余りにも間を空けてしまい、いったい何を書こうとしていたのか思い出せなくなっている。
そろそろ中学時代の話に入らなければいけないのだろうが、それ以前のことで書き残したことがあるのだが、それがいったい何だったか全く思い出せない。
寒さで何をするにも億劫になってしまい、それにつられて頭の働きも悪くなっているようだが、「老化現象」が進んでいるのも確かだろう。
後4ヵ月半もすると「満で69歳」である。
私が子供のころであれば、「69歳は立派?な年寄り」であったが、最近はかなり様子が変わってきている。
ボーリングに行くと特にそれを感じる。
ボーリングに行くような人は特にそうなのかもしれないが、年を聞くと思わず「エッ?」と言うような人が大勢いるので、私も負けてはいられないが、気持ちばかりが先走って体がついてこないのが悩みである。
さて、ここまで書いては見たが、一向に書き忘れていることお思い出せないのだ。
仕方ないので先に進もうとは思うのだが、これもまた思ったようのは行かないのである。
こんなときに使う言葉ではないかもしれないが「継続は力」と言う言葉が頭に浮かんでいる。
今新聞配達の人が朝刊を配達に来たが、こんな時間に起きていてパソコンに向かっているなんて、昔なら想像もできないような年寄りになってしまったようである。
これで終わりにしようかと思ったのだが、ついでなので少し書いてみることにする。
修学旅行(箱根)の思い出
前にも書いたように、前年まで日光に行っていた修学旅行が、理由は思い出せないのだが「箱根」になってしまうのである。
当然の事だが、皆一様に「エーーッ!」と言い、かなりガッカリした事を覚えている。
私は翌年「2泊3日」で行けたのだが、区立の中学に行った同級生は行くことが出来なかったらしいが、中3の修学旅行では関西に行けるのである。
私は中1で日光には行けたが、その後関西へ行く事はできず、いまだに関西へは行った事がないのである。
箱根での出来事は殆ど覚えていないのだが、箱根から帰る途中のバスで起きた事は良く覚えている。
バスの中が静かだったため、車掌さんが「のど自慢をしよう」と言い出したのである。
そして「一番上手な人には私が賞品をあげます」と言ったところ、同級生の一人が「○○(私の名)が勝つに決まっているから除外しろ」と言い出すのである。
結局私抜きでのど自慢が行われたのだが、最後に「お前も歌え」と言われ、春日八郎の「別れの一本杉」を歌ったのだが、生憎「声変わり」が始まってしまい、ナント「高い声がでない」のである。
結局最後まで歌うことが出来ず、「カッコつけるからだよ」などとひやかされたのである。
確かに、唱歌を歌っていれば恥をかかずに済んだのだろうが、当時流行っていた歌を選んだのが間違いの元だったのだろう。
そろそろ中学時代の話に入らなければいけないのだろうが、それ以前のことで書き残したことがあるのだが、それがいったい何だったか全く思い出せない。
寒さで何をするにも億劫になってしまい、それにつられて頭の働きも悪くなっているようだが、「老化現象」が進んでいるのも確かだろう。
後4ヵ月半もすると「満で69歳」である。
私が子供のころであれば、「69歳は立派?な年寄り」であったが、最近はかなり様子が変わってきている。
ボーリングに行くと特にそれを感じる。
ボーリングに行くような人は特にそうなのかもしれないが、年を聞くと思わず「エッ?」と言うような人が大勢いるので、私も負けてはいられないが、気持ちばかりが先走って体がついてこないのが悩みである。
さて、ここまで書いては見たが、一向に書き忘れていることお思い出せないのだ。
仕方ないので先に進もうとは思うのだが、これもまた思ったようのは行かないのである。
こんなときに使う言葉ではないかもしれないが「継続は力」と言う言葉が頭に浮かんでいる。
今新聞配達の人が朝刊を配達に来たが、こんな時間に起きていてパソコンに向かっているなんて、昔なら想像もできないような年寄りになってしまったようである。
これで終わりにしようかと思ったのだが、ついでなので少し書いてみることにする。
修学旅行(箱根)の思い出
前にも書いたように、前年まで日光に行っていた修学旅行が、理由は思い出せないのだが「箱根」になってしまうのである。
当然の事だが、皆一様に「エーーッ!」と言い、かなりガッカリした事を覚えている。
私は翌年「2泊3日」で行けたのだが、区立の中学に行った同級生は行くことが出来なかったらしいが、中3の修学旅行では関西に行けるのである。
私は中1で日光には行けたが、その後関西へ行く事はできず、いまだに関西へは行った事がないのである。
箱根での出来事は殆ど覚えていないのだが、箱根から帰る途中のバスで起きた事は良く覚えている。
バスの中が静かだったため、車掌さんが「のど自慢をしよう」と言い出したのである。
そして「一番上手な人には私が賞品をあげます」と言ったところ、同級生の一人が「○○(私の名)が勝つに決まっているから除外しろ」と言い出すのである。
結局私抜きでのど自慢が行われたのだが、最後に「お前も歌え」と言われ、春日八郎の「別れの一本杉」を歌ったのだが、生憎「声変わり」が始まってしまい、ナント「高い声がでない」のである。
結局最後まで歌うことが出来ず、「カッコつけるからだよ」などとひやかされたのである。
確かに、唱歌を歌っていれば恥をかかずに済んだのだろうが、当時流行っていた歌を選んだのが間違いの元だったのだろう。
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