森の中の恍惚

野山が笛を吹いている

深谷市 荒川神社

2019年12月10日 | 1/7,726 

深谷市(旧花園町)荒川に鎮座する『荒川神社』。別当寺「寿楽院」のすぐ東側、鳥居の両脇には多くの庚申塚が並んでいます。


参道入口、鳥居の正面に石垣が造られています。昔の「小被神社」のような高い石垣ではありませんが、この地方ではよく見られる造りのようです。正中を避けて進みましょう。


黄色く染まった境内を眺めていると、いつの間にか真ん中を歩いていました........。


シンプルな拝殿ですね。神額等は中に納められているようです。

荒川神社

 当地は、荒川左岸の台地上にあり、縄文期から平安期にかけての集落跡である東大塚遺跡がある。鎌倉期には殊に栄えた所で、二筋の鎌倉街道が走り、街道沿いに板碑や宝篋印塔が数多く見られる。
 地内には、古くから神社が三社あり『風土記稿』に「春日社 村の鎮守なり、村民持 ○天神社 寿楽院持 ○稲荷社 村持」とある。
 明治初期の「神社調査控」が残され、これによると、大明神(春日社)は、鉢形城主北条安房守(あわのかみ)の家臣持田四郎左衛門の創祀であり、元亀三年(一五七二)に吉田家に願って正一位の神位を受けた。天神社は、甲斐の武田家に祀られていたが、天正十年(一五八二)に天目山で同家が滅亡する時、天神社を預かっていた近臣小宮山内膳は、弟の又七郎と久太夫に神体である天神像を託した。又七郎・久太夫の兄弟は当地に落ち延び、この神像を祀った。祀職の持田家は、この末裔である。稲荷社は、代官五味勘左衛門の氏神であったが、天生年間に前記の久太夫が村人と相談して社殿を造営し、村の神社となった。下って宝鑑十一年(一七六一)に社殿を再建し、文政十年(一八二七)には、伏見稲荷から分霊を受けた。
 明治四十年に、時の政策により稲荷社を中心として、上記三社を合わせて、地名を冠して荒川神社とし、次いで大正四年に、御大典記念事業として、村の中央に当たる現在地に社殿を造営して移転した。
(Resource:「埼玉の神社」埼玉県神社庁)


境内社「八坂大神社」
祭神 建速須佐之男命、大物主命(琴平神社より合祀)、櫛明玉命(天手長男神社より合祀)


境内社「山ノ神社」
主神 大山祇神、相殿 木花咲耶姫命(浅間大神社より合祀)

神異神助神話

明和八年稀なる旱魃の為井水絶て飲料水乏しく田畑作物亦皆枯死せんとす是に於て村内一般の者天神祠廣前に於て雨乞祈願祭を行ひしに忽ち神助に依りて降雨あり人民始めて蘇生したりとその神徳神助の著しかりしこと今に至つて尚口碑に傳へり
(Resource:大里郡神社誌)

:ここです→ Google マップ

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