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自称“流川市民”の、鉄道橋梁&トンネルと北海道の国鉄(JR)廃線跡が好きな人間がブログに挑む。(最近は迷走の日々…)

跡地の思い出・陸軍鉄道連隊編

2011年07月02日 | 鉄道―東日本方面廃止路線調査
 私がここの跡地を知るきっかけとなったのは、祖母を見舞う病院通いの道中に、古びたコンクリート製の櫓に乗るタンクを見た事にある。
 国際科学技術博覧会が茨城県で開催された昭和60年当時、祖母は肺癌に侵されて、千葉県の放射線医学研究所付属病院に入院していた。
 国の研究機関である関係か、構内に入場する際には守衛所で手続きをとって入場する必要があり、古びた病棟内の薄暗い雰囲気と相俟って、病院に行くのは憂鬱なものとなっていた。
 そのタンクはいつしか見なくなってしまって、何となく気になっていたのだが、そんなある日、本屋で雑誌「鉄道ファン」昭和60年12月号を立ち読みしていた時に、見覚えのある光景が目に留まった。給水塔である。まさしく、病院通いの際に見た、あのタンクである。
 早速買い求めた鉄道ファンを包みから取り出すや否や、いつもなら最初に読み始めていたであろう4色カラーの“国鉄電車の話題 総集編”の頁を飛ばして、蒸気機関車の研究に情熱を注がれていた臼井 茂信氏による“鉄道聯隊の見える街”から読み始めた。
 当時、小学校4年生であった私は、文章理解力はまだ乏しく、また、読めない漢字にもどかしさを覚えながらも、その記事で“鉄道連隊”の存在を知って以来、病院へ見舞いに行く際には不謹慎にも鉄道連隊の跡地に思いを馳せたりした。
 だが、昭和61年1月に祖母が亡くなり、病院へ見舞いに行く事もなくなってから、鉄道連隊の跡地の存在をすっかり忘れてしまっていた。

 状況が変わったのは、大学生になって、小学校以来の友人である田辺氏が千葉市内の某国立大学に合格した事にある。雑談で合格した大学の名前を聞いて、ふと、鉄道連隊関連の遺跡の存在を思い出したのである。
 結局実現はしなかったが、休講とかでスケジュールが空くようなら跡地を散策しようではないかと持ちかけて、散策コースを練った記憶がある。
 その後も、千葉公園及びその周辺や、津田沼の千葉工業大学に残る遺構をぶらぶらした事はあるが、跡地を本格的に歩いた事はない。



 あの思い出の給水塔の場所を求めて、国道126号と県道72号の交わる穴川3丁目の交差点から敬愛大学の先までの数百メートルの区間を原付で何度かうろついてみるのだが、敬愛大学の東端の、重粒子医科学センター病院の建物が右手に見える辺りで見たのではないかと思うが、毎回思い出せずに千葉公園に立ち寄り、ウインチ台と言われる謎のコンクリートの塊の上で休憩というのがいつものパターンになっている。



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2 コメント

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元自衛官として・・・ (ひでちん)
2011-07-02 22:56:51
10数年前自衛隊員してました。

自分が居た駐屯地では、昭和初期に建てた馬小屋の基礎が残っていたり建物が残ってたりしてました。
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ひでちん様、ようこそ (ブログのヌシ)
2011-07-03 04:45:10
以前、板橋方面から川越街道経由で成増方面に向かった時に、練馬の駐屯地内に結構古そうな平屋を見たような記憶がありますね
返信する

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