子どもを信じるということは、いつか勉強するだろう、いつか立派になるだろう
ということではなく
子どもが自分自身を幸せにする力をもっている、と信じることです
そう信じることができると
親が要らぬ口をはさんだり、アドバイスと称した誘導をしなくなります
それまで親のしいたレールを歩んできた子どもは
急に突き放されたように感じて抵抗するかもしれませんが
すべて子ども自身に決めさせて誘導しないことです。
それがたとえ親の良しとしない方向でも
我が子は必ず幸せになる道を自分で見つける
そう信じることが
子どもを信じるということなのです
お水のバイトを直前までしながら
国家試験に合格した頑張り屋の長女
わたしと違う価値観で生きる長女を受け入れるには
葛藤があります
むすめの生き方がわたしの理想とはかけ離れていても
むすめは幸せになる道を自分で見つける力をもっている
と自分に言い聞かせます
そう信じています
いま世の中がこんなことになって
堅実に生きてきた人も先が見えない生活になり
世界中の人々が価値観を問い直すでしょう
長女に就職のことで口うるさく言わなくてよかったと思っています
良かれと思って親がすすめた職業も
今は思わぬ方向へいってしまったということもあるでしょう
そんな時代なのですね
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