栄川沿いに大きく右に曲がって東から南へ進路を転ずると、上路式ガーダー1連が使用されていた第2小頓別川橋梁を渡っていたが、この橋梁の左手に桁の架かっていない橋台があった。
昭和3年に上音威子府・小頓別間のうち0.5キロが付け替えられて、橋梁2箇所が新設されたそうなので、この橋梁は天北線開業当時の鉄道橋梁と思われる。
なお、第2小頓別川橋梁のガーダーは、大正2年に横河橋梁製作所が材料をアメリカのカーネギー社から調達して製造した事が製造銘鈑から読み取れるので、桁は旧橋梁から流用したものとみて間違いないだろう。
第2小頓別川橋梁の辺りの樹木に、「8」の数字が記載された板が張り付けられていたが、橋梁の位置や橋梁の数とは無関係のようなので、或いは業務用電話の端子が設置された通信柱があったのかも知れない。
また、「5X(km) 20X(m)」と記載された速度制限標と、その付属品として「貨物××」と記載された板が転がっていた。
第2小頓別川橋梁
速度制限標付近
第2小頓別川 橋梁 (13km584m140)
9m800 上路式ガーダー×1
大正二年 横河橋梁製作所 製
設計荷重:クーパーE-33
※CARNEGIE STEEL Co.製造の材料を使用
1974年9月 建設塗装工業K.K 塗装
コンクリート製橋台(間知石?谷積式翼壁)
桁下部の腐食が著しい(2003年11月調査時)
備考:河川の名称は栄川であるようだ
昭和3年に上音威子府・小頓別間のうち0.5キロが付け替えられて、橋梁2箇所が新設されたそうなので、この橋梁は天北線開業当時の鉄道橋梁と思われる。
なお、第2小頓別川橋梁のガーダーは、大正2年に横河橋梁製作所が材料をアメリカのカーネギー社から調達して製造した事が製造銘鈑から読み取れるので、桁は旧橋梁から流用したものとみて間違いないだろう。
第2小頓別川橋梁の辺りの樹木に、「8」の数字が記載された板が張り付けられていたが、橋梁の位置や橋梁の数とは無関係のようなので、或いは業務用電話の端子が設置された通信柱があったのかも知れない。
また、「5X(km) 20X(m)」と記載された速度制限標と、その付属品として「貨物××」と記載された板が転がっていた。
第2小頓別川橋梁
速度制限標付近
第2小頓別川 橋梁 (13km584m140)
9m800 上路式ガーダー×1
大正二年 横河橋梁製作所 製
設計荷重:クーパーE-33
※CARNEGIE STEEL Co.製造の材料を使用
1974年9月 建設塗装工業K.K 塗装
コンクリート製橋台(間知石?谷積式翼壁)
桁下部の腐食が著しい(2003年11月調査時)
備考:河川の名称は栄川であるようだ
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