対的に信奉する宗教ではないことを伝えています。

釈迦は紀元前5c頃の人物です。その頃インドにはすでに文字がありましたが、存命中に自らの教えを記録に残すことを認めませんでした。弟子たちもその考えに従って釈迦の死後も永らく釈迦の教えを記録に残さなかったため、経典として文字に記録されたのはさらに数百年後と考えられています。さすがに記録に残さないと布教に不便だという認識が広がったのでしょう。

釈迦の死後から数百年も経つと、口頭の伝承では様々な解釈や伝わり方の違いが現れます。その時の治世者の都合も加味されるようになり、どれが本来の釈迦の考えなのかよくわからなくなってきます。仏教の経典の種類が膨大なのはこのためです。宗教の開祖としての釈迦よりも、自らの信ずる経典の解釈を訴える各宗派の開祖を信奉する傾向が、日本では生まれてきます。

筆者は、日本仏教に初めてきちんとしたルールを伝えた鑑真を始まりに、宗派の開祖として最澄と法然、中興の祖の中でも最も尊敬される明恵と叡尊、現代仏教の在り方にかけがえのない一石を投じた薬師寺の高田好胤(たかだこういん)の6人を取り上げます。人によって仏教の伝わり方がいかに変わってくるかを解説します。

有力宗派の開祖の活躍を並べたありきたりの話ではなく、各時代の仏教に大きな影響を与えた僧を的確に選んでいるところが注目されます。


心想事成

切に思ふことは必ずとぐるなり。日本ではあまり聞きなれませんが、中国では有名な言葉です。筆者はこの言葉がとても好きだと語っています。仏教が教える縁起や慈悲の概念を深く理解しようとする過程で出会った言葉でした。”つながり”を信じることの大切さを教えてくれる名言です。

私はこの一冊を読む前にフェノロサをテーマにした講演を聞いて筆者に興味を持ちました。プロのアナウンサーのように、とても聞きやすい声でゆっくりと丁寧に話されていました。その際に聞いたお話で強く印象に残り、即時洗脳された言葉があります。筆者は仏像に参拝したり鑑賞したりすることを「仏像にお会いする」と言います。

仏教は仏像/仏画といった視覚で認識する信仰対象が重視されます。キリスト教やイスラム教がより、情報として解釈する経典を重視するのとは対照的でもあります。仏像/仏画は言うまでもなく美術的歴史的価値も併せ持ちます。となると仏像を鑑賞する/参拝する、を区別することは難しくなります。「拝観する」という二つをミックスした便利な言葉もありますが、お役所的で堅苦しさが残ることは否めません。

(見る+拝む)÷2=お会いする。救いと美しさをあわせて伝えてくれる仏様に、敬意を表すとても適切な表現です。公演を聞いてから私も「お会いする」と表現するようになりました。





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講談社現代新書「仏教発見!」
著者:西山 厚
判型:新書
出版:講談社現代新書
初版:2004年11月20日


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名著レビュー「寺社勢力の中世」_もっと経済から歴史を見るべし

2019年05月05日 | 名作レビュー

ちくま新書、伊藤正敏著「寺社勢力の中世」を読みました。平安時代から室町時代にかけて、公家・武家の政治権力者以上に社会を支配していた「寺社勢力」の実態を明らかにしています。寺社勢力が日本の中世の社会や文化の理解に欠かせない存在であることがとてもよくわかります。

  • 鎌倉時代の全国の延暦寺領は幕府の領地より多く、京都の経済活動をほぼ牛耳っていた
  • 中世の社会に最も影響力があったのは寺社勢力だが、江戸時代以降はその実態が伝えられなくなった
  • 無縁者の取り込みが寺社勢力の力の源泉と指摘、無縁者こそが新たな文化やシステムを生み出した


歴史ドラマや小説で寺社勢力が主役になることは、ほとんどありません。現代人にとって新たな視点で中世に目を向けることができ、寺社勢力がなぜ数多くの文化や社会システムを生み出すことができたかを理解することができます。


延暦寺 西塔 にない堂

中世の寺社勢力と言うと、比叡山や興福寺、本願寺などがすぐに浮かんできますが、いずれも政治権力者を苦しめたアウトサイダーのようなイメージで語られがちです。著者はこの要因を「江戸時代以降の歴史書が寺社勢力の社会への影響力を語らなくなったため」と指摘しています。

天下を統一した信長・秀吉・家康の三英傑共に、寺社勢力の無力化は社会支配には絶対に必要でした。中世以来脈々と続く寺社勢力の治外法権や経済支配といった、政治権力者がそれまで介入できなかった影響力の大きさを知っていたからです。

寺社勢力を完全にコントロール下に置いた徳川幕府にとっても、寝た子を起こしかねない中世の寺社勢力の活躍の話は封印しておく方が好都合でしょう。江戸時代の歴史家が、そうした空気を”忖度”したとも考えられます。


中世の寺社勢力は無縁者を受け入れた

筆者はまず、中世の社会の実態を紐解いていきます。日本では安土桃山時代以降は一つの政治権力が社会を支配しており、政治権力者の支配が及ばない地域やシステムはありません。しかし室町時代までは、寺社勢力の支配地に政治権力者が影響を及ぼそうとすると、拒まれることが普通でした。寺社勢力は地域の経済システムを牛耳っていることが多く、へそを曲げられるとまずいという事情があったのです。

こうした様子を源義経の逃避行を例にわかりやすく解説しています。勧進帳に描かれるように、機内でも吉野のような山奥や東北へ向かう逃避行ばかりが知られていますが、畿内の中心にある二代有力寺院・延暦寺と興福寺に一定期間、義経が潜伏していたというのです。

延暦寺と興福寺は領地内における政治権力者の警察権を認めていなかったため、鎌倉勢が寺内を捜索することはできませんでした。延暦寺と興福寺にとっても、何も鎌倉勢に対抗するために匿ったのではなく、一切の事情に関わらず無縁者を受け入れるという、当時としては普通の行動だったというのです。

無縁者とは、現代の意味と同じく、社会との関わりを失くした人を指します。義経のような逃亡者から、社会からつまはじきにされていた障がい者や(せんみん)、捨て子まで、あらゆる事情で普通の社会生活を送れない人たちです。自らの意思で寺に入り、世俗との関係を断ち切った出家者も含まれます。無縁者とは言い切れませんが、武家や公家で家督を継ぐ可能性のない子供も寺に出されています。

困ったら寺に行くという考え方が中世では普通であり、寺の人材確保の有力な手段にもなります。中世の僧はほとんどが妻帯を許されておらず、世襲で組織を継続していくことができなかったという公家や武家にはない寺特有の事情もありました。多様な価値観を持つ人が寺社勢力に集まったことが、組織の活力を維持していたのです。


中世の寺社勢力は唯一の自由競争組織だった

無縁者が寺に入ると、健康な者は山伏や聖(ひじり)の姿で各地を行脚し、布教や寄付集めに携わりました。庶民は政治権力者を警戒しますが、山伏や聖は自らに不利益を及ぼすことがないため警戒しません。行脚を通じて公家や武家が知らない情報を得ることで、さらに経済システムを進化させていきます。

無縁者は寺の中では実力で生きていくしか術がなく、常に結果を出そうと努力せざるを得ない環境にありました。公家や武家のように、生まれながらにして権限や仕事が固定されているのではなく、寺は自由競争社会でした。

無縁者を受け入れるというと、現代では駆け込み寺のように手厚く保護してもらえるように想像しがちですが、全くそんなことはありません。このような組織の実態の違いを理解すると。既得権やしがらみで硬直化した公家や武家は、寺社勢力との経済競争に勝てないことがよくわかります。


興福寺 東金堂と五重塔

筆者は「境内都市」という概念も提唱しています。「門前町」と同じく寺の周囲にできた町を指しますが、人が集まる要因を、信仰ではなく経済活動に置いたものです。寺社勢力は様々な職人集団も抱えており、宗教集団とビジネス集団の2つの側面を持っていました。比叡山が琵琶湖の水運を支配し、都への物資の流通に大きな影響力を持っていたことはその一例です。

門前町という信仰に重きを置いた概念だけでは中世社会の実態を説明しきれないことに、賛成できます。

現代も過去も、人間が生きていく上で最も重要なシステムは、政治ではなく経済です。経済や情報を牛耳ることで、文化や科学技術も発展します。喫茶、念仏踊りや狂言、酒造り、生け花、庭造り、これらはすべて寺社勢力が世に広めた文化です。


