学校を辞めたときには16歳になっており、それから25歳になる頃までの9年間は正に「プータロー」と同じような生活をしていたのですが、正確にはプータローとは言えないかもしれません。
私の場合、正確には「無職」ではなかったのだが、正式な雇用形態で働いていたわけではなく、私の家の貸し店舗で商売をしていた、八百屋、魚屋、パン屋、などの店を手伝って小遣いをもらい、そのお金を貯めてスキーに行っていたのです。
時には園芸農家だった父の実家で働いた事も有り、この時期はある意味で「貴重な人生経験をした」とも言えるかもしれませんが、今だったら「路上生活者」になっていたかもしれないのですが、今考えれば、当時は有る意味で「のどかな時代」であったとも言えるのではないでしょうか。
私がきちんとした会社で働くようになったのは26歳の時で、この頃は未だ「契約社員、パート」などと言うものはなく、正社員として採用してくれる会社はいくらでもあったのですから。
私の場合、正確には「無職」ではなかったのだが、正式な雇用形態で働いていたわけではなく、私の家の貸し店舗で商売をしていた、八百屋、魚屋、パン屋、などの店を手伝って小遣いをもらい、そのお金を貯めてスキーに行っていたのです。
時には園芸農家だった父の実家で働いた事も有り、この時期はある意味で「貴重な人生経験をした」とも言えるかもしれませんが、今だったら「路上生活者」になっていたかもしれないのですが、今考えれば、当時は有る意味で「のどかな時代」であったとも言えるのではないでしょうか。
私がきちんとした会社で働くようになったのは26歳の時で、この頃は未だ「契約社員、パート」などと言うものはなく、正社員として採用してくれる会社はいくらでもあったのですから。
このような厳しい状態は、団塊の世代が完全にリタイヤすれば多少は解消されるかもしれないが、日本を取り巻く世界の情勢を考えると「ジリ貧」は覚悟しなくてはいけないかもしれないだろう。
かく言う私は、かなり前から徐々にではあるが「その時に備えた守りモード」に切り替えており、経済成長・景気回復などはとうの昔に諦めていますがネ。