髙城神社から中山道をぶらぶらと歩いて行くと、旧中山道の有名スポット「八木橋百貨店 旧中山道跡入り口(?)」に突き当たる・・・・。
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北に見えるのは熊谷直実(蓮生法師)生地の「浄土宗蓮生山熊谷寺(れんせいざんゆうこくじ)」。宗紋は「月影杏葉」。
しかし、残念ながらその門は閉ざされている・・・・。
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熊谷寺の東側に隣接するのは「奴伊奈利神社」。
元々は熊谷寺内に祀られていたそうだが神仏分離により遷座。現在は某百貨店の自転車置き場となっているそうだ。
「奴稲荷」の通称と共に当社は子育ての神として名高く、地元の熊谷市はもとより、遠くは横浜・本庄・高崎など各地に崇拝者がおり、その霊験はあらたかであるという。かって、当社には、稲荷様の奴(ご家来)と称し、病弱な子供は三年とか五年とかの期限を決めてその間月参りを欠かさず行えば必ず丈夫になるといわれ、その期間中は稲荷様に奉仕している印としてもみあげ(当地ではこれを奴と呼ぶ)を伸ばし、満期になるとそれを切って奉納する習慣があった。こうした習慣は、太平洋戦争以後はすっかり廃れてしまったが、奴稲荷の名の起こりとして覚えておきたいものである。:ここです→ ブログ人マップ
(Resource:「埼玉の神社」埼玉県神社庁)
東へ進むと「千形神社」
熊谷直貞が熊退治をした時に熊の血が流れていった場所といわれる「血形神社」が由来。
隣の空き地は熊谷宿の陣屋跡。
その昔、気の荒い大熊がこの地にいて、人々を悩ませていた。その熊を熊谷次郎直実の父親である直貞が退治したことによって、暮らしやすくなったので次第に大きな町になっていった。直貞は、殺した熊があまりにも大きかったので、熊の霊を慰めるために、その頭蓋骨を埋めた所に熊野権現を勧請して祀るとともに、熊の血が流れていった(飛んでいったともいう)所にも社を建て、血形明神と称して祀った。これが、当社の起源である。:ここです→ ブログ人マップ
(Resource:「埼玉の神社」埼玉県神社庁)
で、終着は市役所東側に広がる樹木豊かな公園「熊谷市中央公園」。
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2007年度をもって廃校となった「熊谷市立女子高校」の閉校記念碑がここにあります。旧校舎は映画やTVのロケ地としてよく使われているそうです。
左はニュージーランドの姉妹校サウスランドガールズ高校との10周年記念碑。
おつかれさまはセブンイレブンさんの「ルフィのギガント肉まん」をガッツリいただきました。
しっかり著作権表示が入ってる・・・・。
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:短い距離でしたが、いろいろと楽しめた熊谷宿探索の一時でした。けっこう奥深い町並みですね。なお、中央公園と旧市立熊女校舎をロケ地とした映画「行きずりの街」は「熊谷シネティアラ21」で上映中です。
>森の中の恍惚:熊谷市 高城神社
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