経済と文化からも歴史を見る

政治だけでなく経済と文化からも歴史を見ることで、常に動き続けている社会の実態をより正しく理解できることに、この一冊は気付かせてくれます。筆者が丹念に文献から読み取った中世の寺社勢力の活動実態の話は、驚きの連続です。

戦国大名をも凌駕する宗教・経済集団を作り上げた本願寺の蓮如がNHKの大河ドラマの主役になると面白いのでは。読み終えた後にふとそんなことを思いつきました。




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寺社勢力の中世 ―無縁・有縁・移民
著者:伊藤正敏
判型:新書
出版:筑摩書房
初版:2008年8月10日


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里山資本主義_名著レビュー_里山に日本の未来が眠っている

2019年03月10日 | 名作レビュー

2013年に発売されてベストセラーになった角川oneテーマ21新書、藻谷浩介/NHK広島取材班著「里山資本主義」をあらためて読んでみました。

  • 里山資本主義とは、お金が少ないことへの不安感にさいなまれない暮らしのモデル
  • 日本人が好む安全安心は、過去の成功体験への思い込みから脱却することで獲得できる
  • 課題先進国ニッポンの諸悪の根源は”人口減少”、若者に夢を与える”地域”は活気を取り戻している


デフレが続き経済成長しない日本の閉塞感の要因と、まだまだ奥深い日本の将来への可能性を6年前に指摘した名著です。日本にまだまだたくさんの魅力的な里山があることも教えてくれます。


八ヶ岳

著者の藻谷浩介(もたにこうすけ)は日本総合研究所の研究員で、毎年400回以上の講演を全国各地で続けている日本有数の”地域エコノミスト”とです。徹底した現地体験と統計の精査で地域の課題解決を提言しており、日本の市町村を100%訪問、日本のすべての鉄道路線に完乗、海外72か国・全米50州を訪問、という驚愕のフットワークが提言を支えています。

「里山資本主義」は、共著者のNHK広島取材班との造語です。中国地方の里山で軌道に乗り始めた新しい産業を通じて日本社会の将来像を提言する番組を、藻谷が広島に転勤になった時に一緒に制作することで生まれました。


GDPだけでは豊かさを測れない ~ある若者の生活転換

本は、日本の大都会で働く平均的な若者の暮らしぶりの話から始まります。高い給料を得るために猛烈に働く彼は、家には帰って寝るだけで食事はすべて外食、洗濯もできず下着をコンビニで買うこともしばしば。新興国との競争に敗れて業績が低下した会社から彼はリストラされ、失意の中で田舎に帰ります。

やっと見つけたジャム屋の働き口の給料は今までの1/10しかありませんでしたが、地元の人の話を聞くと目からうろこが落ち始めます。石油缶ストーブを改造した囲炉裏で拾ってきた木を燃やして調理し、近所のおばあさんがもてあましている畑を借り、野菜を栽培します。とれた野菜は近所で交換し合うので、スーパーに行く回数も減ります。

彼の財布から消えるお金は劇的に減ります。給料が1/10でも困らなくなり、新鮮な食材で食事も格段に美味しくなります。

この話は、都会でも地方でもすべての日本人の身につまされると思います。生活の効率のために消費していたモノやサービスは、生活の充足感には決してつながっていないことがわかるからです。

著者は「だからと言って田舎暮らしを推奨するものではない」と表明しています。著者が言いたいのは、マネーを増やした量を積算する経済成長で暮らしの”豊かさ”を見ると、この若者の都会暮らしは見事に反映される一方で、お金が介在しない自然採取や物々交換が少なくない田舎暮らしは反映されにくいということです。


一歩前に踏み出している里山は日本にたくさんある

著者は様々な里山地域で軌道に乗っているビジネスモデルを紹介しています。日本の里山では、身近にある生物資源である「バイオマス」の利用、代表例として木材をエネルギーとして利用する取り組みが盛んに行われています。

岡山県の中国山地にある真庭市では、製材所で大量に出る樹皮や木くずを、燃料に使って発電したり、木質ペレットと呼ばれるチップに加工して家庭の暖房や温室ハウスに販売している事例を紹介しています。

エネルギーとして石油を買うのではなく、地元にあるものを環境に負荷をかけることなく、安価に利用することがこの仕組みの最大の利点です。木材を使ったバイオマス燃料は、燃やすとCO2を排出しますが、原料の木が光合成でCO2を吸収するため、CO2は増えません。地中に押し込められていたCO2を地上に排出する化石燃料に比べ地球温暖化にもきわめて優しい燃料です。

真庭の取り組みは、Googleで「真庭 バイオマス」と検索するとトップに、バイオマスビジネスを見学するツアーが表示されるほど知られるようになっています。

【真庭観光局公式サイト】バイオマスツアー真庭

山口県の瀬戸内海に浮かぶ周防大島では、都会からIターン移住してきた若者が、地元産の果物を使った新鮮なジャムを出す店を開いています。県外から車でわざわざやってくる客で大繁盛しており、何より地元産の果物を高値で仕入れていることから、地元の生産者にとても喜ばれています。

生産者にとっては加工や流通のノウハウがないため、今まではジュースの原料として一生懸命作った果物を安値で買い叩かれていたのです。

”よそもの”の若者がもたらしたビジネスモデルは、著者の藻谷が提唱する「地消地産」の成功例でもあります。「地産地消」という言葉は聞いたことがあると思いますが、地域経済に与える効果は全く違います。

「地消地産」は地域で消費されるものを地域で生産・加工することです。消費に基点を置いたビジネスの考え方であるため、ブランド化を目指すことが一般的です。地域外にお金が流出することなく、成功すれば観光客や通販客がもたらすお金の流入が顕著になります。

一方従来の「地産地消」は生産に基点を置いており、地域住民に地元産品の消費を呼び掛ける考え方です。マーケティングの観点が弱いため、地域へのお金の流入が目立ちません。

島根県邑南町では、耕作放棄地を使って都会から移住してきたシェフが自ら栽培した野菜を出すイタリアンレストランが大繁盛しています。広島県庄原市では空き家を活用したデイサービス施設で、自宅栽培で実りすぎた野菜を分けてもらって消費し、捨てないで済むと地元から喜ばれています。


課題先進国から課題解決先進国へ

ないものはお金で買う、お金を稼ぐために働く。日本や世界では100~200年ほど前から当たり前になった考え方です。働くことに重点を置き、働いた成果をお金に換算して評価しますが、少子高齢化が進んで現役世代の人口が減少すると経済成長しなくなるため、このシステムは行き詰ってきます。平成の日本がその典型例でしょう。

この本は、お金を稼ぐことに依存しない経済モデルを提言しています。日本経済すべてがこのシステムで成り立つとは思いませんが、数多くの課題解決をもたらし、社会の閉塞感を突破する大きな力を秘めていると感じます。

現役世代の人口減少による苦しみには、経済成長著しい世界中の新興国でも、いずれ直面するようになります。日本や欧州といった先進国の生きる道は、課題解決の模範を世界に示せるかにかかっていると思います。





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里山資本主義
著者:藻谷浩介、NHK広島取材班
判型:角川oneテーマ21新書
出版:KADOKAWA
初版:2013年7月10日


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舞妓 芸妓のお座敷芸を舞台で鑑賞_都をどり 今年は南座で4/1から

2019年03月08日 | 名作レビュー

京都のみならず日本の夜の伝統的な”お座敷遊び”を彩る舞妓・芸妓が、日頃鍛錬を積んだ舞や芸を披露する「都をどり」が間もなく始まります。京都で桜の季節に合わせて始まる、春の一大風物詩です。

  • 京都にある五花街が催す舞踊公演の中でも最も著名
  • 舞台に登場する舞妓・芸妓の人数が多く、集団としての迫力ある舞踊が楽しめる
  • 敷居が高い宴席を設けることなく、誰でも京都の雅な囃子や舞踊を楽しめる


2019年は新装オープンしたばかりの南座に会場を移して行われます。京都の歌舞伎の本拠地での公演は、やはり別格の趣があります。


四条花見小路

都をどりは、一般的な表記ではなく”をどり”と表記します。1月の戎まつりを”ゑびす”と表記するのと同じように、伝統への強いこだわりを感じます。

祇園の花街は、江戸時代初期に現在の八坂神社の門前で営業を始めた茶屋が始まりです。花街は四条通沿いから鴨川東岸の大和大路や鴨川西岸の河原町まで拡がります。最も歴史のある島原を上回り、江戸時代を通じて京都最大の花街として発展します。


