Herkese Merhaba!
歌詞翻訳のお時間です。
今回はMor ve ÖtesiというバンドのCambaz(曲芸師)という曲を紹介したいと思います。
トルコの音楽のかっこいい曲の中で5番目以内には確実に入る曲だと個人的に思っている曲です。
メロディーラインがこれまた軽快ですし、何よりイントロの疾走感が最高です。
なんでこれを早く訳していなかったんだろうと、過去の記事を見て愕然としてしまいました。。
ただメロディーはかっこいいのですが、歌詞が少し政治的で少しわかりづらいものがあります。
そのため参考として、Cambazについて書かれたコラムの翻訳を後ろにのっけておくので
読んでいただければと思います。(歌詞の解釈についてトルコでも意見が分かれたみたいなので・・)
ちなみにタイトルにもあるCambaz(曲芸師)はこの曲の中ではテレビを指しています
トルコの世論の中には政治やメディアに不信感を抱いている層が一定数いるので
こうした批判が歌になっても受け入れられるのかもしれません。
それではお聞きください、Mor ve ÖtesiでCambaz。
歌詞
Ne habersin ne Türk'sün
君は報道でも、トルコ人でもない
Seni gören yollara dökülsün
君は、君を見る奴を街角に集めている。
Kul oldun, köle oldun
君は下僕になった。奴隷になった
Kurşun geçirmez cam oldun
君は防弾ガラスになった
Bütün dünya izler durur
全世界が(君を)監視している
Afet-i Azam bekler durur
大災害が待っている
Hedefini al, piyasanı al, her şeyi al
標的を定めろ、市場を買い占めろ、全部奪うんだ
Yandı dertler bitti tasa
悩みは燃えている。心配事は終わった
Ben kurbanım bu cambaza
僕はこの曲芸師のいけにえだ
iki gözüm kadar eminim sen yoksun
君が(そこに)いないのは僕の両目でわかるくらいに確かなことだ
Kul oldun, köle oldun
君は下僕になった、奴隷になった
Kurşun geçirmez cam oldun
君は防弾ガラスになった
Cin oldun adam çarptın
君は魔神になって人を叩きつけた
Cellat oldun, kelle uçurdun
君は死刑の執行人になり、頭を切り飛ばした
Bütün dünya izler durur
全世界が(君を)監視している
Afet-i Azam bekler durur
大災害がが待っている
Hedefini al, piyasanı al, her şeyi al
標的を定めろ、市場を買い占めろ、全部奪うんだ
Yandı dertler bitti tasa
悩みを燃やした。心配事は終わった
Ben kurbanım bu cambaza
僕はこの曲芸師のいけにえだ
İki gözüm kadar eminim sen yoksun
君が(そこに)いないのは僕の両目でわかるくらいに確かなことだ
Var mısın, yoksun
君は(そこに)いるのか、いないのか
Var mısın, yoksun
君は(そこに)いるのか、いないのか
İki gözüm, eminim, sen yoksun
君が(そこに)いないのは僕の両目でわかるくらいに確かなことだ
Var mısın, yoksun
君は(そこに)いるのか、いないのか
Var mısın, yoksun
君は(そこに)いるのか、いないのか
Bütün dünya izler durur
全世界が(君を)監視している
Afet-i Azam bekler durur
大災害がが待っている
Hedefini al, piyasanı al, her şeyi al
標的を定めろ、市場を買い占めろ、全部奪うんだ
Yandı dertler bitti tasa
悩みを燃やした。心配事は終わった
Ben kurbanım bu cambaza
僕はこの曲芸師のいけにえだ
İki gözüm kadar eminim sen yoksun
君が(そこに)いないのは僕の両目でわかるくらいに確かなことだ
Sen yoksun
君は(そこに)いない
Sen yoksun
君は(そこに)いない
2020/4/7微修正済
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参考:(そもそもの原文自体にわかりづらい部分があるので、何言っているかわからない部分は飛ばすといいでしょう)
Cambazについて(2008/5/29 Milliyet Blog)by Said Murat 妙訳
出典:http://blog.milliyet.com.tr/-cambaz--hakkinda---/Blog/?BlogNo=111965
MorVeOtesiが2004年にリリースしたCambazという曲についていくつか意見がでている。
「アタテュルクに対する冒とくだ」との声や、「アッラーに対する冒とくだ」という声がみられる。
私はこれについて少しばかり研究してみた。
私はこの曲を聴くし、この曲が好きだし、このグループのほかの曲についても同じことが言えるからだ。
さて、私が行った研究に移ろう。いくつかの討論会からからデータを取得した。
曲に書かれている歌詞に説明を加えていこうと思う。
Cambazという曲は実は古い曲だ。実際、2004年に市場に出ている曲だ。
知っての通り、最近の曲は普通、愛と大きく関係がある。
しかしMorVeOtesiには違った情熱があることをこの曲から我々は理解できる。
Cambazという曲はメディアの誇張や隠ぺいに対して書いている。
実際のターゲットはメディアなのだ。
歌詞を字面通り見ると、「君はニュースでもなければトルコ人でもない(Ne habersin ne Türk'sün)」と言うことで
アタテュルクを冒涜しているように見える。
しかしそうではない。
ここではあるニュースチャンネル(名前は出したくない)に対する告発がある。
曲を聴くとわかる通り、この部分はまるで「君はニュースでもなければ何物でもない(Ne habersin ne türsün)」という風に捉えられる。
つまりあたかもKの文字が飲み込まれているかのようである。
これに対して「(この曲は)アッラーについて書かれたものである」という人もいる(私もそう思っていた)。
しかし、これも違うのである。
このバンドがテレビやニュースのチャンネルに与えた影響について私は調べなかった。
しかし「君は下僕になった奴隷になった。君は防弾ガラスになった(Kul oldun, köle oldun.Kurşun geçirmez cam oldun)」という歌詞は
テレビに対して発言したものだ。
テレビ局に勤める何人かの人々や組織がテレビ局の奴隷になっていることを説明しようとしている。
「君は魔神になって人を叩きつけた。君は死刑の執行人になり、頭を切り飛ばした(Cin oldun adam çarptın. Cellat oldun, kelle uçurdun)」
という歌詞もまたテレビについての事柄だ。
Mor ve otesiはテレビに対して次のようなことを言いたいのである。
「(略)あなたのせいで何人かの人々がテレビによって殺されたのだ。彼らはやってしまったのだ。。誰かを殺すことについて火に油を注ぐようなことをしたのだ。(魔神になって人を叩きつける部分)」
「全世界を監視し続けている。大災害を待ち続ける。目的を持て、市場を占めろ、全部買うんだ(Bütün dünya izler durur.Afet-i Azam bekler durur.Hedefini al, piyasanı al, her şeyi al)」という歌詞では「目的を持て、市場を買い占めろ(Hedefini al, piyasanı al,)」という部分を理解する必要がある。
ここでもいつものようにテレビについて発言している。しかしここには「裏」がある。
ここではブッシュ大統領について発言しているのである。
「全世界を監視している。しかし近いうちに最後の審判の日が来るだろう。(誰ももう静かではいられないだろう)目的を持ち、市場を買い占めて、出ていくんだ」
と言いたいのだ。
「悩みを燃やして心配事は終わった。僕はこの曲芸師の犠牲者だ(Yandı dertler bitti tasa.Ben kurbanım bu cambaza)」という歌詞は
少しつまらない部分だが、これもテレビについてのことである。
冒頭で私が書いたようにテレビがすべてを隠ぺいしていることについて言及している。
(略)ここでは「この曲芸師の犠牲者になろう、どういうわけかすべての悩みを彼が解消してくれるのだから」と言いたいのである。
問題に答えるところまで来た。すべての議論のテーマとなる部分はここである。
「君がいないのは僕の両目でわかるくらいに確かなことだ(İki gözüm kadar eminim sen yoksun)」と
「君はいるのか、いないのかVar mısın, yoksun」という歌詞だ。。
曲のこの歌詞だけを聴いた人たちは すぐに次のようなコメントを発するだろう。「これはアッラーに対する冒涜だ」と。
しかしこれは間違った答えだ。
ここではテレビに対して「あなたは自分自身を持っていると思っているのだろうけれど、実際にはそんなものはないんだよ。
あなた方の目的は決して実現しないでしょう。」と言っているのだ。
私個人のコメントとしてはMor veOtesiがテレビに対して言ったことは疑いようのないことだと思う。
MVでも画面が割れたテレビが見られる。
そして私がMor veOtesi(の主張)に賛成することを明らかにしておきたい。
しかし私たちは最後に行った検証でテレビの目的が達成しえないだろうと言った。
とはいえ、テレビは私たちの生活に入りこみ、私たちをテレビの世界に閉じ込めつつ、ついにその目的を達成したかのようである。
読者の皆さんもそうは思わないか?
テレビの中には隠された「秘密」が確かにある。そしてテレビのチャンネルが政治をうまく誘導している。残念だ。とても残念なことである。。
歌詞翻訳のお時間です。
今回はMor ve ÖtesiというバンドのCambaz(曲芸師)という曲を紹介したいと思います。
トルコの音楽のかっこいい曲の中で5番目以内には確実に入る曲だと個人的に思っている曲です。
メロディーラインがこれまた軽快ですし、何よりイントロの疾走感が最高です。
なんでこれを早く訳していなかったんだろうと、過去の記事を見て愕然としてしまいました。。
ただメロディーはかっこいいのですが、歌詞が少し政治的で少しわかりづらいものがあります。
そのため参考として、Cambazについて書かれたコラムの翻訳を後ろにのっけておくので
読んでいただければと思います。(歌詞の解釈についてトルコでも意見が分かれたみたいなので・・)
ちなみにタイトルにもあるCambaz(曲芸師)はこの曲の中ではテレビを指しています
トルコの世論の中には政治やメディアに不信感を抱いている層が一定数いるので
こうした批判が歌になっても受け入れられるのかもしれません。
それではお聞きください、Mor ve ÖtesiでCambaz。
歌詞
Ne habersin ne Türk'sün
君は報道でも、トルコ人でもない
Seni gören yollara dökülsün
君は、君を見る奴を街角に集めている。
Kul oldun, köle oldun
君は下僕になった。奴隷になった
Kurşun geçirmez cam oldun
君は防弾ガラスになった
Bütün dünya izler durur
全世界が(君を)監視している
Afet-i Azam bekler durur
大災害が待っている
Hedefini al, piyasanı al, her şeyi al
標的を定めろ、市場を買い占めろ、全部奪うんだ
Yandı dertler bitti tasa
悩みは燃えている。心配事は終わった
Ben kurbanım bu cambaza
僕はこの曲芸師のいけにえだ
iki gözüm kadar eminim sen yoksun
君が(そこに)いないのは僕の両目でわかるくらいに確かなことだ
Kul oldun, köle oldun
君は下僕になった、奴隷になった
Kurşun geçirmez cam oldun
君は防弾ガラスになった
Cin oldun adam çarptın
君は魔神になって人を叩きつけた
Cellat oldun, kelle uçurdun
君は死刑の執行人になり、頭を切り飛ばした
Bütün dünya izler durur
全世界が(君を)監視している
Afet-i Azam bekler durur
大災害がが待っている
Hedefini al, piyasanı al, her şeyi al
標的を定めろ、市場を買い占めろ、全部奪うんだ
Yandı dertler bitti tasa
悩みを燃やした。心配事は終わった
Ben kurbanım bu cambaza
僕はこの曲芸師のいけにえだ
İki gözüm kadar eminim sen yoksun
君が(そこに)いないのは僕の両目でわかるくらいに確かなことだ
Var mısın, yoksun
君は(そこに)いるのか、いないのか
Var mısın, yoksun
君は(そこに)いるのか、いないのか
İki gözüm, eminim, sen yoksun
君が(そこに)いないのは僕の両目でわかるくらいに確かなことだ
Var mısın, yoksun
君は(そこに)いるのか、いないのか
Var mısın, yoksun
君は(そこに)いるのか、いないのか
Bütün dünya izler durur
全世界が(君を)監視している
Afet-i Azam bekler durur
大災害がが待っている
Hedefini al, piyasanı al, her şeyi al
標的を定めろ、市場を買い占めろ、全部奪うんだ
Yandı dertler bitti tasa
悩みを燃やした。心配事は終わった
Ben kurbanım bu cambaza
僕はこの曲芸師のいけにえだ
İki gözüm kadar eminim sen yoksun
君が(そこに)いないのは僕の両目でわかるくらいに確かなことだ
Sen yoksun
君は(そこに)いない
Sen yoksun
君は(そこに)いない
2020/4/7微修正済
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参考:(そもそもの原文自体にわかりづらい部分があるので、何言っているかわからない部分は飛ばすといいでしょう)
Cambazについて(2008/5/29 Milliyet Blog)by Said Murat 妙訳
出典:http://blog.milliyet.com.tr/-cambaz--hakkinda---/Blog/?BlogNo=111965
MorVeOtesiが2004年にリリースしたCambazという曲についていくつか意見がでている。
