ずいぶんと久しぶりになってしまった飛鳥山公園は冬景色。そして、あの「飛鳥山タワー」は今はもう無い・・・・。(いつの話だ?)
飛鳥山の碑
八代将軍吉宗は、鷹狩りの際にしばしば飛鳥山を訪れ、享保5年(1720)から翌年にかけて、1270本の山桜の苗木を植栽した。元文2年(1737)にはこの地を王子権現社に寄進し、別当金輪寺にその管理を任せた。このころから江戸庶民にも開放されるようになり、花見の季節には行楽客で賑わうようになった。この碑文は、吉宗が公共園地として整備したことを記念して、幕府の儒臣成島道筑によつて作成されたもので、篆額は尾張の医者山田宗純の書である。碑文の文体は中国の五経の一つである尚書(書または「書経」ともいう)の文体を意識して格調高く書かれており、吉宗の治世の行き届いている太平の世であることを喧伝したものと考えられる。碑文には元亨年中(1321~3)に豊島氏が王子権現(現在の王子神社)を勧請したことから、王子・飛鳥山・音無川の地名の由来を説いて、土地の人々がこれを祀ったこと、寛永年間に三代将軍家光がこの地に改めて王子権現社に寄進した経緯などが記されている。
異体字や古字を用い石材の傷を避けて文字を斜めにするなど難解な碑文であり、「飛鳥山何と読んだか拝むなり」と川柳にも詠まれたほど、江戸時代から難解な碑文としてよく知られている。
平成9年3月31日 東京都教育委員会
桜いっぱいの公園です。お花見の時期になると上野公園と並んでいろいろと話題になりますね。
「そのかみの山をおほひし花ふヾき まぼろしにしてあがる噴水」
今も変わらぬ「飛鳥の小径」に涙する........。
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