祇園甲部歌舞練場

明治の東京遷都が、花街の将来に危機感を生じさせます。1872(明治5)年、芸を身に付けた職業女性として芸妓(げいこ)を育成する八坂女紅場(やさかにょこうば)が設立され、花街の近代化が始まります。都をどりは、同年に開催された博覧会の余興として、花街ならではの芸を一般に広く披露するべく企画されたのが始まりです。

企画にあたっては、茶屋・一力亭と、祇園甲部花街の舞を主導する井上流が、大きな役割を果たしました。両者は現在も祇園甲部花街の中心的な存在です。


祇園甲部歌舞練場ホール

現在の鴨川東岸の祇園の花街は、3つに分かれています。四条通の南に本拠地の歌舞練場がある「祇園甲部」が最大で、四条通北東の「祇園東」、四条~五条間の鴨川沿いの「宮川町」です。それぞれ本拠地の歌舞練場で、祇園東は11月の10日間「祇園をどり」を、宮川町は4月の2週間「京おどり」を、それぞれ行っています。

祇園甲部の本拠地・歌舞練場は1913(大正2)年の建築で、古き良き時代をしのぶことができます。100年前の様式のため現在では座席配置に窮屈さを感じます。歌舞練場は2016年から、耐震工事のため閉鎖されています。2019年の都をどりは、新装オープン間もない南座で行われます。


南座

都をどりは60分の間に8つの演目が披露されます。いずれも京都の四季や名所にちなんだ演目です。最初に披露される総をどりは16人の舞妓が一斉に舞うためとても迫力があります。振り袖姿で舞うのは大変だと思いますが、見習い中の舞妓と言えどさすがにプロだけあって動きはしなやかです。あでやかさよりも初々しさを感じるところが舞妓の舞の魅力です。

見倣いを終えて一人前になった芸妓は、正装である黒紋付姿で登場する場面もあり、貫録を感じます。舞はもちろん、三味線や長唄の披露もあり、いずれも動きは洗練されています。


2019年都をどり「予告編」

宴席で披露される芸を一通り鑑賞することができ、60分はあっという間です。舞妓・芸妓を呼ぶ宴席を設けることは容易ではないため、舞台で鑑賞できる都をどりが、確実にお座敷芸のフルラインナップを楽しめます。



チケットは例年1月から公式サイトで発売されます。桜の時期や週末は込み合うので早めのチケット購入をおすすめします。

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



ネコの目線で見た京都

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祇󠄀園甲部歌舞会
南座新開場記念 都をどり 2019年4月開催
【主催者によるイベント公式サイト】

主催:祇󠄀園甲部歌舞会
会場:南座
会期:2019年4月1日(月)~27日(土)
原則休館日:なし
公演時間:毎日3回 12:30/14:30/16:30 各回60分

南座
【松竹公式サイト】https://www.shochiku.co.jp/play/theater/minamiza/



◆南座◆ おすすめ交通機関

京阪電車「祇園四条」駅下車、6番出口から徒歩0分
阪急京都線「河原町」駅下車、1番出口から徒歩3分

JR京都駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:20分
京都駅→地下鉄烏丸線→四条駅(烏丸駅)→阪急京都線→河原町駅

【南座公式サイト】 アクセス案内

※京都駅から直行するバスもありますが、地下鉄を乗り継ぐ方が、時間が早くて正確です。
※南座には駐車場はありません。
※渋滞と駐車場不足により、健常者のクルマによる訪問は非現実的です。

※祇園甲部歌舞練場は、南座から徒歩8分ほどのところにあります。


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ニッポン景観論_名著レビュー_そこにしかないものを大切に

2019年02月21日 | 名作レビュー

集英社新書、アレックス・カー著「ニッポン景観論」を読みました。古民家の再生や日本文化研究で知られる著者が、日本人が普段気付いていない「景観」に感銘を深めるべきとして様々な問題提起をしています。

  • 電柱・送電線・携帯基地局が景観に全く配慮されず建てられているのは日本だけ
  • 日本人は街の清潔さにはとても敏感なのに、景観の美しさにはなぜ無頓着か?
  • 世界中で基幹産業になっていく観光の満足度には景観の印象が大きく影響、そこにしかないものだから


著者が日本文化をとても愛していることは読み進めていけば自然と感じます。だからこそ景観に対する日本人の感覚をとても不思議に感じているのです。


京都もようやく進み始めた

著者はアメリカ人の東洋文化研究者で1977年以来、主に京都・亀岡を拠点に執筆・講演・観光コンサルタントとして活躍しています。徳島県の険しい山中にある祖谷(いや)で偶然見つけた古民家に一目ぼれして住み込み、全国各地で古民家を宿として再生する事業でも知られています。

祖谷の古民家に一目ぼれした理由を「霧が覆う急斜面の中に古民家が姿を表す風景は、中国の墨絵のようでロマンチックなパノラマだった」と語っています。私は祖谷を訪れたことはありませんが、おそらく日本人が見ても同じような印象を受けるでしょう。

しかし外国人と日本人には大きな違いがあります。そんな絶景パノラマの中に鉄塔などの人工物があると、外国人は違和感を持ちますが、日本人はあまり気にしないのです。著者は様々な人工物におけるこの感覚の違いを指摘し、観光資源の破壊による国家的損失を強く憂慮します。

深く信奉され続ける日本の「神話」

神話(1)電線を埋設する工事費が高いから無電柱化ができない

欧米やアジアの主要都市は電柱と電線がほとんど見られなくなっています。国によって違いはありますが、多くの国では電力会社が工事費を負担して埋設することが義務付けられています。日本のように行政が工事費を負担する国はほとんどありません。

電柱を設置する電力会社や電話会社も、電柱の方が安価という経済合理性を優先し、景観を犠牲にすることが現在も続けられています。無電柱化工事は限られた範囲でしか行われないため、規制は硬直化し、一向にコストは下がりません。「寝た子を起こすな」という日本人が選択しやすい「放置」の典型例だと著者は感じているのでしょう。

神話(2)日本は地震が多いので、埋設できない

大きな地震の際には電柱や鉄塔が倒壊して電力や通信がストップします。垂れ下がった電線が道路をふさぎ緊急車両の通行に支障をきたします。一方埋設されている場合は道路をふさぐリスクはなく、電力や通信の切断も埋設の方が少ないことがわかっています。

「地表にある電柱の方が復旧が早い」「日本は外国と違うからできない」といった”思い込み”が、日本人の頭の中に強く覆いかぶさっていることを著者は指摘します。とてもたくさんの”思い込み”があることに気付かされます。

【京都市公式サイト】 無電柱化 整備事例

無電柱化が進んでいなかったと感じる京都でも、わずかずつではありますが進められています。現在は先斗町が工事中です。市のホームページでは工事前後の景観の違いを写真で並べて比較できるようになっています。「歩道が広くなる」といった他のメリットもあり、もっと積極的にPRすべきだと感じます。

神話(3)看板が多いほど経済効果が上がる

日本は都市部でも田舎でも至る所に看板があります。日本人は慣れっこになっているので、ドライブしていても何も感じませんが、外国人は違います。著者はホノルルの空港と市街地を結ぶ道路に看板がなくリゾート地にやって来たことを強く実感できること、ニューヨークはブロードウェイなどごく一部を除いてビルの3F以上の看板が禁止で町並がとてもスッキリしている例を挙げています。

これは世界の潮流なのです。これだけたくさんの外国人観光客がやってくる今、「日本は景観が美しいところがない」というレッテルを張られてしまいます。

「消費税完納推進の町「人権尊重の町」といった看板も、確かに意味不明です。国宝・重要文化財建築には必ずあるHITACHIの看板も同じく意味不明です。


古いものは恥ずかしい?