「アタテュルクに対する冒とくだ」との声や、「アッラーに対する冒とくだ」という声がみられる。
私はこれについて少しばかり研究してみた。
私はこの曲を聴くし、この曲が好きだし、このグループのほかの曲についても同じことが言えるからだ。
さて、私が行った研究に移ろう。いくつかの討論会からからデータを取得した。
曲に書かれている歌詞に説明を加えていこうと思う。
Cambazという曲は実は古い曲だ。実際、2004年に市場に出ている曲だ。
知っての通り、最近の曲は普通、愛と大きく関係がある。
しかしMorVeOtesiには違った情熱があることをこの曲から我々は理解できる。
Cambazという曲はメディアの誇張や隠ぺいに対して書いている。
実際のターゲットはメディアなのだ。
歌詞を字面通り見ると、「君はニュースでもなければトルコ人でもない(Ne habersin ne Türk'sün)」と言うことで
アタテュルクを冒涜しているように見える。
しかしそうではない。
ここではあるニュースチャンネル(名前は出したくない)に対する告発がある。
曲を聴くとわかる通り、この部分はまるで「君はニュースでもなければ何物でもない(Ne habersin ne türsün)」という風に捉えられる。
つまりあたかもKの文字が飲み込まれているかのようである。
これに対して「(この曲は)アッラーについて書かれたものである」という人もいる(私もそう思っていた)。
しかし、これも違うのである。
このバンドがテレビやニュースのチャンネルに与えた影響について私は調べなかった。
しかし「君は下僕になった奴隷になった。君は防弾ガラスになった(Kul oldun, köle oldun.Kurşun geçirmez cam oldun)」という歌詞は
テレビに対して発言したものだ。
テレビ局に勤める何人かの人々や組織がテレビ局の奴隷になっていることを説明しようとしている。
「君は魔神になって人を叩きつけた。君は死刑の執行人になり、頭を切り飛ばした(Cin oldun adam çarptın. Cellat oldun, kelle uçurdun)」
という歌詞もまたテレビについての事柄だ。
Mor ve otesiはテレビに対して次のようなことを言いたいのである。
「(略)あなたのせいで何人かの人々がテレビによって殺されたのだ。彼らはやってしまったのだ。。誰かを殺すことについて火に油を注ぐようなことをしたのだ。(魔神になって人を叩きつける部分)」
「全世界を監視し続けている。大災害を待ち続ける。目的を持て、市場を占めろ、全部買うんだ(Bütün dünya izler durur.Afet-i Azam bekler durur.Hedefini al, piyasanı al, her şeyi al)」という歌詞では「目的を持て、市場を買い占めろ(Hedefini al, piyasanı al,)」という部分を理解する必要がある。
ここでもいつものようにテレビについて発言している。しかしここには「裏」がある。
ここではブッシュ大統領について発言しているのである。
「全世界を監視している。しかし近いうちに最後の審判の日が来るだろう。(誰ももう静かではいられないだろう)目的を持ち、市場を買い占めて、出ていくんだ」
と言いたいのだ。
「悩みを燃やして心配事は終わった。僕はこの曲芸師の犠牲者だ(Yandı dertler bitti tasa.Ben kurbanım bu cambaza)」という歌詞は
少しつまらない部分だが、これもテレビについてのことである。
冒頭で私が書いたようにテレビがすべてを隠ぺいしていることについて言及している。
(略)ここでは「この曲芸師の犠牲者になろう、どういうわけかすべての悩みを彼が解消してくれるのだから」と言いたいのである。
問題に答えるところまで来た。すべての議論のテーマとなる部分はここである。
「君がいないのは僕の両目でわかるくらいに確かなことだ(İki gözüm kadar eminim sen yoksun)」と
「君はいるのか、いないのかVar mısın, yoksun」という歌詞だ。。
曲のこの歌詞だけを聴いた人たちは すぐに次のようなコメントを発するだろう。「これはアッラーに対する冒涜だ」と。
しかしこれは間違った答えだ。
ここではテレビに対して「あなたは自分自身を持っていると思っているのだろうけれど、実際にはそんなものはないんだよ。
あなた方の目的は決して実現しないでしょう。」と言っているのだ。
私個人のコメントとしてはMor veOtesiがテレビに対して言ったことは疑いようのないことだと思う。
MVでも画面が割れたテレビが見られる。
そして私がMor veOtesi(の主張)に賛成することを明らかにしておきたい。
しかし私たちは最後に行った検証でテレビの目的が達成しえないだろうと言った。
とはいえ、テレビは私たちの生活に入りこみ、私たちをテレビの世界に閉じ込めつつ、ついにその目的を達成したかのようである。
読者の皆さんもそうは思わないか?
テレビの中には隠された「秘密」が確かにある。そしてテレビのチャンネルが政治をうまく誘導している。残念だ。とても残念なことである。。