お盆の準備で仏壇を片付けていると、祖母(平成元年没)の「教育手帳」というのが出てきた。現在の「通知表」にあたるようだ。大正六年六月一日渡とあるので、現在から一世紀以上も前のもの。比企郡松山町というのは祖母の生地、現在の東松山市。松山第一尋常高等小学校は現在の「市立松山第一小学校」ですね。
開けると凡例から目次。凡例の最初には「本手帳は比企郡に於て制定したるものなり」とあります。
目次のつづき。(をはり)がかわいいですね。
「教育勅語(きょういくちょくご)」 明治23年10月30日発布~昭和23年6月19日失効
「戊申詔書(ぼしんしょうしょ)」明治41年10月13日発布~昭和23年6月19日失効
「教育振興ニ関スル御沙汰書」 大正四年十二月十日
皇考夙ニ心ヲ教育ノ事ニ労セラレ制ヲ定メ令ヲ布キ又敕シテ其大綱ヲ昭ニシタマヘリ
朕遺緒ヲ紹述シテ倍々(ますます)其ノ振興ヲ圖(図)ラムトス今ヤ人文日進ノ時ニ方リ教育ノ任ニ在ル者克ク朕カ意ヲ體シ以テ皇考ノ彝訓(いくん)ヲ對揚(たいよう)セムコトヲ期セヨ
「軍人ニ賜ハリタル勅諭(ぐんじんちょくゆ)」 明治十五年一月四日
一、軍人ハ忠節ヲ盡(尽)スヲ本分トスヘシ
一、軍人ハ禮儀ヲ正シクスヘシ
一、軍人ハ武勇ヲ尚フヘシ
一、軍人ハ信義ヲ重スヘシ
一、軍人ハ質素ヲ旨トスヘシ
そしてやっと1ページめ 「小学校令抜抄」 明治三十三年八月十八日
第一条 小学校ハ児童身体ノ発達ニ留意シテ道徳教育及国民教育ノ基礎並其ノ生活ニ必須ナル普通ノ知識技能ヲ授クルヲ以テ本旨トス
第三十二条 児童満六歳ニ達シタル翌月ヨリ満十四歳ニ至ル八箇年ヲ以テ学齢トス学齢児童ノ学齢ニ達シタル月以後ニ於ケル最初ノ学年ノ始ヲ以テ就学ノ始期トシ尋常小学校ノ教科ヲ修了シタルトキヲ以テ就学ノ終期トス
学齢児童保護者ハ就学ノ始期ヨリ其ノ終期ニ至ル迄学齢児童ヲ就学セシムルノ義務ヲ負フ
学齢児童保護者ト称スルハ学齢児童ニ対シ親権ヲ行フ者又ハ親権ヲ行フ者ナキトキハ其ノ後見人ヲ謂フ
第三十五条 尋常小学校ノ教科ヲ修了セサル学齢児童ヲ雇傭スル者ハ其ノ雇傭ニ依リテ児童ノ就学ヲ妨クルコトヲ得ス
2ページには学校長、受持教員、管理者、学校医の名前が記入されています。「管理者」ってなんか怪しいですね。
3ページには「父兄の注意」として10項目の「~せられたし」が載っています。
一、児童の教育は学業のみならず躾方にも充分重きを置かれたし
一、児童の衛生に注意し身体の健全を図られたし
一、児童は病気の外必ず出席せしむる様せられたし
一、児童の学用品は学校指定の物を用意せられたし
一、児童の衣服及び携帯品は質素にして実用を旨とせられたし
一、児童の身上に就きては何なりとも学校に相談せられたし
一、青年子女の教育上特に品行に注意せられたし
一、青年子女には学校補習の余暇を興へられたし
一、郡の内外を問はず学校を転じたるときは其の学校長に此の手帳を差出さしめられたし
一、壮丁学力調査壮丁検査等の場合には此の手帳を携帯せしめられたし
4ページめは保険関係「伝染病の種類並に其注意」と「種痘に関する注意」
そして、なぜか5ページから16ページが切り取られています。目次を見ると「学業成績」から「出席状況」の部分となりますが........。
次ページからは、修業の記録~賞罰の記録欄と続き、奥付となり「大正六年四月二十日印刷、三十日発行」とあります。裏表紙の裏には、身体検査規定の改正があったため追加となった検査記録表が貼り付けてありました。
105年前の「教育手帳」。今年のお盆には仏壇の飾ってあげよう........
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