がけ崩れ防止に山肌を覆いつくすコンクリート、テトラポットで埋め尽くされた海岸、送電線、携帯電話基地局、他にもたくさんあります。カナダで携帯基地局に木のデザインが施されている事例も紹介されています。日本人は景観お構いなしに基地局があった方がつながりやすくなって便利と考えるのです。

21世紀は観光が基幹産業になると著者は指摘しています。「ニッポン景観論」は日本の観光産業の足を引っ張るのに、日本人の多くが思い込みに基づく無関心を装っていることに警鐘を鳴らしています。外国人だからこそ、そんな無関心にストレートに切り込んできます。

「古いモノは恥ずかしいのではなく、素晴らしいモノだ」。著者はこのことを日本人に最も気付いてほしいと考えています。そこにしかないものだから、わざわざ訪れる価値があるのです。





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ニッポン景観論
著者:アレックス・カー
判型:新書
出版:集英社
初版:2014年9月22日


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超<集客力>革命_名著レビュー_美術館には可能性があふれている

2019年02月11日 | 名作レビュー

角川oneテーマ21新書、蓑豊著「超<集客力>革命」を読みました。著者の蓑豊(みのゆたか)は現在の日本の幾多もいる美術館の館長の中で最も著名な人物です。

  • 金沢21世紀美術館を成功させたノウハウで兵庫県立美術館のマーケティングに挑む
  • 美術館の館長職は名誉職では務まらない
  • 美術館が街を元気にする


日米の主要な美術館をいくつも渡り歩いてきた著者は、グローバルに通用する視点でマーケティングを考えています。「どうやったら持続できるか」、どんな事業でも共通の課題に愚直に取り組んでいます。


兵庫県立美術館のカエル

著者の名前を一躍有名にしたのは。何といっても2004年のオープン時に初代館長を務めた金沢21世紀美術館の大成功でしょう。オープン1年目から地方の美術館としては驚異的な150万人の入館者を集め、一躍金沢トップクラスの集客スポットになります。現在は年間250万人ほどに増えており、わが国を代表”すべき”東京国立博物館より多い水準です。

金沢21世紀美術館の努力はもちろんですが、それ以上に東京国立博物館のマーケティングがうまくいっていないことに衝撃を覚えます。著者は安定集客のために「常設展」の大切さを説きます。常設展こそがその美術館にしかない魅力であり、看板商品になるからです。

【金沢21世紀美術館の画像】 レアンドロ・エルリッヒ「スイミング・プール」

金沢21世紀美術館の「スイミング・プール」は館の象徴のような常設展示作品になっており、これを見るために金沢を訪れる観光客の多くが足を運びます。

一方東京国立博物館は、他と比較にならないほど圧倒的多数の国宝・重要文化財を所蔵・寄託しています。「日本画は常設展示できない」と言い訳する必要がないほど、次から次へと傑作を入れ替えることができます。法隆寺宝物館や東洋館との回遊も全くうまくいっていません。


美術館が街を変える

著者は世界中で起きている美術館革命を目の当たりにしています。成功例としてスペインのビルバオの取り組みを挙げています。造船業が衰退した街を文化で蘇らせるべくニューヨークのグッゲンハイム美術館の分館を誘致し、その建設と運営に予算を集中投下します。観光客数は急増し、今やビルバオはスペインを代表する文化都市のイメージが定着しています。

近年の成功した新設美術館は、建物空間の魅力を目玉にしていることも指摘しています。非日常空間を体験してもらうためにはとても大切な要素です。金沢21世紀美術館も巨大な円盤形のガラス張り建築で、宇宙船に乗っているような錯覚を味わえます。

兵庫県立美術館でも、最寄りの阪神電車の岩屋駅に「兵庫県立美術館前」と表示してもらうことから始めます。駅から館までをミュージアムロードと名付けてオブジェやショップを誘致、安藤忠雄による建築の屋上には巨大なカエルのオブジェをのせてしまいます。美術館も人が来てくれないと意味がなく、テーマパークやショッピングモールを成功させるのと同じマーケティングに著者は取り組んでいます。

美術館の館長はえらい大学の先生が務める名誉職ではなく、自らが積極的にマーケティング努力をすべきと考えています。金沢や兵庫での取り組みも、著者自身の努力はもちろん、築き上げてきた人脈の賜でもあります。


美術館が教育を変える

著者は金沢21世紀美術館の館長を引き受けた時「美術館は子供と一緒に成長すべき」という志を持ったと語っています。金沢市内のすべての小中学校の生徒を美術館に案内し、子どもも大人も楽しめる美術館というイメージを定着させ、館の人気に火を付けます。

国際社会で認められるために必要ながら、日本人は否定的にとらえるアイデンティティを育成するためには、美術作品を見て自分の意見を言うことが大切だと考えているのです。

子どもは「絵はわからない」とは決して言いません。「つまらない」「面白い」といった何がしかの形容詞で表現します。そんな子どもに接すると大人も何がしかの意見を言わざるをえません。となると大人が逆に子どもに教えられることになります。著者はこうしたコミュニケーションの循環サイクルを理想としています。

読み進めていくと、著者は過去の経験に安住せず、常に新しいものを求め続けている人物だと感じられます。日経に私の履歴書を執筆すると、きっと大人気になると思います。



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超<集客力>革命
著者:蓑 豊
判型:新書(角川oneテーマ21)
出版:角川書店
初版:2012年4月10日

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現代アートビジネス_名著レビュー_村上隆との交流話に読み応えあり

2019年01月31日 | 名作レビュー

アスキー新書、小山登美夫著「現代アートビジネス」を読みました。

著名ギャラリストでもある著者は「日本のアート業界は風通しが悪く、誤解が多い」と感じています。そんな著者がアートをスッキリ理解してもらおうと、業界の仕組みをテンポよく語った一冊です。

  • アーティストをどのように発掘するのか?
  • アート作品の価値をどのように評価するのか?
  • 日本のアートビジネスはどうすればもっと盛り上がるか?


著者は業界内でも情報発信に力を入れることでよく知られます。読み終えるととてもスッキリします。



ギャラリストという職業名に耳慣れない方も少なくないと思います。この職業名の知名度の低さが、アート業界への親近感がまだ不足していることを象徴している気がします。

アート作品を売買する業者は2通りあります。ギャラリストは、アート作品を企画展示して販売し、アーティストを育てる役割を担います。ほとんどのギャラリストが自前の展示空間、すなわちギャラリーを持っています。現代アートを扱う業者の多くがあてはまり、知名度の低いアーティスト作品を積極的に扱います。

もう一つはアートディーラー、いわゆる画商です。企画展示は行わず、単純に売買だけを行います。評価の定まっているアート作品を扱うことが多くなります。

アートディーラーは営業マンに近く、コレクターの立場に立って行動する。ギャラリストはプロデューサーに近く、アーティストの立場に立って行動する。著者は両者の違いをわかりやすく説明しています。


村上隆の国内評価に日本のアート市場の特異性を感じる

著者は、日本の現代アーティストで世界的に有名な村上隆と奈良美智の二人とほぼ同世代で、若い頃の交流の話は興味深く読み進めることができます。村上隆は、若い頃からプレスにどうやって自分を売り込むか、また作品をどうやってブランディングしていくかをがむしゃらに考えていたと言います。

今や村上隆のアイコンのような立場になった「DOB君」を発表する個展を開いた際には、評価が分かれ販売に苦労したようです。オタク的なアニメであって、アートではないとみなした人が多かったのです。しかし村上は日本のキャラクター文化を緻密に追求し、それを表現するモチーフとしてアニメを採用したのです。

以降もオタク的ととらえられる作品を次々発表し、欧米では評価がうなぎ上りに上昇しいていきます。しかし日本にはオタク的表現をアートとして認めたくない”偏見”が根強く、村上隆との距離は開く一方でした。こうした状況をつぶさに見続けてきた著者は「日本のアート市場はまだまだ未熟」と強く認識したと語っています。

2016年に国内各地で行われた展覧会「ルーヴルNo.9 ~漫画、9番目の芸術~」で話題になったように、アニメはルーヴル美術館が収集するアート作品の9番目のジャンルとして認められています。欧米では、美しいと見なされれば表現やジャンルにより差別されることはありません。


なぜ日本のアート市場は特異なのか?

