全くの偶然ではあるが、NHK のニュースで中国海軍の事を放送していたのだが、そこに出て来た艦船の形を見て「ビックリ!」である。
艦船の種類は分からないのだが、基本的な型は、私が中学の幾何の時間に書いていた船の形とよく似ているのである。
私はその当時、東京の石神井公園の池で夏に開催される「模型モーターボート大会」に参加するために、早く走れる?船を考えていて、授業中ににもかかわらず、突然アイデアがひらめいたのである。
この頃は、授業の内容もチンプンカンプンで、授業には全く集中出来ず、何時も何かしら他の事を考えていたのである。
このため、時折先生からチョークが飛んでくることもあり、よく怒られたものであるが、今思い出すと「楽しい?思い出」ではあるが・・・・。
さて、船の設計図は出来たものの、結局は「財源不足?」で日の目を見ることもなく、普段は記憶の片隅に追いやられているのだが、何かの折につけて思い出すのである。
私が船を作ることに興味を持っていることは父も知っていて、高校を中退した後何もせずにいると「お前は船が好きなのだから、商船学校へ行け」と言われたのだが、私にとっては「早稲田以外は俺が行く学校ではない」と言った感じで何の反応もしなかったので、その後は何も言わなくなったのである。
そのころの「母は?」と言うと、相も変わらず「自分の保身だけ」と言った感じで、私のことには全く関わろうとしなかったのである。
艦船の種類は分からないのだが、基本的な型は、私が中学の幾何の時間に書いていた船の形とよく似ているのである。
私はその当時、東京の石神井公園の池で夏に開催される「模型モーターボート大会」に参加するために、早く走れる?船を考えていて、授業中ににもかかわらず、突然アイデアがひらめいたのである。
この頃は、授業の内容もチンプンカンプンで、授業には全く集中出来ず、何時も何かしら他の事を考えていたのである。
このため、時折先生からチョークが飛んでくることもあり、よく怒られたものであるが、今思い出すと「楽しい?思い出」ではあるが・・・・。
さて、船の設計図は出来たものの、結局は「財源不足?」で日の目を見ることもなく、普段は記憶の片隅に追いやられているのだが、何かの折につけて思い出すのである。
私が船を作ることに興味を持っていることは父も知っていて、高校を中退した後何もせずにいると「お前は船が好きなのだから、商船学校へ行け」と言われたのだが、私にとっては「早稲田以外は俺が行く学校ではない」と言った感じで何の反応もしなかったので、その後は何も言わなくなったのである。
そのころの「母は?」と言うと、相も変わらず「自分の保身だけ」と言った感じで、私のことには全く関わろうとしなかったのである。