ついに早稲田中学に合格したのだが、結果から言えば「私は早稲田中学に行くべきではなかった」としか言いようが無いでしょう。
私は早稲田中学に合格した事で、将来は大学に進み「科学者」になりたいと思うようになったのだが、父にすれば「世間に自慢する種」としか考えていないのだから、「適当に勉強して大学に入ってくれればいい」としか考えていなかったのです。
しかし、授業内容は毎日4時間も5時間も家で勉強(予習・復習)しなくては付いてゆく事が難しいほどレベルが高いのに、私はと言うと、学校から帰れば直ぐに「店番をしろ」と言われ、夕飯まで店番をさせられ、夕食後は「風呂を沸かせ」と風呂焚き(当時は薪で沸かしていたため、沸くまで1時間くらいそばを離れることが出来なかった)をさせられ、やっと勉強を始める事が出来るようになるのは10時頃になり、11時頃になると「何時まで電気を点けているんだ!」と怒られる始末で、見る間に成績は落ちて行ったのです。
ここで少し早稲田中学の授業レベルについて書いてみよう。
別れた私の妻に言わせれば「学校なんてどこも同じような物」と思われているのだが、現実は大違いで「月とスッポン」ほど違うのです。
通常であれば4大教科として「理科、数学、国語、社会」と分けられているのだが、早稲田中学では、理科は「物理、化学、生物」に、数学は「幾何、代数」に、国語は「漢文、古文、現代文」、社会は「政治経済、地理、歴史(中学は日本史で、高校は西洋史)」と言うように、11もの教科に細分化され、いずれも「必修科目」なのですが、更に驚く事は、「高校3年までの6年分の授業を5年で消化する」と言うことなのです。
タダでさえ難しい6年分の授業を5年で消化するなど、生半可な覚悟ではとてもついて行く事など出来ないのです。
そして、残りの1年(高校3年)は殆ど受験勉強に使われ、毎週のように「模擬試験」をするのだそうです。
更に、今はどうか知らないが、当時は、1学期の中ごろに「中間試験(4日くらいかかったと思うが)」があり、試験が終わると「試験休み(2日くらい?)」が有り、学期末には「期末試験(これも4日くらい)」があるのだが、この期末試験、各学期の休みが始まる1週間から10日位前には終わり、それから夏・冬・春の休みが始まるまで「試験休み」となり、授業は無いのです。
秋には「早稲田祭」に合わせて「体育祭と文化祭」が有り、およそ1週間は授業もなく、年が明けると「大学の受験会場」に使われるために2日間は休みになるなど、普通の学校に比べて休みも非常に多いのです。
「休みが多い」と言う事は「授業時間が少ない」と言うことでも有り、家で勉強が出来ない私にとっては「地獄」と言っても良かったのです。
私は早稲田中学に合格した事で、将来は大学に進み「科学者」になりたいと思うようになったのだが、父にすれば「世間に自慢する種」としか考えていないのだから、「適当に勉強して大学に入ってくれればいい」としか考えていなかったのです。
しかし、授業内容は毎日4時間も5時間も家で勉強(予習・復習)しなくては付いてゆく事が難しいほどレベルが高いのに、私はと言うと、学校から帰れば直ぐに「店番をしろ」と言われ、夕飯まで店番をさせられ、夕食後は「風呂を沸かせ」と風呂焚き(当時は薪で沸かしていたため、沸くまで1時間くらいそばを離れることが出来なかった)をさせられ、やっと勉強を始める事が出来るようになるのは10時頃になり、11時頃になると「何時まで電気を点けているんだ!」と怒られる始末で、見る間に成績は落ちて行ったのです。
ここで少し早稲田中学の授業レベルについて書いてみよう。
別れた私の妻に言わせれば「学校なんてどこも同じような物」と思われているのだが、現実は大違いで「月とスッポン」ほど違うのです。
通常であれば4大教科として「理科、数学、国語、社会」と分けられているのだが、早稲田中学では、理科は「物理、化学、生物」に、数学は「幾何、代数」に、国語は「漢文、古文、現代文」、社会は「政治経済、地理、歴史(中学は日本史で、高校は西洋史)」と言うように、11もの教科に細分化され、いずれも「必修科目」なのですが、更に驚く事は、「高校3年までの6年分の授業を5年で消化する」と言うことなのです。
タダでさえ難しい6年分の授業を5年で消化するなど、生半可な覚悟ではとてもついて行く事など出来ないのです。
そして、残りの1年(高校3年)は殆ど受験勉強に使われ、毎週のように「模擬試験」をするのだそうです。
更に、今はどうか知らないが、当時は、1学期の中ごろに「中間試験(4日くらいかかったと思うが)」があり、試験が終わると「試験休み(2日くらい?)」が有り、学期末には「期末試験(これも4日くらい)」があるのだが、この期末試験、各学期の休みが始まる1週間から10日位前には終わり、それから夏・冬・春の休みが始まるまで「試験休み」となり、授業は無いのです。
秋には「早稲田祭」に合わせて「体育祭と文化祭」が有り、およそ1週間は授業もなく、年が明けると「大学の受験会場」に使われるために2日間は休みになるなど、普通の学校に比べて休みも非常に多いのです。
「休みが多い」と言う事は「授業時間が少ない」と言うことでも有り、家で勉強が出来ない私にとっては「地獄」と言っても良かったのです。
ブログの中に書いてあるのだが、父にとって「早稲田中学合格」と言う事は、「自分の自慢話のタネ」でしかなく、「適当に勉強して大学を卒業してくれれば良い」と言う程度にしか考えておらず、明治生まれで農家の5男坊だった父にとっては「勉強をする」と言う意味も良くわかっていなかったのでしょう。
父にしてみれば、尋常小学校しか行っておらず、尚且つ学校から帰れば畑仕事の手伝いをさせられ、卒業後は「酒問屋に丁稚奉公」をさせられたのですから、早稲田中学・高校・大学と言うところは、正に「別世界」で、その内容など知る由も無かったのでしょう。
また、商人と言うこともあって、商売を離れて人と付き合うと言うことも殆ど無く、当時の私立中学に行っている生徒がどのくらい勉強しなければいけないかなど、全く想像も出来なかったのです。
タダ、私にとって早稲田中学と高校の半年を合わせた「3年半」と言う期間は、その後の私と言う人間の「根幹を形作った時期」と言っても過言ではない程強い影響力があったのです。
特に「物理・生物」の授業では、物事を一面的に見るのではなく「様々な角度から多面的に見る」と言うことを学び、そのことが後々大きく役に立っているのです。
そして、最も重要な事は「本当の勉強は学校以外でも学べる」と言う事で、「学校で学ぶばかりが勉強ではない」と言うことも理解しなくてはいけないと思うのだが・・・・。
なにやら説教じみたコメントになってしまったが、時代的背景を考えると「父を責めるのは酷?」と言う気もするのですが・・・・。