日本人は自分で評価して決めるのではなく、他人の評価を聞いて決める方を好むところがあります。話題の美術展があれば2時間以上も行列します。そんなに並んでも作品を見て感動できる保障はありません。みなが良しとしているから良いのです。逆に皆が悪いとしたら悪いのです。バブル崩壊で「絵は大損するリスクがある」という偏見が根強く残っているのはこの典型例でしょう。

この日本人特有の感覚が、日本のアート業界の風通しを悪くしている根底にあると私は思います。この本を読んでそうした感がより強くなりました。現代アートィストで知名度があり、評価の定まっているアーティストはほんの一握りです。自分の目で見て好きか嫌いかを判断するしかありません。

著者は企画展を通じて作品の価値をプレゼンテーションし、顧客の判断材料となる情報を積極的に伝えています。どうやったらギャラリーに来てもらえるかも一生賢明考えています。また日本のメディアにアートを批評する文化が育っていないことにも苦言を呈しています。美術展への来場を促すような”ほめる”論調ばかりで批判がないのです。アートを見る”目力”を育てるにはいずれもとても大切だと共感できます。

世界中のアートフェア会場を飛び回り、海外にも多くの顧客を持つ著者の視点はグローバル標準です。そんな視点で見たグローバルなアート業界の仕組みの解説には納得がいきます。現代アート作品は何のことやらさっぱりわからないような作品が少なくありません。そんな作品を前に作品の好みを判断するにあたって、新しい考え方ができるようになる一冊です。




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現代アートビジネス
著者:小山登美夫
判型:新書
出版:アスキー・メディアワークス
初版:2008年4月10日

小山登美夫ギャラリー
【公式サイト】http://tomiokoyamagallery.com/

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見とれてしまう神出鬼没な番組「空港ピアノ・駅ピアノ」NHK BS1

2019年01月26日 | 名作レビュー

夜になにげなくTVを付けていると、心地よいピアノの音色が聞こえてくることがあります。世界各地の空港や駅に設置されているピアノを通りがかりの人が弾いていく様子を定点カメラがとらえたNHK BS1の番組です。

  • 聞いたこともないような曲もあるが、弾いている人の様子を見るとなぜか元気が出る
  • 撮影アングルは固定、音はピアノ演奏音のみのシンプルさに不思議な魅力
  • たまたま見つけてはまってしまったYouTubeのように、なぜか惹きつけられる


何気なく置かれた一台のピアノがものすごい魅力を持っていることに気づかされます。調べてみましたが、日本でも最近新設が目立っているようです。



イベント開催時以外に公共の場で演奏や歌を披露するいわゆるストリート・ミュージックは、日本ではプロを目指す若者が練習として行うものというイメージが強いと思われます。

しかし海外旅行に行くと、老若男女から外国人まであらゆる属性の人たちが、地下鉄の通路から街角まで、あらゆるところで好き勝手やっているシーンによく出くわします。また日本と異なり、小銭稼ぎから練習、場の盛上げなど様々な目的で行っていることも感じます。とても自由です。

駅や空港、広場などの公共の場にピアノを設置し、誰でも自由に弾けるようにしたのは2008年のイギリスのバーミンガムが発祥、と一般的にはとらえられているようです。今ではストリート・ピアノというネーミングが世界的にも知られるようになりつつあります。

【世界のストリート・ピアノ活動を紹介するサイト】 Play Me, I’m Yours(英語)

日本でも最近、設置されるケースが目立っています。その中でも”老舗”と言えるのは浜松駅です。新幹線改札内のコンコースに大小2つのギャラリーを設け、地元の有力企業3社が持ち回りで製品や企業活動をアピールしています。有力企業3社とは、ヤマハ/河合楽器/スズキです。

2015年には、ピアノ以外の楽器も含めて展示楽器の試奏が行われていたプレスリリースが確認できます。また浜松駅ではイベント開催中のような短期間ではなく、自社が展示を担当する一年間を通じて演奏ができるようです。スズキはピアノを造っていないため、3年に1度はピアノが設置されない可能性はありますが、持続的な駅ピアノとしてはかなり本格的です。

【ヤマハ公式サイト】 Love Piano

ヤマハはまた、ピアノをより身近に感じてもらうために「Love Piano」をテーマとしたイベントを開催しています。ピアノを全国の駅やショッピングセンターなどの公共広場に設置し、自由に演奏してもらう取り組みを続けています。最近ではつい最近2019/1/22までJR品川駅改札内エキュートに設置されていました。

他にも、予定も含め続々と設置されています。

  • 2017年10月:金沢駅もてなしドーム地下広場
  • 2018年05月:銚子駅(千葉)
  • 2018年08月:新鳥栖駅(佐賀) ~2019年03月
  • 2018年11月:北九州空港
  • 2018年12月:関内駅(横浜)マリナード地下街
  • 2019年02月:東京都庁 第一本庁舎1階南 全国観光PRコーナー前スペース

私はまだストリート・ピアノを生で聞いたことはありませんが、近くに行くときはぜひ機会を活かしてみたいと思っています。「ねこふんじゃった」ばかりを聞くことがないよう祈っています。

NHKの放送は不定期で、神出鬼没なところが、逆にワクワク感を高めているような気がします。大まかな傾向としては深夜早朝が多いようです。

一人で夜更かしているようなときには、聞こえてくるピアノの音色に「頑張りすぎるなよ」とささやかれているようです。仕事・読書・ネットなんぞをしていても、その瞬間から目はTVにくぎ付けになります。世界中から届くピアノの音色は、電波を通じていますが、それぞれの人の演奏に込めた思いを運んできてくれているようです。

放送予定は公式サイトで確認しなければなりませんが、録画予約しておけばいつでも安心して見られます。一度試してみてください。



ヨシキとキティがコラボしてピアノを奏でる

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NHK BS1
「空港ピアノ・駅ピアノ」
【公式サイト】http://www4.nhk.or.jp/P5389/

※放送は不定期です。最新の予定は番組公式サイトでご確認ください。


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ハウス・オブ・ヤマナカ|名著レビュー|山中商会は日本美術の救世主だった

2018年12月31日 | 名作レビュー

新潮社の朽木ゆり子著「ハウス・オブ・ヤマナカ」を読みました。

明治から戦前にかけて欧米で日本と中国の美術品を売りまくった美術商・山中商会の物語です。現在のアメリカの美術館に収蔵されている超一級の日本美術の多くは山中商会が仲介したものです。

  • アメリカの大富豪の間では超有名人だった山中定次郎が、日本ではなぜ無名なのか?
  • アメリカの美術館にどのようにして超一級の日本美術が収まったのか?
  • 著者の史料収集への情熱には脱帽、「私の履歴書」を読んでいるかの如く描写はリアル


「東洋の至宝を欧米に売った美術商」という刺激的なサブタイトルが付けられていますが、山中商会は日本美術の国外流出のA級戦犯ではなく、逆に救世主だったことがよくわかります。日本美術の価値そのものをあらためて認識できます。


旧:山中商会京都支店(現:パビリオンコート)

山中商会は、明治初めに大阪で三本の指に入る骨董商を営んでいた山中家が起こした会社です。後に社長となる山中定次郎(やまなかさだじろう)が1889(明治22)年に山中家に婿入りしてから、事業が大きく発展していきます。

定次郎は1894(明治27)年に渡米し、ニューヨークに支店を構えます。1897(明治30)年にはボストンにも店を構え、アメリカの大富豪の間で定次郎の名を知らない人物はいないほどになります。

定次郎に商才はあったのはもちろん、時代の波が山中商会の事業を後押ししました。

  • 外貨獲得の手段に乏しかった明治政府は、寺や大名家から大量に売立てに出された古美術品の輸出を奨励していた
  • お雇い外国人のフェノロサやビゲローが帰国し、アメリカに日本美術の魅力を広めていた
  • 大阪の骨董商で重要な顧客だったフェノロサやビゲローは、アメリカでの店の開設を後押ししてくれた
  • フランスでも日本ブームが起こっており、富裕層の関心は日本文化に向きやすかった


しかし明治末期になると明治政府の方針転換で、古美術品の輸出が難しくなります。くしくもフェノロサらによって自国の美術の価値を認識します。殖産興業が軌道に乗り、古美術品に頼らずとも外貨獲得の手段が多様になったのです。

しかし山中商会には幸運の女神が微笑み続けます。同じ頃中国では清朝末期の混乱で中国美術が大量に売りに出されていました、定次郎はこれに目を付け中国美術を大富豪に売りまくるようになります。こうして山中商会は日本国外に巨額の資産を築きます。しかし戦争が、山中商会の運命を大きく変えます。敵国資産として没収され、中国での買い付けもできなくなったのです

こうして山中商会はアメリカでは忘れられるようになります。日本での商売も小規模だったため、国内でも無名になっていったのです。


美術商は、美術品固有の価値を広く普及させる

著者の朽木ゆり子は、美術品の売買という本来の目的に加え、そのビジネスに付帯する美術商の意義をとてもわかりやすく定義しています。「浮世絵や琳派などは、(中略)フランス人やアメリカ人が夢中にならなければ、その価値が理解されるスピードはもっとゆっくりしたものになっていただろう」と指摘することで、美術商の意義を裏付けしています。

フランス人に浮世絵を夢中にさせたのは、パリを拠点とした美術商のサミュエル・ビングと林忠正(はやしただまさ)です。サミュエル・ビングの店でゴッホが初めて浮世絵を目にしたとされる話はよく知られています。

林はパリ万博への日本の出展の責任者を務めたり、日本に印象派の作品を紹介するなど、本業以外の貢献がよく知られています。一方の山中定次郎は美術商に徹していたこともあり、日欧の文化交流の功労者として取り上げられることが多い林と比べ、日本では圧倒的に知名度が低くなっています。

