この区間については、橋梁のデータを残しているものの、第3橋梁の様々なアングルや、第4橋梁の全景がないのだが、おそらく、フィルム故の撮影可能枚数の問題と思われるので、再調査をしなくてはならないようだ。
14キロ地点 キロポスト
電話用端子箱
第4小頓別川橋梁
電信柱
14.4キロ地点 キロポスト
14.5キロ地点付近にあったと思われる第5小頓別川橋梁は、昭和29年に製造された設計荷重がKS18のデックガーダーに取り替えられているが、KS18の設計荷重の桁は東海道本線といった幹線クラスの橋梁で使用されるもので、先に宗谷線を名乗っていた浜頓別ルートが幌延ルート開通によって主要幹線ではなくなっていた当時の北見線では、役不足であったろう。
この桁は別の路線で使用されていたもののリサイクルである可能性が考えられるが、裏付けを取るには、橋台がいつ改修されたか再調査の必要がある。
第5小頓別川橋梁
第3小頓別川 橋梁 (13km971m69)
9m800 上路式ガーダー×1
製造銘鈑行方不明の為、製造年・製造会社及び設計荷重その他一切不明
1973年9月 建設塗装工業K.K 塗装
コンクリート製橋台(間知石?谷積式翼壁にモルタルを上塗)
南稚内側橋台下部に護岸工
桁の腐食が著しい(2003年11月調査時)
備考:河川の名称は栄川であるようだ
第4小頓別川 橋梁 (14km197m00)
9m800 上路式ガーダー×1
製造銘鈑行方不明(塗替え以前より)の為、製造年・製造会社及び設計荷重その他一切不明
1974年9月 建設塗装工業K.K 塗装
コンクリート製橋台(間知石?谷積式翼壁)
※南稚内側橋台の翼壁はモルタル上塗
桁下部の腐食が著しい(2003年11月調査時)
備考:河川の名称は栄川であるようだ
第5小頓別川 橋梁 (14km---m-- ※南稚内側橋台付近に14.5キロポスト残骸あり)
9m80? 上路式ガーダー×1
※退色の為、桁形式より推測
昭和29年 株式会社新潟鉄工所 製
設計荷重:KS18,29契橋9,図:では809
退色の為、塗装年月及び塗装会社その他不明
コンクリート製橋台(間知石?谷積式翼壁)
※後年に改修した可能性あり
特になし(2003年11月調査時)
備考その1:河川の名称は栄川であるようだ
備考その2:桁は転用された可能性あり
14キロ地点 キロポスト
電話用端子箱
第4小頓別川橋梁
電信柱
14.4キロ地点 キロポスト
14.5キロ地点付近にあったと思われる第5小頓別川橋梁は、昭和29年に製造された設計荷重がKS18のデックガーダーに取り替えられているが、KS18の設計荷重の桁は東海道本線といった幹線クラスの橋梁で使用されるもので、先に宗谷線を名乗っていた浜頓別ルートが幌延ルート開通によって主要幹線ではなくなっていた当時の北見線では、役不足であったろう。
この桁は別の路線で使用されていたもののリサイクルである可能性が考えられるが、裏付けを取るには、橋台がいつ改修されたか再調査の必要がある。
第5小頓別川橋梁
第3小頓別川 橋梁 (13km971m69)
9m800 上路式ガーダー×1
製造銘鈑行方不明の為、製造年・製造会社及び設計荷重その他一切不明
1973年9月 建設塗装工業K.K 塗装
コンクリート製橋台(間知石?谷積式翼壁にモルタルを上塗)
南稚内側橋台下部に護岸工
桁の腐食が著しい(2003年11月調査時)
備考:河川の名称は栄川であるようだ
第4小頓別川 橋梁 (14km197m00)
9m800 上路式ガーダー×1
製造銘鈑行方不明(塗替え以前より)の為、製造年・製造会社及び設計荷重その他一切不明
1974年9月 建設塗装工業K.K 塗装
コンクリート製橋台(間知石?谷積式翼壁)
※南稚内側橋台の翼壁はモルタル上塗
桁下部の腐食が著しい(2003年11月調査時)
備考:河川の名称は栄川であるようだ
第5小頓別川 橋梁 (14km---m-- ※南稚内側橋台付近に14.5キロポスト残骸あり)
9m80? 上路式ガーダー×1
※退色の為、桁形式より推測
昭和29年 株式会社新潟鉄工所 製
設計荷重:KS18,29契橋9,図:では809
退色の為、塗装年月及び塗装会社その他不明
コンクリート製橋台(間知石?谷積式翼壁)
※後年に改修した可能性あり
特になし(2003年11月調査時)
備考その1:河川の名称は栄川であるようだ
備考その2:桁は転用された可能性あり
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます