森の中の恍惚

野山が笛を吹いている

多々良沼の片想い

2010年11月19日 | 空色の休日 2010 

群馬県館林市と邑楽町にまたがる自然豊かな湖沼「多々良沼」に今夜は眠れそうにない・・・・ネコ2匹。


多々良沼に突き出した荒間崎と呼ばれる半島部は「鶉古城(うずらこじょう)」の跡で、現在は多々良沼公園として整備されています。
隣接する駐車場からはここの土塁を越えて入ることとなります。

鶉古城跡
 鶉新田字小城(こじょう)にある、多々良沼に突出した「荒間崎(あらまさき)」と呼ばれた半島部に築かれた城である。城名については葵下坂(あおいしもさか)といわれた幕府御用鍛冶康継二代の弟が、この地に住み脇差に「鶉古城打」という銘を残しているところから江戸初期、すでにこの名称が使われていたものであろう。
 城跡西南端に当たる入口の道路付近から、半島部を横断するように北に向かって直線にのびる、高さ三㍍、長さ二五〇㍍ほどの土塁と、その西側に沿って空堀がある。
 元弘三年(一三三三)五月、北条高時が鎌倉に滅ぼされたとき、その弟の僧慧性・荒間朝春らはともに逃れて来て、ここに築城。応永年間(一三九四~四二八)には多々良四郎忠致の居城となり、さらに戦国時代を迎えると、館林城主の重臣で下野国小曽根郷八形(足利市高松町)城主小曽根政義は小田原北条氏の来攻に備え、兼帯で当城を守備した。しかし、天正十八年(一五九〇)館林落城に伴い廃城となり鶉古城二五〇余年の歴史を閉じた。今はわずかに残る塁濠と、先端浮島に安置してある南北朝期と推定される墓石の一部が、辺りの風景とともに往時の繁栄を物語る。
    昭和六十一年三月 邑楽町教育委員会

浮島弁財天へと続く「藤棚」がみごとです。


多々良沼に浮かぶ「浮島弁財天」。江ノ島弁財天を勧請したといわれます。


シベリアからの白鳥の飛来地としても知られていて、これから3月下旬頃までの間、多くの白鳥がここで越冬します。


と、望遠カメラを構えた人たちが大勢いると思ったら、魚を捕るタカとして知られる「ミサゴ」を待つ皆さんでした。
「今日は来るよ。」の言葉のとおり東の空から大きな鳥がやってきました。なかなか魚を獲るシーンは見られないと言われましたが、運よく2回もその迫力ある着水をみることができ、両足で大きな魚を捕らえで飛び去るシーンにも遭遇できた、今日の占いCountDown『Happy!』のおひつじ座でありました。


「多々良沼銀鱗おどる追込漁」by.館林カルタ

>森の中の恍惚:群馬県立館林美術館


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