しかし著者は、山中定次郎の果たした役割は、林忠正と何ら変わりはないと考えているようです。日本美術の価値をアメリカ人によってあらためて発見してもらうことに絶大な貢献をしたからです。この考えには私も同感します。山中や林が欧米のコレクターに売りなくっていなければ、日本美術の傑作が現存しなかった可能性が高いからです。

美術という概念すらなかった明治の日本では、必要がなくなればインテリアを捨てるのと同様に、美術品も簡単に捨てられていたでしょう。保存環境にも無頓着で、先進国だった欧米に渡ることで大切に保存されたことも、現存に大きくつながっています。

山中商会は、実は現在も存続しており、大阪で古美術商を営んでいます。京都の青蓮院の門前にあった京都支店は別会社となりますが、こちらも存続しています。往時の美術品陳列場だった洋館を活かし、貸ホール・パビリオンコートを営んでいます。とても趣のある洋館で、山中商会の全盛時をしのぶことができる唯一の遺構です。

【公式サイト】 株式会社山中商会
【公式サイト】 パビリオンコートの歴史

山中商会は間違いなく、日本美術の価値を高めた会社でした。その全貌がわかる、実に内容のある一冊です。





ハウス・オブ・ヤマナカ
―東洋の至宝を欧米に売った美術商
著者:朽木ゆり子
判型:単行本
出版:新潮社
初版:2011年3月25日


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奇想の系譜|名著レビュー|美の五色 ~50年前と思えない斬新さ

2018年12月05日 | 名作レビュー

ちくま学芸文庫の辻惟雄著「奇想の系譜」を読みました。

間もなくに迫った平成最後の2019年、早々から上野の東京都美術館で江戸絵画の展覧会「奇想の系譜展」が行われます。本のタイトルが展覧会のタイトルになるのはとても珍しいことですが、この一冊はそれだけの存在感がある名著です。

著者の日本美術研究家・辻惟雄(つじのぶお)氏は1970(昭和45)年に世に送り出したこの本で、それまであまり知られていなかった伊藤若冲らの江戸時代の絵師6人を紹介します。現在はとても知名度の高い6人の絵師の人気は、この本から始まったと言っても過言ではありません。

「奇想の系譜展」は、人気の江戸の絵師の作品が勢ぞろいすることから、来年2019年の展覧会でも指折りの人気を集めると予想されています。この本は展覧会のメインテーマそのものです。


【画像出典】東京都美術館 奇想の系譜展 展覧会チラシ1

著者の辻惟雄氏は1932年生まれで、東京大学教授・千葉市美術館館長・多摩美術大学学長・MIHO MUSEUM館長を務めた江戸時代の日本美術研究者の重鎮です。

この本が最初に世に出た1970(昭和45)年当時は、江戸時代の絵師と言えば狩野派や琳派の宗達・光琳、文人画の大雅・蕪村、円山応挙、浮世絵の歌麿といった各画派の主流ばかりがよく知られていました。現代に比べて情報の流通が圧倒的少なかったこともあり、一度形成された思い込みがなかなか変わらない時代だったように思えます。

そんな思い込みを崩すきっかけとなったこの一冊は、現代の日本美術ブームの原点となった記念碑的作品と言えます。

1970年代は、西洋絵画の方が圧倒的に人気がありました。1974(昭和49)年に東博で行われた「モナ・リザ展」は50日間で150万人の入場者数があり、現在も日本の展覧会の入場者数の不滅の最高記録です。一日平均3万人が入場し、現在の一日あたり入場者のトップである奈良博「正倉院展」の2倍の水準です。

戦後は、明治維新以来再び訪れた「欧米に追い付け追い越せ」を突き進んだ時代でした。文化においても、自国・日本のものは二の次にされる空気だったのです。現在の展覧会では、西洋絵画より日本美術の方がより多い入場者数を見込めます。半世紀の時間の経過は、隔世の感を感じさせます。

半世紀も前の文章を読むと、通常は時代背景の違いによる現代との価値観の差を感じます。不思議なことにこの本を読んでもそうした価値観の差を感じません。この点が半世紀にも渡って読み継がれている秘訣のように思えます。今では想像もつきませんが、出版当時はどれだけ斬新な文章と認識されたのか、興味は尽きません。

著者は、美術雑誌向けに気軽に書いた文章が50年も読み継がれていることに驚きを隠していません。ヒット作とは多かれ少なかれこのようなものでしょう。1968(昭和43)年に美術雑誌「美術手帖」の連載記事として文章となり、1970年に書籍化されます。2004年には文庫化されており、平成になってから火が付いた伊藤若冲をはじめとした江戸絵画の人気もあって、驚異的なロングセラーになっています。


「奇想」というタイトルが読者を惹きつける

著者が取り上げた6人、岩佐又兵衛・狩野山雪・伊藤若冲・曽我蕭白・長沢芦雪・歌川国芳は、いずれも主流から一線を画すか、特定の画派に属さない絵師ばかりです。「奇想」とは6人の絵師の強烈な個性を見事に表しています。

一般的には傍系の芸術家は「異端」という形容をされがちですが、著者はあえてそれを避けています。主流の中での「前衛」としてとらえ、特異性ではなく個性や斬新さを紹介しようとしている点が、この本の大きな特徴です。

【MOA美術館公式サイトの画像】 山中常盤物語絵巻

「絵巻物の生命は、ふつう、室町時代に終焉をとげたとされる。 ~中略~ だが必ずしもそうではないと私は思う。」 江戸時代初期のドラスティックな表現の絵巻物で知られる岩佐又兵衛を紹介するにあたって、著者はストレートに当時の常識に対して自らの仮説を提案しています。

「一種ふてぶてしい粗放さと、同時代の風俗画に通じる卑俗さが、全巻を通じて見受けられる」 又兵衛の代表作とされる山中常盤物語絵巻の描写を、伝統的なやまと絵にはない特徴として見事に言い現しています。

江戸時代の写生画の大家として、円山応挙の評価は不動です。著者はそんな評価に対しても、応挙より17歳年上の伊藤若冲の写実表現を対比させることで、若冲の”奇想”をプレゼンしています。

応挙はストイックなまでに、写真のように忠実に動植物の姿を表現しようとしました。一方若冲は写実性をはずさずに動植物の個性を強調し、あえて実際の動植物には見られない表現を部分的に行っています。若冲の絵のダイナミックさの秘密に、著者は忠実に向き合っています。

自由奔放で奇人として批判も少なくなかった長沢芦雪を、師の円山応挙がなぜ見放すことができなかったのか。芦雪の実力を冷静に分析することでその理由を解説しています。他3人の魅力の解説も、ドラマのように刺激的に進めています。

【奇想の系譜展 公式サイト】

江戸時代の日本美術の多様な魅力を見事にプレゼンした一冊の世界感が、実際の作品を集約して鑑賞することができる展覧会が間もなくです。今から楽しみです。




奇想の系譜
著者:辻惟雄
判型:新書
出版:ちくま学芸文庫(筑摩書房)
初版:2004年9月10日


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本のレビュー「幻の五大美術館と明治の実業家たち」 ~名品の流転が詳細に

2018年10月20日 | 名作レビュー

祥伝社新書「幻の五大美術館と明治の実業家たち」を読みました。

明治から戦前までに巨万の富を得て屈指のコレクションを築き上げた男たちの物語で、所蔵品を公開する美術館開設を成し遂げられなかった5人にスポットをあてています。

個人コレクションを母体とする美術館で、現存する主なところを上げると以下になります。

江戸時代以前から続く財閥・大名系

  • 徳川美術館、毛利博物館、永青文庫、三井記念美術館、泉屋博古館

明治~戦前の実業家系

  • 静嘉堂文庫美術館、根津美術館、五島美術館、ブリヂストン美術館、出光美術館、山種美術館、藤田美術館、大阪市立東洋陶磁美術館、大原美術館


これだけでもそうそうたるラインナップですが、これら美術館のコレクションは5人の男たちの旧蔵品から形成されたものが少なくありません。美術品の流転は古今東西ありますが、日本でも大きなドラマがあったことに強い関心を持ち、この本を手に取りました。

一人目は明治の三井財閥の大番頭・益田孝(ますだたかし)。美術ファンなら鈍翁(どんのう)という彼の茶人号を耳にしたことがある方も少なくないでしょう。益田は東京・京都・奈良国立博物館が所蔵する数多くの国宝クラスの仏教美術や源氏物語絵巻などを所蔵していました。晩年になって小田原に土地を取得し、美術館建設の構想を練り始めますが、太平洋戦争が始まる前に生涯を追えます。

