武州忍城の北西、「皿尾城跡」に鎮守する城の守護神「久伊豆神社大雷神社合殿」へ参拝。東向の一の鳥居を入ると正面は「ふるさと館皿尾センター」という施設。社務所にもなっているようで、駐車場もそちら。
センター入口手前に木製の二の鳥居。参道からは直角に入るようになります。
では、参拝。
当地は、永生年間成田氏が忍城を築くまで居住し、太平洋戦争後、生活改善や酪農の実験村として関東一円に名を知られた所である。
当社縁起によれば、成田長景が平氏追討の折、伊豆三島に武運長久を祈り、高名をあげたのは神徳の致すところとして、この地に三島明神と同体の久伊豆大明神と雷電神を勧請し、祭祀を始めたと伝えている。『風土記稿』では「久伊豆は郡中騎西町場に大社ありて、近郷是を勧請するもの多し、当社も恐くは其類ならん」としている。祭神は事代主命(ことしろぬしのみこと)・別雷命(わけいかづちのみこと)である。
(Resource:「埼玉の神社」埼玉県神社庁)
成田忍落城の後、寛永一九年領主阿部豊後守が崇敬するところとなり、領主代々が武運長久の祈祷を神主青木家に命じ、播磨守正能は延宝元年社殿を再建している。
明治六年に村社となり、同四一年字駒形の生駒神社、字仲ノ在家の神明社・同字天神社の三社を境内に合祀した。このほかの末社は、稲荷社、風神社を再建している。
(Resource:「埼玉の神社」埼玉県神社庁)
天神社、神明社、生駒社の合殿(左)と風神社、稲荷社の合殿(右)
神輿庫。
御神木の「春日杉」。この木から蛇が出ると雷雨になるといわれているそうです。
社殿正面には塞神社。奥には雨乞いの池があったという。
干ばつの折には、社殿正面にあるオミタラセの池を掃除すると必ず雨が降るといわれ、泥上げをして水を替えた。「あの池に手がつくと三日のうちに必ず降る」との言葉通りに必ず雷雨になったという。
(Resource:「埼玉の神社」埼玉県神社庁)
「ふるさと館皿尾センター」の南の入口には「皿尾城址」の史跡碑があります。
永禄四年(1561年)三月上杉謙信輝虎は再参忍を攻め皿尾の地に築城し 木戸監物入道玄斉に守らせたが成田氏と通じた為 謙信は怒って城を焼き払うと『北越軍記』等にあるが 今は外張りという地名を残すのみである (建立碑より)
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