80k700m タイトルはまだ考えてない(旧 安全靴をはいたタヌキのホームペヱジ)

自称“流川市民”の、鉄道橋梁&トンネルと北海道の国鉄(JR)廃線跡が好きな人間がブログに挑む。(最近は迷走の日々…)

美幸線 沿革・停車場一覧

2011年05月22日 | 鉄道―北海道内廃止国鉄線沿革・停車場一覧

美深~仁宇布(※営業区間 21.2km)
仁宇布~歌登~北見枝幸(※未開通区間 57.6km) 1985(昭和60)年09月17日バス転換


 美幸線は、宗谷本線美深駅から東へ向かい、東美深駅・辺渓駅を経て、仁宇布駅(以上、美深町)を結んでいた。
 美幸線は宗谷地方の上徳志別・志美宇丹・歌登(以上、歌登町)を経て、興浜北線の北見枝幸駅(枝幸町)に至る路線として、1964(昭和39)年10月05日に仁宇布まで開業したものの、開業まもなく赤字に転落した。
 国鉄諮問委員会で路線廃止問題が浮上したものの、全通していないのに廃止云々を言うのは問題外であるとして、廃止に反対した。
 一方、1980(昭和55)年に未開通区間の工事は完了し、あとは線路と駅を残すのみとなったが、1981(昭和56)年06月に第一次特定地方交通線に指定され、1985(昭和60)年09月17日にバスによる旅客輸送へと転換された。
 美深~仁宇布間は名士バスによる乗合バスとなったものの、採算が取れず、美深町による貸切バスという形態でかろうじて運行している。
 一方の未開通区間は、宗谷バスが枝幸~志美宇丹間を運行していたが、歌登町営バスによる旅客輸送へと転換された。ただし、あくまでも福祉行政サービスの一貫として運行されているに過ぎない。
 美深町仁宇布の奥にはエゾムラサキツツジやミズバショウ等が咲き乱れて、高原湿原特有の植物が群生している松山湿原があり、歌登町には、一大リゾート施設である、うたのぼり健康回復村(直通バス運行、ホテル・ゴルフ場・スキー場・キャンプ場等有)がある。
 1971(昭和46)年には、歌登町上徳志別の美幸線建設工事現場から哺乳類のデスモスチルスの臼歯の化石が出土し、1977(昭和52)年から1978(昭和53)年にかけて、徳志別川から全身骨格の化石が発掘されたが、うたのぼり健康回復村に併設されているふるさと館(有料)で、化石のレプリカを見る事が出来る。デスモスチルスの化石は日本にしかないそうだ。











一般駅・旅客駅
停車場名位置 開設廃止記事
ひがしびふか
東美深

 04.3
S39.10.15
S60.09.17
延長25m片面ホーム
面積10.5m2待合室

ぺんけ
辺渓

 06.3
S39.10.05
S60.09.17
延長25m片面ホーム
面積10.5m2待合室

にうぷ
仁宇布
 21.2
S39.10.05
S60.09.17
有効長160m上下本線及び貨物線1線
延長30m島式ホーム

S41.11.21 駅舎火災
S42.11.-- 駅舎再建
(以上、美深駅内部資料より)
S59.02.01 一般駅→旅客駅


未開通区間(※停車場のキロ程は、美深起点として表記 ちなみに北見枝幸駅の位置は美深起点78km740mとなる予定であった また、美深起点21km160m地点にあった仁宇布駅は、北見枝幸起点57km560m地点に設定される予定であった)
















一般駅・旅客駅(美深起点)
停車場名予定位置 記事
きたみおおまがり
北見大曲

41km000m
記事参照
北見枝幸起点37km720m
かみとくしべつ
上徳志別

47km090m
記事参照
北見枝幸起点31km630m
しびうたん
志美宇丹

51km520m
記事参照
北見枝幸起点27km200m
列車交換設備が設けられる予定だったらしい
ぺんけない
辺毛内

58km080m
記事参照
北見枝幸起点20km640m
うたのぼり
歌登

63km400m
記事参照
北見枝幸起点15km320m
列車交換設備が設けられる予定だったらしい
しもほろべつ
下幌別

71km520m
記事参照
北見枝幸起点07km200m


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