益田の所蔵品は所有を財団法人に移管していなかったため、終戦直後の最高税率90%の財産税でほとんどが売立てに出され散逸することになります。源氏物語絵巻はその後五島美術館が入手し、今に至ります。

益田は、美術商の間では「値切ってくる」で有名だったそうです。また高額すぎて売れなかった佐竹本三十六歌仙を36分割して売却した当人でもあります。切り刻まれていなければ、国宝間違いなしの超一級品です。

益田に近い世代の藤田伝三郎や根津嘉一郎は、逆に「値切ってこない」ことで美術商の間で有名でした。藤田と根津の子孫は、よく知られているように大阪と東京で日本有数のコレクションを大切に守る美術館を現在も運営しています。

益田の美術品への思い入れを知るにはさらなる勉強が必要でしょうが、コレクションの継続性に関係する重大なエピソードのように思えてなりません。


近鉄グループが運営する奈良・大和文華館

二人目は原富太郎(はらとみたろう)です。茶人号の三溪(さんけい)の方がよく知られているでしょう。製糸業で巨万の富を築いて、横浜経済界のリーダーとなっていきます。

彼の名を著名にした横浜の三溪園に、京都・鎌倉などで取り壊されようとしていた茶室などを買い取り移築しています。現在の明治村のような発想ですが、彼は何と1906(明治39年)から三溪園を公開しています。また安田靫彦・小林古径・前田青邨ら若手画家も支援していました。とてもフィランソロピー精神にあふれた人物だったようです。

しかし関東大震災が彼の数寄者としての運命を変えていきます。美術品蒐集よりも復興に私財を投じるようになっていきます。三溪園内への美術館建設計画は続いていたようですが、近づく戦争の陰もあり、彼自身が生涯を終えたことで頓挫します。

原家も美術品を財団法人に移していなかったため、戦後に多くを手放すことになります。しかし益田孝所蔵品ほどの大々的な散逸は免れたようです。孔雀明王像は東博、寝覚物語絵巻は大和文華館、というようにある程度まとまって譲渡されていったためです。

現在の大和文華館の至宝の作品には三溪旧蔵品が多く含まれます。三溪のフィランソロピー精神は横浜と奈良に分かれて生き続けているのでしょう。

三人目の川崎正蔵(かわさきしょうぞう)は、現在の川崎重工(旧:川崎造船)や旧:川崎製鉄(現:JFEスチール)の源流となる神戸を拠点とした川崎財閥の創業者です。早くからコレクターとして知られた正蔵は、現在の山陽新幹線・新神戸駅にあった広大な邸宅に、1890(明治23)年に川崎美術館を開設しました。1872(明治5)年開設の文部省博物館(現:東京国立博物館)に次いで古い日本最初の私立ミュージアムでした。



四人目の松方幸次郎(まつかたこうじろう)は、正蔵が川崎造船の後を託した人物です。第一次大戦の造船好況で得た巨万の富で一大西洋絵画コレクションを築き上げます。後の昭和金融恐慌で会社が倒産し、第二次大戦の混乱でもコレクションの多くを失います。フランスから返還された収集品の一部が、国立西洋美術館設立の基礎となった「松方コレクション」です。

五人目の林忠正(はやしただまさ)は最も知られていない人物でしょう。明治にパリで活躍した美術商で、山中定次郎と共に明治期に欧米で日本美術を売りまくった人物です。明治期にフランスで火が付いたジャポネスク・ブームは、林と画商仲間のサミュエル・ビングが積極的に紹介したことが大きく影響しています。

林は日本美術を売る傍ら、19cの西洋絵画も積極的に収集していました。日本で美術館を造り公開したいと考えていたのです。しかし日本への帰国直後1906(明治39)年に林は病没します。林の死とともに美術館構想も消え去り、コレクションも売立に出され散逸しました。

5人のコレクションの仕方や所蔵品の流転が詳細に語られており、そこからは人柄も垣間見ることができます。現在の美術館の目玉コレクションがどのようにできているのかもよくわかります。大河ドラマのように、コレクターの人生という川の中を美術品は流れていったのです。





幻の五大美術館と明治の実業家たち
著者:中野明
判型:新書
出版:祥伝社
初版:2015年3月10日


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本のレビュー「仏像と日本人」 ~仏像プレゼンテーターたちの活躍史

2018年09月18日 | 名作レビュー

中公新書「仏像と日本人」を読みました。

永らく”信仰”の対象であった仏像が、近代になって”鑑賞”の対象にもなっていく過程にスポットをあてています。「仏像は有り難いもの」という、ある意味固定観念に基づいた”べき論”が、”美術”という輸入された価値観に基づき、現実の時代環境に応じて変わっていく有様を研究者の立場で明らかにしています。

著者は、近代の仏教という異色の分野を専門とする新進気鋭の研究者・碧海寿広(おおみとしひろ)です。岡倉天心からみうらじゅんに至る、各時代の仏像の魅力のプレゼンテーターが築き上げた実績の分析は、ほとんど目にしたことがありません。とても興味深く読み進めることができます。


現代人に最も人気のある仏像の寵児はここにいる

お寺に安置するために造る仏像は、当然ですが信仰の対象として造られます。鑑賞して楽しむ”美術”という概念が日本で広まったのは明治以降のことですが、江戸時代以前の人々の仏像への接し方から著者は分析を始めます。

中世以前は、仏像に限らず寺院そのものが天皇や武士など擁護した権力者の権力の象徴でした。江戸時代になると巡礼の旅や出開帳を多くの庶民が楽しむようになり、寺側も収入増を充てこんで積極的に仏像を見せるようになります。

いわば現代のように”鑑賞”を楽しむ土壌が江戸時代にはすでにできていたのです。しかし「明治以降と決定的に違うのは”美術”の概念がなかったこと」と筆者はきちんと指摘しています。仏像を”文化財として保存する”という概念はなかったのです。

明治の廃仏毀釈や海外流出により、文化財として国家が保護する制度が始まりますが、戦前までは岡倉天心や和辻哲郎はじめとする一握りの知識人だけが”美術品”としてとらえているに過ぎませんでした。こうした知識人たちが奈良で古寺巡礼の拠点とした旅館・日吉館や古美術写真の飛鳥園に集まった様子への言及はとても興味深いものがあります。

戦後になると、土門拳や入江泰吉の写真集、修学旅行や団体旅行の普及、白洲正子らによる巡礼本、といった”鑑賞”としての側面が一気に優勢になるように見えますが、決してそうとは言えません。戦時中に出征前に仏像に祈るために寺を訪れる青年が後を絶たなかったという記述はとても印象に残ります。

現代の仏像巡りのバイブルともいえる、みうらじゅんといとうせいこうによる「見仏記」についてもふれています。筆者は”鑑賞”と”信仰”の両面が語られていると指摘しています。仏像ガールたちによるカジュアルな鑑賞スタイルの中にも、”いやし”という信仰的な要素が含まれている点にもふれています。

現代では”仏像ブーム”という言葉がすっかり定着しています。仏像は、宗教なのか、美術なのか。この答えはそれぞれの人の心の中にあると思います。私の場合は「両方が該当し、区別はできない」というのが本音です。

昨今は京都・奈良の仏像が、東京国立博物館を中心に大規模な展覧会で披露されることが目立っています。きちんと光をあてており360度鑑賞できることも多いなど、展覧会で仏像にお会いする方がより綺麗に見えることは事実です。興福寺の阿修羅像の人気は、2009年に東博で100万人近い入場者を集めた「阿修羅展」の影響が大きいでしょう。

こうした現代の出開帳が、”鑑賞”と”信仰”のバランスを変えていくことになるのかもしれませんが、仏像への関心を高まること自体は素晴らしいことだと思います。

仏像だけでなく様々な美術分野に関心のある方にもおすすめできます。日本人が、”美術”に接してきた過程がきちんとまとめられた一冊でもあるからです。





仏像と日本人
 宗教と美の近現代
著者:碧海寿広
判型:新書
出版:中央公論新社
初版:2018年7月19日


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国民の宝を愛する者たちが、宝をより美しくする ~映画_グレート・ミュージアム

2017年07月22日 | 名作レビュー

月夜のウィーン美術史美術館

 

ここ数年、世界の著名な美術館のドキュメンタリー映画が相次いで日本で公開されている。大手シネコンではなくいわゆるミニシアターでの上映がほとんどで、上映期間は短いが全国を巡回している。

