「藤まつり」も終わってすっかり静かな日常を取り戻した騎西町の「玉敷公園」は、見ごろを過ぎた藤棚と公園で遊ぶ子どもたちの声。
「あじさい祭り」は6月1日(日)~30日(月)の開催予定です。
玉敷神社でした。二拝二拍手一拝です。
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騎西城を模した「騎西町郷土史料展示室」。しかし、残念ながら一般開放は「藤まつり」と「文化祭」の期間だけなので、それ以外はお城の外見だけ見て我慢しなければならない。(注:予約すれば見学は可能のようだ。)
騎西(私市)城は、いつ誰の手による築城かは不明だが、康正元年(1455)、上杉・長尾・庁鼻和氏等が守る城を、古河公方足利成氏が攻略したのが初見である。永禄六年(1563)には、小田助三郎が守る騎西城を上杉輝虎(謙信)が攻め落している。
徳川家康が関東に入った天正十八年(1590)、松平康重が二万石で城主となる。康重は大英寺(騎西)を開基し、保寧寺(日出安)に寺領を与えている。その後、大久保忠常・忠職父子が城主となり、玉敷神社を現在に遷座するなど、城下町騎西の再編を行った。寛永九年(1632)忠職の美濃国加納城(岐阜県岐阜市)移封に伴い騎西城は廃城となった。
>森の中の恍惚:玉敷神社
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