中央本線茅野駅の西、中央道諏訪ICからは国道152号を杖突峠(つえつきとうげ)方面へ宮川を渡ってすぐ。「前宮前」信号左手に社標と駐車場、信号渡った向側が諏訪信仰の発祥の地「上社前宮」への入口となります。鳥居左の道路を登っていくと社務所、社殿前にも駐車場があります。
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階段を登ると社務所のある境内となります。正面に二の鳥居。鳥居の左奥に「十間廊」が見えます。社務所は右側。
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十間廊(じっけんろう)
古くは「神原廊(ごうばらろう)」と呼ばれ、中世まで諏訪祭政の行われた政庁の場で、すべての貢物はこの廊上で大祝の実見に供された。毎年四月十五日の「酉の祭」には鹿の頭七十五がそなえられたが、これらの鹿の中には必ず耳の裂けた鹿が入っているとから諏訪の七不思議の一つにかぞえられた。
上段に大祝の座、次に家老、奉公、五官の座があり、下座に御頭郷役人(おとうごうやくにん)などの座も定められ、左手の「高神小屋(たかみこや)」で演ぜられる舞いを見ながら宴をはった。
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本殿まで約100m。ローカルな参道を登ります。勢いよく流れる水音が印象的。
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上社前宮本殿
前宮とは上社本宮に対し、それ以前にあった宮の意味とも考えられている。前宮の祭神は、建御名方命と、その妃八坂刀売命と古くから信じられ、ここ前宮の奥に鎮まるところが墳墓と伝えられる。古来より立ち入ることが固く禁じられ侵すときは神罰があるといわれた。四方には千数百年の歴史を有する御柱が七年目毎に建てられ、現在の拝殿は昭和七年に伊勢神宮から下賜された材で造営されたものである。
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御柱(おんばしら)
前宮一之御柱である、長さ五丈五尺(約十七米)直径約一.二米(目通り)の樅の木である。
御神徳の更新を祈る氏子の魂を結集した御柱である。上社綱置場(御柱置場)より二十数キロの行程を数千人の氏子の奉仕により曳行されるので裏側はすり減っている。茅葺きの御宝殿と共に寅歳と申歳の七年目に建て替えられる御神木で神域の四隅に建立される。
御柱祭は天下の奇祭として有名であり次回の御柱祭は平成二十八年丙申歳に行われる。
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諏訪大社の御朱印帳があったのでいただきました。この色の他、青地のものもあります。
■諏訪大社へ行こう! 2012
上社前宮
上社本宮
下社春宮
下社秋宮
信濃國一之宮 諏訪大社 由緒略誌
御 鎮 座 地
お諏訪様・諏訪大明神と親しまれ、崇敬されている諏訪大社は、諏訪湖をはさんで南に上社、北に下社があります。更に上社は本宮と前宮、下社は春宮と秋宮に分かれて鎮座しております。氏子区域は広く諏訪圏全域(三市二町一村)にわたり、特殊な神事や信仰を守り伝えております。
上 社 本宮(ほんみや)長野県諏訪市中洲鎮座
前宮(まえみや)長野県茅野市宮川鎮座
下 社 春宮(はるみや)長野県諏訪都下諏訪町鎮座
秋宮(あきみや)長野県諏訪郡下諏訪町鎮座
御 祭 神
建御名方神(たけみなかたのかみ 男神)
八坂刀売神(やさかとめのかみ 妃神)
八重事代主神(やえことしろぬしのかみ -合祀- 兄神)
父神は大国主神、兄神は八重事代主神で国造りの大業を成しとげられました。八坂刀売神並びにその御子神と共に、信濃国の開拓に御神意をそそがれ、やがて、この諏訪湖畔の聖地に、お鎮まりになられました。
御 神 徳
当大社は古来より朝廷の御崇敬がきわめて厚く、持統天皇(じとうてんのう)五年(691年)には勅使をつかわされて、国家の安泰と五穀豊穣を祈願なされたのをはじめ、歴代の朝廷の御崇敬を拝戴してきました。
又、諏訪大神は武勇の神・武門武将の守護神として信仰され、古くは神功皇后(じんぐうこうごう)の三韓出兵の折に御神威あり、平安時代には関東第一大軍神として広く世に知られました。鎌倉時代以降は源頼朝をはじめ北条氏一門、足利尊氏、武田信玄、徳川家康以下歴代の将軍、その他諸国の大名たちが社領の寄進・神宝の奉納をして武運の長久と国家の安泰を祈願しております。
広くは雨・風の守り神、水の守護神で五穀の豊穣を祈りました。又、生命の根源・生活の源を守る神であり、家内安全・健康長寿・交通安全・商工業の繁栄・開運招福など、御神徳は宏大無辺でございます。
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