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「諦め」こそ、責任ある政治に不可欠

2013-11-26 | 必見!の所見
仏教用語としての「あきらめ」の政治

 日常で「諦(あきら)める」と言えば、努力を止めること、夢や目標等を断念することを意味します。つまり否定的な言葉です。ですから、「諦めの政治」とは普通は言いません。街頭で「諦めの政治を!」と言ったら、直ぐに「何言ってんだ!」と反論が返ってくることでしょう。

 しかし、敢えてここに「諦めの政治」と言うのは、ある教育に関する講演で「諦め」とは元々仏教用語であるという話を聞き、その本来の意味での「諦め」こそ、今の政治には不可欠だと考えるようになったからです。

 にわか仕込みの知識ですが、あきらめの「諦」とは「真理」や「道理」を意味するサンスクリット語からの漢訳語です。そして仏教用語で「真理を見る」という意味の「あきらかにみる」が変化して「諦める」になったと言われています。悟りを開いた釈迦が最初の説法で説いたのが「四諦(苦諦(くたい)、集諦(じったい)、滅諦(めったい)、道諦(どうたい)という4つの真理)」であり、正に「諦める」の諦の字が使われています。

 つまり「諦める」とは、仏教では「物事の真理や道理を正しく見つめて受け入れること」であり、仏教の基本的な教えの一つとも言うべきものなのです(と私は理解しました)。

 今の政治や行政に必要なのは、正にそうした意味での「諦め」です。私たち納税者や有権者は、何か困ったことや必要なことがあれば行政や政治にお願いし、行政や政治も何とかそうした要望に応えようと様々な物を作りサービスを提供してきました。もちろん、その多くは本当に必要だったのでしょうが、結果として、莫大な債務も抱えるようになってしまいました。

 将来人口推計が示すように、今後は人口が減少し、高齢化も進みます。そして、高度成長期に整備した道路やトンネルといった様々なインフラ施設の老朽化対策が本格的に必要になってきます。また、東海地震や南海トラフ巨大地震対策も進めていかなければなりません。つまり、基本的に税収は減り続け、その一方で、大胆な改革や政策転換をしなければ、社会保障対策や老朽化対策、地震津波対策等の必要経費は増え続ける、そうした時代が当面は続くということです。

 私たちの子や孫、更に先の世代のことを考えれば、そうでいいはずはありません。債務が増え続ければ、それだけ、将来の世代の選択肢は狭まってしまうのですから、今から何とか債務を減らす手立てを考えなければなりません。それには、まず、現在と今後の政治や行政の状況を冷静に受け止め、これから出来ること(すべきこと)、そして、出来ないこと(すべきでないこと)を見極めること、つまり、「諦めの政治」が必要であるはずです。

 具体的には、例えば、人口減少や高齢化が進むにしたがって、経済活動やそれに伴う税収がどうなるのか、その一方、社会保障費、現在予定されている公共事業や今後本格化する地震津波対策のための費用、老朽化対策費等の支出がどのようになっていくのか推計する、つまり中長期的な財政見通しを出すことがまずは必要です。その見通しの中で、言い換えれば、将来の世代のことも考えながら、出来ることと出来ないことを明確にする、「諦める」ことが、責任ある政治だと考えます。

 地震津波対策を例に挙げれば、東日本大震災のような巨大地震に備えるには、様々な防災施設の強化が必要です。しかし、莫大な整備費と共に完成後の維持管理費も必要となります。いつ地震が発生するのか事前に分かるのであればそれまで全力を尽くせばいいのですが、もちろんそうではありません。いつなのかわからない以上、持続可能な対策を進めなければなりません。つまり、将来の世代のことも考えるのであれば、短距離走ではなく長距離走的な対策であるべきということです。何でもするのではなく、長期的に見てすべきではない、出来ないことはしない「諦め」が大切なのです。

 「諦めの政治」については12月議会の一般質問でも採り上げます。ぜひ傍聴してみて下さい

 お読み下さり、ありがとうございます。


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