このトンネルの探索は仲間と数名で行ったが、探索自体は特段新しい発見があった訳ではないが、補修の状況が取ってつけたように不恰好で、改築工事施工銘鈑の撮影で仲間を呆れさせた事を思い出す。
第2力昼 隧道
入口:34km077m62
出口:34km289m85(以上、線路一覧略図より抜粋)
抗道アーチ部分の材質:コンクリートブロック
抗門及び抗道側壁部分の材質:コンクリート
改築工事施工銘鈑
第2力昼トンネル坑門修繕,力昼 古丹別 間,34K077M62
施工者 K.K.勝山組,施工年月 昭和54年10月
留萠側抗口
四角形の天側の角を斜めに落としたような変形六角形の抗門であったのだろうか?
跡地の樹木が視界を遮って、向かって右側のディテールがはっきりとしない
留萠側抗口 部分写真
画面の右側が白く飛んでしまっているが、何か重要な情報を撮影しようとしたものと思われるが思い出せない
坑道 幌延方
34km200m地点付近から撮影したものだろうか?
坑道 幌延側補修状況
80の数字は補修の延長か、或いは34km280m地点を意味するマーキングと思われる
坑道 幌延方
80のマーキングの場所から撮影したものと思われる
幌延側抗口
両側に出っ張りがあるが、控壁と呼ばれる
明治時代のトンネルには装飾的な目的で控壁が設けられたが、この場合は、抗門を支える目的で後年に設置されたようだ
幌延側抗口 控壁
抗口付近の天端から地側へ一直線に亀裂が走っている事から、抗門部分が倒壊する恐れがあったので控壁設置を伴う改築工事が施工されたものと思われる
改築工事 施工銘鈑
これでも文字が際立つように焼き込みとかでかなり写真加工してある
第2力昼 隧道
入口:34km077m62
出口:34km289m85(以上、線路一覧略図より抜粋)
抗道アーチ部分の材質:コンクリートブロック
抗門及び抗道側壁部分の材質:コンクリート
改築工事施工銘鈑
第2力昼トンネル坑門修繕,力昼 古丹別 間,34K077M62
施工者 K.K.勝山組,施工年月 昭和54年10月
留萠側抗口
四角形の天側の角を斜めに落としたような変形六角形の抗門であったのだろうか?
跡地の樹木が視界を遮って、向かって右側のディテールがはっきりとしない
留萠側抗口 部分写真
画面の右側が白く飛んでしまっているが、何か重要な情報を撮影しようとしたものと思われるが思い出せない
坑道 幌延方
34km200m地点付近から撮影したものだろうか?
坑道 幌延側補修状況
80の数字は補修の延長か、或いは34km280m地点を意味するマーキングと思われる
坑道 幌延方
80のマーキングの場所から撮影したものと思われる
幌延側抗口
両側に出っ張りがあるが、控壁と呼ばれる
明治時代のトンネルには装飾的な目的で控壁が設けられたが、この場合は、抗門を支える目的で後年に設置されたようだ
幌延側抗口 控壁
抗口付近の天端から地側へ一直線に亀裂が走っている事から、抗門部分が倒壊する恐れがあったので控壁設置を伴う改築工事が施工されたものと思われる
改築工事 施工銘鈑
これでも文字が際立つように焼き込みとかでかなり写真加工してある
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