 

「グレート・ミュージアム ハプスブルグ家からの招待状」は、ウィーン美術史美術館の知られざる舞台裏を描いたもので、2016年から2017年にかけて日本国内では各地で封切られていた。

 

ウィーン美術史美術館は世界的にも著名な美術館で、ハプスブルグ家の歴代皇帝が集めたルネサンスやバロック絵画のコレクションは秀逸で、「バベルの塔で」有名なブリューゲルのコレクションはここが世界一と言われる。日本人でもオーストリアに旅行に行かれた方は、ほぼ100%訪れているだろう。

 

2011年から2年間休館して改装工事を行った館内が映画の舞台で、館長やスタッフは俳優ではなく本人が登場する。新装オープン後の展示方針やブランド戦略をめぐって紛糾する会議や、日々所蔵作品と向き合い高いレベルを追求する修復家たちの姿が赤裸々に描かれている。中でもお客様サービス担当の女性が「私たちはお客様を案内することに誇りを持っており、下っ端とは思っていない」と堂々と意見を述べるシーンは興味深い。

 

日本国内で同じようなドキュメンタリーが制作されても、このようなストレートな描写はおそらくカットされてしまうだろう。それだけ館を支えるそれぞれの立場としての一生懸命さが伝わってくるので感銘を受ける。ドキュメンタリー製作に踏み切ったのも、館の修復費用の捻出が目的の一つだと思われるが、国家や民族が誇る美術品をどのように見せていくべきかという大切な問題提起を行ったことは、非常に価値のある行動だと思う。

 

欧州の美術館多くは、その国や地域の王や皇帝が数百年にわたって集めたコレクションを中心としているものが多く、展示方針において「伝統と革新」という相反する課題に直面している。美術品を見る目が日々肥えていく観客を満足させるためには、少しずつ新しい展示の仕方を導入する必要があるが、この設定が極めて難しい。伝統を傷つけてはならないからだ。

 

オーストリア国民にとっては、この美術館は、まさに宝だろう。日本人にとっての東京国立博物館とは、設立の経緯などから、全くレベルが違う。

 

美術館を建設したのは、ハプスブルグ最後の皇帝と言われるフランツ・ヨーゼフ1世で、ウィーンの旧市街を取り囲んでいた城壁を取り壊して環状道路「リンク」を設け、都市の大改造を行った皇帝である。館は1891年に完成したが、この頃はハプスブルグ帝国の国力は風前の灯火で、ドイツ民族の国家設立はプロイセンに奪われ、東欧領内の多民族問題にも悩まされていた。第一次大戦中に崩御するまで在位が78年と非常に長く、不屈の精神で傾く帝国を支えようとした。また都市改造でより使いやすく魅力的な街とし、クリムトやブラームス、フロイトらが活躍した「世紀末ウィーン」の文化をリードしたのも彼であり、今でも国民には絶大な人気がある。

 

ドイツのヴィルヘルム2世(亡命)、ロシアのニコライ2世(処刑)、第一次大戦終了時の皇帝は悲劇的な運命をたどったものが多い。フランツ・ヨーゼフ1世が残した美術史美術館は、国民が古き良き時代をしのぶ象徴なのだ。

 

 

 

 公式DVD

 

 

日本や世界には、数多く「ここにしかない」名作がある。

「ここにしかない」名作に会いに行こう。

 

ウィーン美術史美術館 Kunsthistorisches Museum Wien

休館日 6~8月はなし、9~5月は月曜(例外が発生する可能性もあるので訪問前にご確認ください)

公式サイト http://www.khm.at/en/japanese/

 

 

 

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人間よりも艶(つや)のある人形の動き ~国立文楽劇場

2017年05月13日 | 名作レビュー

文楽公演

 

「文楽」「人形浄瑠璃」は日本の伝統的な人形芝居であることを知らない人は皆無だろうが、2つの呼び名の違いについては知っている人は少ないように思う。私もつい最近までは知らなかった。

 

呼び名の違いはこの伝統芸能の歴史をたどるとわかりやすい。「浄瑠璃」とは、琵琶法師が平家物語を語るような「語りでストーリーを伝える」芸能が原型で、三味線の伴奏と「太夫(たゆう)」によるセリフと描写の語りをセットにした劇場音楽のことを言う。江戸時代のはじめに人形の演技に結びついて「人形浄瑠璃」と呼ばれ、上方や江戸で歌舞伎とともに人気を集めるようになった。

 

近松門左衛門と竹本義太夫の登場による元禄時代の絶頂期の後に人気は衰えたが、18世紀末の寛政年間に淡路島から植村文楽軒が大坂へ出て興行した人形浄瑠璃は、明治になると「文楽座」という劇場で講演され絶大な人気を復活した。他の人形浄瑠璃の劇場がすべて潰れたため、人形浄瑠璃は「文楽」と呼ばれるようになったのだ。宅配便を「宅急便」と呼ぶのと同じようなものだ。

 

現在の文楽の興行は、大阪にある国立文楽劇場を中心に、東京の国立劇場や地方各地で行われている。国立文楽劇場に文楽を見に行くと、ここでも外国人の姿が目立つ。欧米人、中でもフランス人に人気のようだ。

 

しかし文楽とは不思議な演劇である。世界にも棒や糸、手や指で操る人形劇はあるが、文楽のように人形遣い・太夫の語り・三味線伴奏が三位一体となって成立する劇はないという。また人形一体を三人の人形遣いが動かすのも文楽だけで、驚くべき繊細な人形の動きを表現する。手足や指の動かし方を男女で変える、眼や眉の動きで一瞬の感情を表現する、など人間の役者以上に艶のある動きをする。

 

文楽の太夫・三味線・人形遣い(文楽協会)

 

 

劇の進行を観客が理解するために必要な、登場人物(人形)のセリフや状況説明は、場面で交代するものの原則一人の太夫が行う。声色だけで登場人物の性別や年齢の違いが観客にわかるようにしており、発声のテンポやトーンで緊迫や静寂といったその場の空気感を表現しており、性格の違いまでもが伝わってくる。

 

伴奏に使う楽器は三味線だけ。弾きの強弱やテンポを変えることで、シーンにあった伴奏を絶妙に表現している、一人の語り部と一種類の楽器だけで、これほど多様な表現を行えるとはまさに驚愕だ。

 

演目は江戸時代に作られたものがほとんどで、太夫のセリフや表現に古典的な表現も目立つが、舞台上部に字幕スーパーが表示されるため、理解には困らない。また音声ガイドよる解説もオプションで利用できる。日本語と英語があるが、フランス語と中国語もある方がよいと思う。

 

「仮名手本忠臣蔵」「義経千本桜」「心中天網島」など著名作は、はじめ人形浄瑠璃で人気を博してから歌舞伎に移入された作品も少なくなく、歌舞伎では「丸本物(まるほんもの)」と呼ばれる。歌舞伎は両方を見比べると両者の魅力に気づく、実に面白い。

 

文楽の古典作品は一つの作品すべてを上演すると数十時間に及ぶほど長いものが多いため、場面ごとに切り出して上演されるのが一般的だ。よって一回の公演で作品の起承転結すべてを理解することはできない。セリフも古典的な表現が少なくなく、一人の語り部と一種類の楽器だけでは演出の多様性に限界があり、現代人には面白くないという声も然りである。

 

はじめてミュージカルやオペラ、京劇を見た時、「オペラ座の怪人」「トゥーランドット」「水滸伝」というタイトルは知っていたがストーリーは知らず、セリフも外国語でわからないため、起承転結の理解は役者の演技と伴奏音楽に頼った。しかしいたく感動した。もう一度見てみたい、BDやサントラを買ってみたいと思った。

 

文学以外の芸術作品は、言語がわからない人にも表現したいことを伝えることができる。観る者の価値観は、その時代の情勢で大きく変化する。そうしたニーズ如何にかかわらず存続してきた古典芸能には、普遍的な価値がある。文楽の普遍的な価値とは何か、それぞれの楽しみ方を見つけていただければ幸いである。

 

 

日本や世界には、数多く「ここにしかない」名作がある。

「ここにしかない」名作に会いに行こう。

 

 

 

 

 文楽の歴史・演目・用語などがわかりやすく、初めて観る方には特におすすめ。

三省堂の古典芸能ハンドブックシリーズの一冊。

 

 

公式サイト:

公益財団法人 文楽協会 http://www.bunraku.or.jp/

国立文楽劇場 http://www.ntj.jac.go.jp/bunraku.html

 

 

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