まだまだ暑い「二百二十日」の季節点は、武蔵国二宮と称される神川町の由緒ある古社「金鑚神社(かなさなじんじゃ)」で杜の中。
では、拝殿でお参りを。「二拝二拍手一拝」ですね。本殿は無く、背後の御室ヶ嶽全体を御神体としています。
金鑚神社
所在地 児玉郡神川村二の宮
金鑚神社は、旧官幣中社で、延喜式神名帳にも名を残す古社である。むかしは武蔵国二の宮とも称された。地名の二の宮はこれによっている。
社伝によれば、日本武尊が東征の帰途、伊勢神宮で伯母の倭姫命より賜った火打石を御霊代として、この地の御室山(御岳山)に奉納し、天照大神と素盞嗚命を祀ったのが始まりとされている。
鎌倉時代には、武蔵七党の一つ、児玉党の尊信が厚く、近郷二十二カ村の総鎮守として祀られていた。江戸時代には徳川幕府から御朱印三〇石を賜り、別当の一乗院とともに栄えた。
境内には、国指定重要文化財の多宝塔や、平安時代の後期、源義家が奥州出兵のため戦勝祈願を当社にしたときのものという伝説の遺跡”駒つなぎ石””旗掛杉””義家橋”などがある。
なお、この神社にはとくに本殿をおかず、背後の山全体を御神体としている。旧官・国幣社の中で本殿がないのはここのほか、全国でも大神神社(奈良県)と諏訪神社(長野県)だけである。
昭和五十九年三月 神川町
樹齢550年を越える御神木「旗懸銀杏」。雄木です。
さて、次に目指すは「金鑚の 緑を映す 鏡岩」と詠われた「御嶽の鏡岩」へ・・・・。で、立ちはだかるのは御嶽山頂へと
「鏡岩まで400m」を頼りに登りつめると柵に囲まれた岩場表れ・・・・、辿り着いたのは「緑を映す鏡岩」・・・・。案外小っちゃいんだ........。
御嶽の鏡岩
昭和三十一年七月十九日 国指定特別天然記念物
御嶽の鏡岩は、約一億年前に関東平野と関東山地の境にある八王子構造線ができた時の岩断層活動のすべり面である。岩面の大きさは、高さ約四メートル、幅約九メートルと大きく、北向きで約三十度の傾斜をなしている。岩質は赤鉄石英片岩で、赤褐色に光る岩面は、強い摩擦力により磨かれて光沢を帯び、表面には岩がずれた方向に生じるさく痕がみられる。岩面の大きさや、断層の方向がわかることから地質学的に貴重な露頭となっている。
鏡岩は古くから人々に知られていたようであり、江戸時代に記された『遊歴雑記』には、鏡岩に向えば「人影顔面の皺まで明細にうつりて、恰も姿見の明鏡にむかふがごとし」とあり、『甲子夜話』にも同様の記述がある。また、鏡岩がある御嶽山の一帯は、中世の山城である御嶽城跡が所在することでも知られているが、鏡岩が敵の目標となることから、城の防備のため松明でいぶしたので赤褐色になったという伝説や、高崎城(群馬県)が落城した時には火災の炎が映ったとも伝えられている。このように鏡のように物の姿を映すということから、鏡岩といわれるようになった。
平成九年三月 神川町教育委員会
登ったからには降らなくてはならない・・・・。で、社務所に戻りおみくじは「末吉」、後半勝負ね。
「相場:上がる気配あり」を信じて黄金の金運お守りに初期投資・・・・。
さて、今回の目的は「諏訪大明神の夫婦杉」つながりで(?)丹党縁の「金鑚神社多宝塔」です。
金鑚神社多宝塔阿保弾正全隆(あぼだんじょうぜんりゅう)=安保泰広:武蔵七党のひとつ、丹党支流安保(阿保)氏の第12代。弾正とは役職名。
所在地 児玉郡神川村二の宮
金鑚神社の境内にあるこの多宝塔は、三間四面のこけら葺き、宝塔(円筒形の塔身)に腰屋根がつけられた二重の塔婆である。
天文三年(一五三四)に阿保郷丹荘の豪族である阿保弾正全隆が寄進したもので、真柱に「天文三甲午八月晦日、大檀那安保弾正全隆」の墨書銘がある。
この塔は、建立時代の明確な本県有数の古建築であるとともに、阿保氏に係わる遺構であることも注目される。塔婆建築の少ない埼玉県としては貴重な建造物であり、国指定の重要文化財となっている。
昭和五十九年三月 神川町
武蔵国の歴史に触れる残暑厳しき二百二十日でした。
御嶽山頂はいずれ・・・・。
>森の中の恍惚:武蔵國二之宮 金鑚神社
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