柏市若白毛の庚申塚を撮影した足で、隣にある鳥居を撮影するつもりだったが、予定が遅れてしまい、更に撮影してから長期間放置という体たらく。





日差しが強くなってきた頃に撮影は一通り終了したので、風早北部小学校の脇にある石碑群にだらだらと移動した。


庚申塔 弘化三(1846)年
状態が良くない。

猿田彦塔 天保五(1834)年十二月
左隣の弘化三年の庚申塔同様に状態が良くなかった。
建立の年月以外に彫られている“■主神主森河内祐”とは何なのだ?

不明 文政十三(1830)年十一月
神宮と彫られているみたいだが、この石碑の側面にも“■主神主森河内祐”とある。

破損(庚申塔) 宝暦十二(1762)年十一月
踏みつけられた邪鬼と三猿で青面金剛像の庚申塔とわかる。

庚申塔 延宝二(1674)年 ※十月?
“奉待庚申諸願成就■”とある。
実に可愛らしい三猿だ。

不明 正徳三(1713)年十月二十九日
“■達磨奉開眼供養帝釈天”云々とあるようだ。

不明「南無阿弥陀仏」 嘉永四(1851)年四月
名号塔というものらしい。

馬頭観世音 建立年月不明
建立年月について判読ができなかったので、再調査の予定。

日露戦没軍馬記念碑 明治三十七年三月十日

馬主は果たして、どのような気持ちで戦地に馬を送り出したのだろうか?









日差しが強くなってきた頃に撮影は一通り終了したので、風早北部小学校の脇にある石碑群にだらだらと移動した。


庚申塔 弘化三(1846)年
状態が良くない。



猿田彦塔 天保五(1834)年十二月
左隣の弘化三年の庚申塔同様に状態が良くなかった。
建立の年月以外に彫られている“■主神主森河内祐”とは何なのだ?


不明 文政十三(1830)年十一月
神宮と彫られているみたいだが、この石碑の側面にも“■主神主森河内祐”とある。



破損(庚申塔) 宝暦十二(1762)年十一月
踏みつけられた邪鬼と三猿で青面金剛像の庚申塔とわかる。



庚申塔 延宝二(1674)年 ※十月?
“奉待庚申諸願成就■”とある。
実に可愛らしい三猿だ。





不明 正徳三(1713)年十月二十九日
“■達磨奉開眼供養帝釈天”云々とあるようだ。


不明「南無阿弥陀仏」 嘉永四(1851)年四月
名号塔というものらしい。



馬頭観世音 建立年月不明
建立年月について判読ができなかったので、再調査の予定。


日露戦没軍馬記念碑 明治三十七年三月十日


馬主は果たして、どのような気持ちで戦地に馬を送り出したのだろうか?

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